2017年02月25日

色々と批判されましたが・・

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日本会議の研究・・
ぼくは、この本を去年のけっこう早い時期から購入していました。
というのも、世の中に、ぼくにとっての嫌な空気が流れていたからからですが、それは安保闘争時代の学生運動臭というか、何か異様な感じがしたからです。
内容としましては、やはりと言いますか、学生運動世代の右派の流れが現在も生きていて、それが拡大しているという事実が書かれているものでした。
話によると、途中で修正されているみたいですね?ぼくのはたぶん修正前のものでしょう。

今はネットというものが存在しますが、ある時期から右派の運動が盛んになってきて、ネットの中はほぼ平定された状態になってしまっていたということです。
ネットの中で、この右派圧力団体はいち早く動きましたが、それまでにマスメディアに圧力をかけてきた左派圧力団体は、こちらでは何もしなかったという印象があります。
結論としましては、ぼくが物心つくころから現在まで、左右はあれ、この学生運動世代が日本を牛耳ってきたという感想です。
かつてですが、マスメディアというものが行き過ぎた左翼思想を持っているのではないかと幼心に感じていたのですが、日本は属国であることを利用して、アメリカに守られながら好き放題言っている・・あり得ないような夢物語ばかりを語っていると感じていて、これに対して否定的な話をすれば、「ファシズム中村」的な批判をされたものでした。中韓はしつこすぎる、仲良くしろと言うが、不可能ではないか?と言っても同様の反応でした。もちろん、支配者であるアメリカも好きではありませんでしたが、ではアメリカも無しで、まともな軍も法もない日本がどうやって生きていけるのかを考えた時、アメリカが弱体化して良いことがあるのですか?という現実的な問題も感じるようになっていました。
良くも悪くも、日本はアメリカの保護下にあったから幸せだったわけで、その中でゴネる状況を見て見苦しいと感じたのです。
個人的にはこれをしたたかと感じることは無く、卑怯と感じていたわけです。
基本的に、このころから保守的な考えをもっていたわけですが、周りからは変人扱いでした。まぁ学校教育でも色々とあったわけで・・あとどう考えても理屈の通らない内容の話とか・・例えば外国に対しても何でも話し合いで解決するとか言いながら国内勢力や類似の団体すら納得させれない状況とか、アメリカや日本に対しては暴力的だったりとか。

そこから考えると、21世紀に入ってからは、ネットの中で同様の考えを述べると、突然、それに賛同するような回答というものが起こるようになりました。この時ある種の変化を感じていたわけですが、ある時期から、あり得ないような中韓に対しての罵詈雑言も聞かれるようになりました。
しかしながら、奴らを殺せとかそういう話になれば、普通に考えれば反発心も起こるわけで、そういう考え方からは距離を置くようにはなります。もちろん、防戦一方だった日本人としてのアイデンティティと言いますか、それがある程度国内で回復されたという意味では歓迎する部分もあったのは確かです。
日本人でありながら「日本人は死ねば良い」とか言う連中に対しては、まずはお前が見本になって死ねと思っていたわけで。

残念な事ですが、ある一方に流された場合、皆流されるというミーハーな性質が日本人にはあると思います。上げ底靴の高さが危険水域に達するまでやめられないみたいなもので、破綻するまでそれを止められないという・・
世の中は以前より右傾化しましたが、世の中の人たちはそれに気が付かないのか、それとも受け入れたのか、日本人がけなされない世の中にどっぷり浸かることになりました。メディアもその方向に流されて、そういう編集が行われるようになったわけです。ある意味居心地が良いのかもしれませんが、それは思考停止にも繋がる危険な道でもあると感じました。この本の表紙にも書かれていますが、社会の劣化を感じずにはいられませんでした。
そこに入ってきたのはグローバル化の加速です。思考を止めたように欧米の財閥のお偉いさんが言ったような言葉が蔓延して、金だけが支配する世の中に・・文化であれ何であれ、数字を出せる者こそが正義の世の中です。その論法でいけば、秋元康などは、日本で最も優れた文化人の一人なのでしょう。

塚本幼稚園 【五箇条の御誓文・教育勅語・日の丸行進曲・愛国行進曲・日本(秋元康・作詞)】
を大阪護國神社での合唱です。塚本幼稚園の悲願の小学校が完成!

話は戻りますが、日本会議についてです。
この団体のルーツは、本書を読む限りでは安保闘争における右派学生運動になるようです。
この時の左派学生運動は過激であり、そのアンチテーゼといいますか、大学のキャンバスを左翼運動家から取り戻すべく「打倒左翼」を掲げた民族派学生運動があって、その中での少数の勝者がこの団体を設立するきっかけになったとのことです。思想としては、生長の家の創始者である谷口雅春の思想を色濃く残している団体ということですが、打倒左翼の色合いが強いために、内容は薄いとの評価が書かれています。
今でもそういった感じのものとしては分かりやすいものが存在するかとは思いますが、思想などはともかくとして、打倒自民を掲げる第二党、民進党などもそういう存在なのでしょう。ぼくとしては、第二党として、内容的にも成長してほしいという感覚は強くありますが。。独裁を防ぐためにもです。

今までも色々と言ってはいますが、行き過ぎた思想の行く先は崩壊のみです。この考えは基本的に変わりません。
対立軸無しではそれを防ぐことは出来ないというのがぼくの考えです。毎度言っている自然界の法則と同じ、生態系と同じように対立軸が無いと生体系そのものを維持できないのと同じ法則です。
では何が行き過ぎなのかといえば、日和見主義的というか、八方美人といいうか何でも都合よく取り込んでしまおうとする現政権です。表面的には保守っぽいというか右翼っぽいのかもしれませんが、政策としては最近では北方領土問題を放棄したのに近いようなことをやったのだし、ある意味これは城の堀を埋めるような話で、平和ボケしていないのであればあり得ないような話のように思えますし、突然「国境や国籍にこだわる時代は過ぎ去りました」というような、保守とは思えないような、グローバリズムに染まる経済系圧力団体のご機嫌を伺うかのような発言が出るわけで、いったい何がしたいのか分からない、本音と建前のせめぎあいも無い、いわゆるその場しのぎの発言ばかりで、色々な圧力団体を納得させては政権支持率を上げて政権を強固にすることだけが目的の集団になっているように見えることです。
まぁ、日本会議の内容を見ても分かるのですが色々な団体や宗教を寄せ集めているわけで、ある意味思想的内容はゆる〜いものなのでしょう。〇〇っぽいでなければ入れない団体も続々でしょう。

この今の政権「安倍政権」は長くはないとは思いますが、今の日本にそこまでの自浄力があるのか不安に思えるところもあります。周囲を見ても、多くの人は意見の対立を恐れています。絶対的な考え方など人間が持てるはずもないのに、嫌われることを恐れてそれが出来ない・・たぶんこれは新自由主義的な理念の中に仕込まれた多くの言葉にそれをさせないような内容が多く含まれているのでしょう。SNS等を見ていると世の中がそのように変化しているのではないかと感じます。漠然としてですが。

最後に、先日からTwitterに流されている動画を貼っておきます。
個人的には、オウム以来の痛々しい動画と思いますが、これを大人がさせているというのは。。
https://twitter.com/GeeGaku/status/835411734043058176
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2017年02月17日

銀河鉄道999に見るリアリズム

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銀河鉄道というわけではありませんが、「きよこのくら」のための汽車を制作しています。もちろんデータですが。

こういうものを作っていると思い出すのは、銀河鉄道999です。

永瀬清子は、世界連邦を夢見て高齢で県庁に努めていますが、時代的なこともあって、ぼくはこれの実現には懐疑的というか、そのミニチュア版とも言うべきEUが終わりかけていることを見ても無理だという考えで、これはそうなる何年も前から言っていたことです。
テンプレのような平和主義者が言う「欧州を見習え!」という言葉ですが、そういう意味では、いったい何を見習えば良いのか、頭の中でどう組み立てても無理なことから、「これは無理な試みです」と言ってきましたし、「新手の戦争準備にしか見えない」と言ってきました。
なぜなら、これこそが、お金と人だけが移動出来て、税制は独立という非常に中世に至る道のり的というか中央集権的というか、お金と仕事があるところ以外は、マンパワーも吸い取られていくグローバル社会の典型として見ていたからです。
この中の富める国だけが、一時的にユートピアを実現したように錯覚する人もいるかもしれませんが、それこそ木を見て森を見ずという感じの話で、周辺国を地方と例えるならば、お金も人も中央に移動したのであり、疲弊した社会が出来上がることになると思います。これに気が付かないように、多くの民衆には成功例や、なんとなく上手くいっている様子だけをマスコミは見せるようになるでしょう。なぜなら、マスコミはスポンサーである富める者を責めることは、本質的には出来ないからです。
世界は、富める者に利するグローバリズムと、ある種の嘘に気がついた人が救いを求めるナショナリズムの争いになると思います。

映画版ですが、999の世界を見ると、宇宙全体が機械帝国によってグローバル化していて、富裕層である機械化人は特権階級であり、永遠の命というユートピアとしては究極のテーマを実現したメガロポリス住民と、その周辺にあるスラムに住む低賃金労働者であり食料でもある生身の人間が存在する超階級社会が描かれています。機械化人は、貴族らしく、英雄の機械伯爵というキャラクターも登場します。
星野鉄郎という主人公は、グローバル化した宇宙の中で、機械の体を手に入れるため、宇宙一豊かなユートピアである機械化母星を目指して、旅をすることになります。重要な要素ですが、一般的な生身の人間は星に縛られて生きていて、非常にその枠組みから逃れることは難しいというのも現代と似ている点です。
つまるところ、運の良い難民のような存在でもあると思いますし。まさしく宇宙市民になるべく地球という狭い星を脱出するという内容です。
最終的に、鉄郎は生身の人間の不幸の元凶に気が付いたことと、無料で機械の体を貰えるとしても、それは機械化母星の部品であり、機械の体を得たとしても奴隷階級というものを覆せないことに気が付いたとき、革命を起こすことになります。
結論としては、鉄郎は人類の側から見れば英雄、機械化人からみればテロリストという存在になると思いますが、ぼく自身生身であるためか、鉄郎目線でこの物語を見ることになりました。
結果として機械化人たちがユートピアと謳った機械化母星は破壊されることになりますが、これに続く続編で、ある種の均衡が破れた世界では、機械化と永遠の命いうユートピアを掲げる勢力と、従来の生身の人間が切磋琢磨しながら生きる事こそが尊いという二大勢力が、宇宙全体で大戦を繰り広げることになります。
生身の人間側から見れば、ここで明かされる、機械化人の永遠の命のカラクリというものはおぞましいもので、生身の人間の魂を食って生きているという現実を鉄郎は見ることになります。そして、多くの機械化人もその事実を知らない。。ぼくは、ここに、ユートピアの本質を感じます。

基本的にマスコミ、特に新聞のように一般層にも購買されているわけでもない映像メディアは富めるものを利するのであり、アーティストもまた映像によって支配されているという現実があります。理由は簡単なことですが、当然ながら映像というメディアで紹介されるほうが、アーティストにとって有利なわけで、それに安易に出るための方法論を望むのは当然の成り行きだと思います。歌手も、美術家も、役者もです。
一つの壮大なテーマがあると思いますが、それは世界が一つになることでしょう。なぜならば、国境を必要としない富裕層の相互会のようなものが自然に発生して、それをイデオロギーとして保持しているからです。税制という国の制度を超えた存在であり続けるためでもあるでしょう。究極的な理想論にも通じるために、賛同されやすいということもあるでしょう。そして、何よりシンプルで、ポピュリズムにもうったえやすい。彼らに憧れる人々は、自分を彼らに重ね合わせて物事を考えたりするでしょう。そして、ほとんど叶うはずもない夢をみます。稀にしかいない例外を見ながら。言うならば、自分も機械化人の仲間入りでもできるかのような。
これに逆らう者に対しては、彼らは本能的に攻撃的になると思います。おそらく理詰めでは勝てない事も承知で、故に人気を得るために多くの民心を得るような美談を語り、問い詰められれば多数派を駆使し封じ込みをします。それに、多くの場合、人は自分を利するために偽善に走ります。貴族でもないのに貴族目線の連中も多くて、より上の層に賛同することも多々あったりします。
世界が一つ・・それで、本当に良くなるのならば、この世界は本当に幸せな世界です。そのような世界をぼくも望みますが、どう組み立ててもぼくの頭ではそういう世界の構築が可能とは思えません。

世界を一つのイデオロギーでくくって、それとは違う人は粛清・・新たな考えを持つものが生まれればまた粛清・・これも現実世界で起こった事実として存在します。更には、そういう世界はいくつも崩壊しました。
そもそも身近な人すら幸せにできない自分たちに、世界の人々を救うすべがあるのでしょうか?
マザーテレサ等の人物も、そういう考えを持つものは偽善者だと言っていますし、その通りだと思います。
現実として、人類にはそこまでのパイは無いということをまざまざと見せつけられます。

ぼくは、999の世界に非常にリアリティーを感じたわけですが、当時も現在も、宇宙の壮大なロマンのようなものとして、この物語が見られていることは非常に不思議に思えるところがあります。
完全な自由な星では、力だけが頼りであったり、特権階級である機械化人にとっては生身の人間は搾取の対象でしかないにも関わらず、生身の人間に憧れられる存在であったり、永遠の命という究極の理想論がもたらす不幸であったり。

この世界に似ている世界がありますが、それは現代の地球でしょう。
ぼくは、この作品の作者が、現代を予言していたとは思っていません。
この世界に似ている世界は過去にもあったのだと思います。
ぼくが知る限りでは、第一次世界大戦前夜〜第二次大戦までの世界です。

何故このようなことを書いているかということですが、それは、自分自身の中にある種の反発があるからです。
永瀬清子が優れた詩人であることに関しては疑いを持ちませんが、ぼく自身も独立した人間であり、自分の考えを持っているということです。
そのような感じで、この世の中には本来無数の考え方があるということです。

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2017年02月12日

今日の14時52分

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今日の14時52分、父親が亡くなりました。
12月に母親が交通事故で、背骨を骨折、それまでは、二人で脳幹梗塞の父親の見舞いに2日に一度行っていましたが、仕事が非常に忙しくなったことと、母親の入院で、見舞いに行けなくなっていましたが、やっと行けるようになって2日目です。
この写真の撮影は、今日の深夜ぐらいでしょうか・・早朝5時ごろに電話あって、朝の6時過ぎに、これの撮影を朝止めて病院へ・・
4年前、天使モドキの動画を完成させる直前の忙しい時期に、母は圧迫骨折で、背骨を損傷・・その入院中も、ぼくは動けずで、その数日後に父親は脳幹梗塞で、その年の3月に倒れました。
それから、母親と、ずっと見舞いを続けていましたが、それも最後になりました。
何かをしようとする場合、物事にはいつも代償というものが付きまとうのでしょう。
今日は午前、救急で手首の様子も見に行きました。というのも仕事に支障があるからですが、父親が入院している宮本整形外科から済生会病院へ。小さな損傷ではありますが、事を進めなければならないので。
最後、父親を看取ったのは兄弟全員でした。

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2017年02月06日

手根管症候群

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日々のコマ撮りのような連続した作業で、手首から先が痛みでうまく動かなくなってしまいましたので、病院に行ったのですが、「手根管症候群」とのことです。+両足膝が炎症っぽいですね・・椅子から立ち上がるのが困難です。

病因

多くは特発性であるが以下の関連は指摘されている。
職業性
アメリカ労働省職業安全衛生管理局(OSHA)による調査にて、反復作業労働に生じることが多いという報告がなされている。”

手根管症候群の主な症状は

指先や親指側の手がしびれる、または感覚がない。
夜中や明け方に、目が覚めるほどの手のしびれや痛みが起きる。
手がしびれてペンや箸が持てない、ペットボトルが開けられない。

まんまですね・・車のハンドル回すのも大変です。
しかし、無理やり動かして温めると動きますが、これは良くないようです。仕方なく動かしましたが・・

手首の痛みから、この2日ほど手を休めていたのですが、これといった改善も無いので、残った重労働を永瀬清子の蔵で・・これは最後まで出来ました。
ですが、その残りがわずかながらも限界で、もうこれは病院に行くしかないだろうということで行きました。
とりあえず、ここまでで、最初の重い作業(チェーンソー等を使用)の連続作業は一旦休止で、ここから1か月は塗料を使った軽めの作業・・明日からはそれなので様子を見ながら作業の継続です。
その後は、これまでで最大の重労働になりますが、なんとかなるでしょう。
タイピングは、かなりしんどいですね・・
あと、足の膝関節も炎症・・立ち上がるのが大変ですね・・

とりあえず、アニメーションの作業ですが、小さな絵を描く作業とは違いますし、同じような動作の反復なので、ある意味計算内の事です。例えば、200ショットであれば、200回脚立を出して上って作業、それを写らないところにしまって撮影。文字通りの反復作業なので致し方ありません。
ここで重要なことは、仕事に変化を出すことでしょう。この症状によって今は出来ないハードワークですが、軽めの仕事を考えることになるのは、ある意味変化が出て、作品そのものにも良い影響があるかもしれませんね。

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2017年02月02日

「きよこのくら」予告


きよこのくら予告 from Tomomichi Nakamura on Vimeo.


現在制作中の映像作品の予告となります。

2017年2月現在、映像作家、中村智道によって、詩人「永瀬清子」の蔵での制作が行われています。
作品名は「きよこのくら」で、実写、アニメーション、ドキュメンタリーが一体化した実験的な映像作品として完成する予定になっています。
制作:永瀬清子生家保存会  監督、撮影、アニメーション、編集、美術:中村智道 プロデューサー:月影詩歩 音楽監督:坂本弘道   声の出演(永瀬清子の詩を朗読):二階堂和美 他


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2017年01月25日

今日は風も無くて色々良かった

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今日は、風もなくて晴れていたので非常に作業しやすい一日でした。
気温は低めなのでしょうが、体感温度は高めという感じ。
というわけで外で作業です。
こういうもの作っているのですが、亜鉛鉄板よく燃えます。
溶接機使ってますが、けっこう時間はかかりますね・・撮影の合間にやっております。
今は画像編集中。
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2017年01月23日

TVでトランプ大統領の批判をしてますが

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日本のマスコミも、他国同様、企業のスポンサー料金で広告を出しているため、口頭上ではアメリカファースト主義(国家優先・反グローバル)を主張しているトランプ大統領を未練がましく批判していますが、これは日本の民意が選んだ大統領ではないため、実のところ大した意味はないだろうと思います。所詮は外国ということです。グローバルとか言ってきましたが、選挙制度までグローバル化したわけではありませんので。
実のところ、じゃあ自分たちはどうする?のほうが重要かと思いますし、それが無いために、何でも遅ればせながらが続いている感じです。
正直、今のTVほど国民にとって信用できないメディアはなかなか無いのではないかと思います。というのも国民の利益というよりも企業の利益ですし、それの御用がグローバル化の応援を未だに続けているからです。何故かは簡単で、広告料でやっているからですし、多くの企業はグローバル化したからでしょう。

企業そのものにとっては国という枠は重要ではない時代でしたが、国民にとっては仕事を奪われたり格差を強いられるわけで、良いことは無いのですが、それを必要なことだと洗脳してきました。その余韻もあると思います。TPPのことも未練がましく言っています。
日本のグローバル化は遅ればせながらの周回遅れだったため、国民もあまりその弊害を感じていないのもあるかもしれません。あと、世界を繋げるという理念(経済で)が、文面として美しかったこともあるでしょう。
マスコミが企業優先であることは、広告というものが存在するかぎり有り続けることだと思いますが、国という力が強まってきて海外との繋がりが弱くなってくるとどうでしょうか?
企業は、国内に商品を売る必然性が生じてくるため、国民が豊かである必要性が生じると思います。そうなれば、そうなるようにマスコミを動かすことになるかもしれません。よほどに愚かでなければの話ですが・・
必要なのは再分配、これは国が企業よりも強固でなければ実現不可能な問題ですが、これをかつての日本は行っていました。
日本は社会主義国と言われていたんですね・・冷戦時の他の社会主義国とは異なって、民主主義制度の下でこれを可能にして、陣営としては自由主義側にいました。

グローバル化のもとでは、国民というのも社員同様多くは必要なくて、非正規ならぬ人口調整しやすい外国人を受け入れることが重要なため、少子化対策とか言いながら、実は少子化歓迎だったのではないかというぐらい何もしていないという感じで見ていました。
まぁ、この件に関しては手遅れ感も否めませんが、まさかのグローバル化の終焉でどうしましょう?と思っている役人とかもいそうですね。
グローバル化は終焉しかけているのは間違いないでしょうね。完全になくせば良いかと言えばそれも違うと思いますし。
前の日記でも書いたことですが、何事も一方に走りすぎない事が重要だと思います。
国家主義が強くなりすぎれば、それはそれで弊害があるわけで。

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2017年01月22日

何故行き過ぎるのか・・ユートピアは存在せず

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現代の格差は、自由主義が行き過ぎた結果だと思います。これを抑制するのは社会(国など)によるものだと思いますが、一方が強大になりすぎれば、それは破綻します。より良い社会というのは、その間にあるものだと思います。このより良いは、到達点がありません。故に、人には理解されにくくて、到達点の設定が必要になります。そこにはユートピア的な思想が生まれるのでしょう。
残念な事ですが、ユートピアは存在しません。自由主義も、社会主義も思想的にはまるっきりのユートピアのため、行き過ぎれば格差を生み出し破綻すると思います。それだけでなく、不満や資源の枯渇等が頂点にまで至れば、いわゆる戦争などもあり得るでしょう。法など、そうなれば意味はありません。つまるところディストピアということです。一方の力が均衡を破ったときは止まらなくなります。
それが、多くの人が参加したことだとしても、人のせいにして自分が参加していたことにも気づかず、次のユートピアを目指す・・繰り返し・・
これは時代ごとに是正しなければならない問題で、そのつど状況によって考えを変えなければバランスを崩すものだと思いますが、人はユートピアを信じますし、盲信する人ほど声が大きいのも事実でしょう。
その中には、分かっていてわざとユートピアを語る者もいるかと思いますが、それは人々を動かすための釣り文です。そんなものは最初から存在しないのです。冷めた考え方と思う人もいるかもしれませんが、ある種の成功、富を手に入れる、名誉を手に入れる、人気の獲得等、それらを少数の人たちが獲得し、多数が支える社会を生み出すための方便にすぎないと思うのです。しかしながら、これを多くの人が信じれば、破綻するまで止まることはないという認識です。そうなってしまうまで分からないのです。
色々な言葉を書いていますが、つまるところ、あまりにも出来すぎた話など無いということです。
現在の地域振興策に関して、建築関係の方は多くないでしょうか?色々な分野があるかもしれませんが、アートの中心等にもです。彼らは建築物を作るにあたりユートピアを設定します。これは西洋からもたらされた考え方かもしれませんが、このあたりを盲信している人を見かけることがあります。
まぁ方便です。ユートピアは無いのですから。それは自然界のごとくです。というか人間も自然界の中の存在でしかないということです。
より良い社会を作るためには、到達点は無くて常に考える努力が必要なのだという認識です。

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2017年01月20日

何が重要か

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重要なことは色々とあると思うのですが、何故永瀬清子の生家がここまで荒れてしまったのかは、思うに非常に単純な話なのですが、彼女が一般的には有名ではないからだと思います。
もちろん色々と偉業のある偉人でもありますし、何故?と思われるファンの方も多いのではないかと思いますが、結論を申しますと、彼女の再評価が必要な時期に来ているのだと思います。
この記事の前に、雑ながら「御用文化人」の件について書いていますが、永瀬清子の反省の念は戦後に生かされることになると思います。
実のところ、既に感染の面では問題ではなくなったハンセン病についてですが、迷信や差別は根強く、日本政府は、ここに隔離政策を続けることになります。その舞台となるのは、岡山県の長島ということになるのでしょうが、これについては隔離されている以上、アンタッチャブルな面が存在したと思います。彼女はここに関わることになります。
今現在、約束された状況下では、「これはアウトサイダーとか言って一儲けできそうだわ」とかいう魑魅魍魎な連中も出てきかねないような世の中になりましたが、当時はそうではありませんでしたし、状況は大きく異なったのだと思います。たとえ、そこで詩を教えたりしていても、必ずしも良いこととは思われなかった時代だからこそ隔離されていたわけで、要は触れてほしくないところに出入りする有名人というものは社会においてはありがたい存在ではなかったのではないかと推測します。
世の常だとは思うのですが、それよりは世の中のそういうものを美しく隠蔽したりごまかしたりしてくれる人のほうがありがたがられるというのはあると思います。そして不都合なものは見たくない人が多数派ですし、目立たれても困るのです。
しかしながら、現代だからこそ、この部分についても、もう少し再評価されても良いのではないかと思えるところが多々あります。
というのも、記念館に行っても冊子を見ても、その件に触れているのは一行程度・・何十年も行ったわけですから、ライフワークのような一面もあるように思えますが、深く書かれている資料は非常に少なく、現在でも都合が悪いのかな?とも思える状況を目の当たりにします。
そうでなければ、そういった館等が、それほど熱心でもないのか?そうだとすれば、それ以外の本業の件でも永瀬清子が再評価される可能性は低いのではないかと思えます。
基本的に、岡山県民は個人主義ですし、あまり他者に関心が無い面もあるとは思うのですが、まさか在住の岡山県民に、そのような偉業があるはずもないというような感覚もあったのかもしれません。
とは言いましても、内容的には本来評価されるべきものですし、現在だからこそ読むべき内容のものも多いのが、ここまで関わっての感想です。
現在では読めないような難しい漢字などがあるのも事実ですし、人によっては難しいのでしょう。そして、軽い感じのものは決して多くはありません。
時代に合わないとおっしゃる方もいるかもしれませんが、今の時代は誰がみても自滅路線なので、世の中をみて見習うようなものは大して多くもなくて実にくだらないもので埋め尽くされている感もあると思います。それは、劣化した世の中が見事に証明してくれているので、言うまでもありません。
それでも、やはり、華麗に自滅を隠してくれる方こそが、時代の寵児なのでしょうか・・
こういう時代だからこそ、再評価してほしい人の一人だと思うのです。
それが実現したときは、生家も絶版になった本も、自然に生き続けたり、蘇ったりするような気がするのです。


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高畑勲氏の本

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わけあって、高畑勲氏の本「君が戦争を欲しないならば」をいただきました。この本に書かれている内容は、全般は自身の戦争体験の話であり、最後には憲法9条という「日本人に対する抑止力」という内容で締めくくられています。
基本的にリアリズムに沿った内容ですし、現代の日本と言いますか過去からの日本人の体質の、基本的な変化の無さについて言及されています。
思うに、これはその通りで、戦中等の寄せ書き等に書かれている文面と現代のネット等に書かれている文面の類似性を見ても納得のいくものです。つまるところ周囲の目線が気になる日本人は、あくまでも多数派に合わせるのです。それがおかしいか、おかしくないかについては問題ではなく、それについて行く・・
そして多数派が、いいね!という言葉に同調しなければ、村八分となり、干されてしまう社会についても言及されています。
基本的に憲法9条に対する考え方以外は同じような感じで、ぼくも世の中を見ているのでありますし、ぼくにとっての戦争を欲しないという考えは、グローバル資本がもたらす、超格差社会によるところが大きいのです。そして、残念なことですが、これが進めば進むほど格差をごまかすための地域振興策が行われることこそが、民主主義の崩壊を招く・・いや、もう崩壊しているか・・
ともかく、マスコミと一体となって同じようなお題目の元、御用学者ならぬ、御用文化人によって、人々を同じ方向に動かしている様子は、ぼくには異様に思えます。これも、他者の目線というものを重視する日本ならではの政策ですし、ある種の詐欺行為というものは、必ず甘い言葉や良い言葉によって行われるというのは。普通の人でも本当ならば理解できるはずです。
それでも聞こえの良い言葉に乗ることは「人に良い人だと思われるし、皆そうだろう」と考えるのが日本人で、あくまでも他者の不特定多数の目線こそが重要なのです。そして、それに同調します。西洋人のように、神の目線を第一とした考え方は日本人には無いがためにそれは起こります。神というものは教義があるにせよ、自分がイメージするものですし、それにそって自分の行いが正しいかどうかを判断しているように思えます。

残念なことに、大広告社会である現代では、それを各種媒体に拡散できる、巨大資本こそがイメージを拡散できるのですし、文化人も、あくまでその都合に沿った人間でなければなりません。ぼくは、それを”御用文化人”と呼んでいますが、この流れにいち早く乗った者こそが、より多く巨大資本の代弁者として影響力が持てるという社会に至っているように思えます。
しかしながら、日本の感覚では保守だろうが革新だろうが、これを止めることはできません。それはあくまでも良い言葉ですし、どちらの側も、グローバルな共栄圏をつくることを長年の目的としてきたからで、実のところその言ってることはどちらも自由主義をうたっているように思えるのです。それも流れに流された行き過ぎた自由主義、新自由主義(ネオリベラリズム)というものです。面白いことですが、社民党の方々が、我々はリベラル勢力と言っていることに驚いたこともあります。そして現政権などは、驚くべきポピュリズムに走った超リベラリズムの政権に見えるのです。何事も偏りすぎてはあらゆる維持のためのバランスを失うのは言うまでもないと思うのですが・・

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この本は、高畑勲氏のサインが入った特別なものでもありました。色々とお気遣いありがとうございます。

この本ですが、永瀬清子さんの意見が紹介されています。

いつのまにか一番近い相手を
喜ばせたいのが日本人です(中略)
だから何で食うかが大切です(中略)
頭で食うのはとても危険です
なぜなら世の中が変わったら
自分が自分に頼って云うことがついできず
云えば食えず
いつかもすぐれた詩人も詩で食っていたために
政府やまわりをついつい喜ばせ
それで戦争に組したのです。

つまるところ、言ってしまえば、村八分というのが日本の社会です。
よって、ある種の既得権益に守られた中での発言ばかりが目立つのは右だろうが左だろうが同じことです。

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不特定多数の人の目線による個の支配を表現した「スピリッツ零三」
こちらの音楽は、「きよこのくら」の音楽監督をしていただく、坂本弘道さんです。

中村智道作品 紹介動画 from Tomomichi Nakamura on Vimeo.


そして、過去も現在も日本人の体質が変わらないにしても、ネットというものによって、それは加速しているように思えるのです。

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