2017年01月23日

TVでトランプ大統領の批判をしてますが

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日本のマスコミも、他国同様、企業のスポンサー料金で広告を出しているため、口頭上ではアメリカファースト主義(国家優先・反グローバル)を主張しているトランプ大統領を未練がましく批判していますが、これは日本の民意が選んだ大統領ではないため、実のところ大した意味はないだろうと思います。所詮は外国ということです。グローバルとか言ってきましたが、選挙制度までグローバル化したわけではありませんので。
実のところ、じゃあ自分たちはどうする?のほうが重要かと思いますし、それが無いために、何でも遅ればせながらが続いている感じです。
正直、今のTVほど国民にとって信用できないメディアはなかなか無いのではないかと思います。というのも国民の利益というよりも企業の利益ですし、それの御用がグローバル化の応援を未だに続けているからです。何故かは簡単で、広告料でやっているからですし、多くの企業はグローバル化したからでしょう。

企業そのものにとっては国という枠は重要ではない時代でしたが、国民にとっては仕事を奪われたり格差を強いられるわけで、良いことは無いのですが、それを必要なことだと洗脳してきました。その余韻もあると思います。TPPのことも未練がましく言っています。
日本のグローバル化は遅ればせながらの周回遅れだったため、国民もあまりその弊害を感じていないのもあるかもしれません。あと、世界を繋げるという理念(経済で)が、文面として美しかったこともあるでしょう。
マスコミが企業優先であることは、広告というものが存在するかぎり有り続けることだと思いますが、国という力が強まってきて海外との繋がりが弱くなってくるとどうでしょうか?
企業は、国内に商品を売る必然性が生じてくるため、国民が豊かである必要性が生じると思います。そうなれば、そうなるようにマスコミを動かすことになるかもしれません。よほどに愚かでなければの話ですが・・
必要なのは再分配、これは国が企業よりも強固でなければ実現不可能な問題ですが、これをかつての日本は行っていました。
日本は社会主義国と言われていたんですね・・冷戦時の他の社会主義国とは異なって、民主主義制度の下でこれを可能にして、陣営としては自由主義側にいました。

グローバル化のもとでは、国民というのも社員同様多くは必要なくて、非正規ならぬ人口調整しやすい外国人を受け入れることが重要なため、少子化対策とか言いながら、実は少子化歓迎だったのではないかというぐらい何もしていないという感じで見ていました。
まぁ、この件に関しては手遅れ感も否めませんが、まさかのグローバル化の終焉でどうしましょう?と思っている役人とかもいそうですね。
グローバル化は終焉しかけているのは間違いないでしょうね。完全になくせば良いかと言えばそれも違うと思いますし。
前の日記でも書いたことですが、何事も一方に走りすぎない事が重要だと思います。
国家主義が強くなりすぎれば、それはそれで弊害があるわけで。

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2017年01月22日

何故行き過ぎるのか・・ユートピアは存在せず

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現代の格差は、自由主義が行き過ぎた結果だと思います。これを抑制するのは社会(国など)によるものだと思いますが、一方が強大になりすぎれば、それは破綻します。より良い社会というのは、その間にあるものだと思います。このより良いは、到達点がありません。故に、人には理解されにくくて、到達点の設定が必要になります。そこにはユートピア的な思想が生まれるのでしょう。
残念な事ですが、ユートピアは存在しません。自由主義も、社会主義も思想的にはまるっきりのユートピアのため、行き過ぎれば格差を生み出し破綻すると思います。それだけでなく、不満や資源の枯渇等が頂点にまで至れば、いわゆる戦争などもあり得るでしょう。法など、そうなれば意味はありません。つまるところディストピアということです。一方の力が均衡を破ったときは止まらなくなります。
それが、多くの人が参加したことだとしても、人のせいにして自分が参加していたことにも気づかず、次のユートピアを目指す・・繰り返し・・
これは時代ごとに是正しなければならない問題で、そのつど状況によって考えを変えなければバランスを崩すものだと思いますが、人はユートピアを信じますし、盲信する人ほど声が大きいのも事実でしょう。
その中には、分かっていてわざとユートピアを語る者もいるかと思いますが、それは人々を動かすための釣り文です。そんなものは最初から存在しないのです。冷めた考え方と思う人もいるかもしれませんが、ある種の成功、富を手に入れる、名誉を手に入れる、人気の獲得等、それらを少数の人たちが獲得し、多数が支える社会を生み出すための方便にすぎないと思うのです。しかしながら、これを多くの人が信じれば、破綻するまで止まることはないという認識です。そうなってしまうまで分からないのです。
色々な言葉を書いていますが、つまるところ、あまりにも出来すぎた話など無いということです。
現在の地域振興策に関して、建築関係の方は多くないでしょうか?色々な分野があるかもしれませんが、アートの中心等にもです。彼らは建築物を作るにあたりユートピアを設定します。これは西洋からもたらされた考え方かもしれませんが、このあたりを盲信している人を見かけることがあります。
まぁ方便です。ユートピアは無いのですから。それは自然界のごとくです。というか人間も自然界の中の存在でしかないということです。
より良い社会を作るためには、到達点は無くて常に考える努力が必要なのだという認識です。

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2017年01月20日

何が重要か

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重要なことは色々とあると思うのですが、何故永瀬清子の生家がここまで荒れてしまったのかは、思うに非常に単純な話なのですが、彼女が一般的には有名ではないからだと思います。
もちろん色々と偉業のある偉人でもありますし、何故?と思われるファンの方も多いのではないかと思いますが、結論を申しますと、彼女の再評価が必要な時期に来ているのだと思います。
この記事の前に、雑ながら「御用文化人」の件について書いていますが、永瀬清子の反省の念は戦後に生かされることになると思います。
実のところ、既に感染の面では問題ではなくなったハンセン病についてですが、迷信や差別は根強く、日本政府は、ここに隔離政策を続けることになります。その舞台となるのは、岡山県の長島ということになるのでしょうが、これについては隔離されている以上、アンタッチャブルな面が存在したと思います。彼女はここに関わることになります。
今現在、約束された状況下では、「これはアウトサイダーとか言って一儲けできそうだわ」とかいう魑魅魍魎な連中も出てきかねないような世の中になりましたが、当時はそうではありませんでしたし、状況は大きく異なったのだと思います。たとえ、そこで詩を教えたりしていても、必ずしも良いこととは思われなかった時代だからこそ隔離されていたわけで、要は触れてほしくないところに出入りする有名人というものは社会においてはありがたい存在ではなかったのではないかと推測します。
世の常だとは思うのですが、それよりは世の中のそういうものを美しく隠蔽したりごまかしたりしてくれる人のほうがありがたがられるというのはあると思います。そして不都合なものは見たくない人が多数派ですし、目立たれても困るのです。
しかしながら、現代だからこそ、この部分についても、もう少し再評価されても良いのではないかと思えるところが多々あります。
というのも、記念館に行っても冊子を見ても、その件に触れているのは一行程度・・何十年も行ったわけですから、ライフワークのような一面もあるように思えますが、深く書かれている資料は非常に少なく、現在でも都合が悪いのかな?とも思える状況を目の当たりにします。
そうでなければ、そういった館等が、それほど熱心でもないのか?そうだとすれば、それ以外の本業の件でも永瀬清子が再評価される可能性は低いのではないかと思えます。
基本的に、岡山県民は個人主義ですし、あまり他者に関心が無い面もあるとは思うのですが、まさか在住の岡山県民に、そのような偉業があるはずもないというような感覚もあったのかもしれません。
とは言いましても、内容的には本来評価されるべきものですし、現在だからこそ読むべき内容のものも多いのが、ここまで関わっての感想です。
現在では読めないような難しい漢字などがあるのも事実ですし、人によっては難しいのでしょう。そして、軽い感じのものは決して多くはありません。
時代に合わないとおっしゃる方もいるかもしれませんが、今の時代は誰がみても自滅路線なので、世の中をみて見習うようなものは大して多くもなくて実にくだらないもので埋め尽くされている感もあると思います。それは、劣化した世の中が見事に証明してくれているので、言うまでもありません。
それでも、やはり、華麗に自滅を隠してくれる方こそが、時代の寵児なのでしょうか・・
こういう時代だからこそ、再評価してほしい人の一人だと思うのです。
それが実現したときは、生家も絶版になった本も、自然に生き続けたり、蘇ったりするような気がするのです。


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高畑勲氏の本

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わけあって、高畑勲氏の本「君が戦争を欲しないならば」をいただきました。この本に書かれている内容は、全般は自身の戦争体験の話であり、最後には憲法9条という「日本人に対する抑止力」という内容で締めくくられています。
基本的にリアリズムに沿った内容ですし、現代の日本と言いますか過去からの日本人の体質の、基本的な変化の無さについて言及されています。
思うに、これはその通りで、戦中等の寄せ書き等に書かれている文面と現代のネット等に書かれている文面の類似性を見ても納得のいくものです。つまるところ周囲の目線が気になる日本人は、あくまでも多数派に合わせるのです。それがおかしいか、おかしくないかについては問題ではなく、それについて行く・・
そして多数派が、いいね!という言葉に同調しなければ、村八分となり、干されてしまう社会についても言及されています。
基本的に憲法9条に対する考え方以外は同じような感じで、ぼくも世の中を見ているのでありますし、ぼくにとっての戦争を欲しないという考えは、グローバル資本がもたらす、超格差社会によるところが大きいのです。そして、残念なことですが、これが進めば進むほど格差をごまかすための地域振興策が行われることこそが、民主主義の崩壊を招く・・いや、もう崩壊しているか・・
ともかく、マスコミと一体となって同じようなお題目の元、御用学者ならぬ、御用文化人によって、人々を同じ方向に動かしている様子は、ぼくには異様に思えます。これも、他者の目線というものを重視する日本ならではの政策ですし、ある種の詐欺行為というものは、必ず甘い言葉や良い言葉によって行われるというのは。普通の人でも本当ならば理解できるはずです。
それでも聞こえの良い言葉に乗ることは「人に良い人だと思われるし、皆そうだろう」と考えるのが日本人で、あくまでも他者の不特定多数の目線こそが重要なのです。そして、それに同調します。西洋人のように、神の目線を第一とした考え方は日本人には無いがためにそれは起こります。神というものは教義があるにせよ、自分がイメージするものですし、それにそって自分の行いが正しいかどうかを判断しているように思えます。

残念なことに、大広告社会である現代では、それを各種媒体に拡散できる、巨大資本こそがイメージを拡散できるのですし、文化人も、あくまでその都合に沿った人間でなければなりません。ぼくは、それを”御用文化人”と呼んでいますが、この流れにいち早く乗った者こそが、より多く巨大資本の代弁者として影響力が持てるという社会に至っているように思えます。
しかしながら、日本の感覚では保守だろうが革新だろうが、これを止めることはできません。それはあくまでも良い言葉ですし、どちらの側も、グローバルな共栄圏をつくることを長年の目的としてきたからで、実のところその言ってることはどちらも自由主義をうたっているように思えるのです。それも流れに流された行き過ぎた自由主義、新自由主義(ネオリベラリズム)というものです。面白いことですが、社民党の方々が、我々はリベラル勢力と言っていることに驚いたこともあります。そして現政権などは、驚くべきポピュリズムに走った超リベラリズムの政権に見えるのです。何事も偏りすぎてはあらゆる維持のためのバランスを失うのは言うまでもないと思うのですが・・

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この本は、高畑勲氏のサインが入った特別なものでもありました。色々とお気遣いありがとうございます。

この本ですが、永瀬清子さんの意見が紹介されています。

いつのまにか一番近い相手を
喜ばせたいのが日本人です(中略)
だから何で食うかが大切です(中略)
頭で食うのはとても危険です
なぜなら世の中が変わったら
自分が自分に頼って云うことがついできず
云えば食えず
いつかもすぐれた詩人も詩で食っていたために
政府やまわりをついつい喜ばせ
それで戦争に組したのです。

つまるところ、言ってしまえば、村八分というのが日本の社会です。
よって、ある種の既得権益に守られた中での発言ばかりが目立つのは右だろうが左だろうが同じことです。

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不特定多数の人の目線による個の支配を表現した「スピリッツ零三」
こちらの音楽は、「きよこのくら」の音楽監督をしていただく、坂本弘道さんです。

中村智道作品 紹介動画 from Tomomichi Nakamura on Vimeo.


そして、過去も現在も日本人の体質が変わらないにしても、ネットというものによって、それは加速しているように思えるのです。

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2017年01月16日

風雨で破損しながらも

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「きよこのくら」のアニメーションは引き続き制作中です。この、永瀬清子の蔵の中を動かすのも一苦労で、10日で3分ほど制作できる勘定です。基本的に、ワンショット3分ぐらいの猶予しかないので、その間にはしごを出して処理して、はしごを担いで撤収、シャッターという感じです。
先日の風雨で、蔵がかなり破損していて、今日はそれの修理をしてからの撮影・・直したり動かしたり壊したり撮影したり、持ち帰ったファイルを編集したりで休みは寝るときと飯のとき程度ですが、いつ崩壊するかも分からないので、はやくどうにかなるところまで撮影しきりたいところです。
明日ももちろん作業ですね・・今編集中

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2017年01月08日

生き物としての「死」

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今日は、術後のウォーミングアップのようなものですが、5時間でなんとか60ショット程度でした。とりあえず、これはアニメーションの一コマということになります。基本的に、アーク溶接機とノミで、徐々に壁を破壊しているのですが、鉄板の壁は、予想外に硬く、簡単には溶けてくれません。アーク溶接機を上位のものにすれば、幾分楽にはなりますが、残念な事に現在の環境では20A以上のコードを引くことはできないため、非常に地道な作業になります。
今後、最低でも、一日200ショットの撮影が必要なため、工夫が必要です。
一応脚立等を使用しているのですが、これをワンアクションごとに撤収して、撮影という形になりますので、非常に過酷な労働ということになります。計算では、200ショット撮るためには10時間以上の時間が必要そうです。それも、もちろん要領を得ればということになります。
帰宅後は、毎回編集することになりますが、これに3時間・・トータルで最低13時間の労働が必要になりますが、色々な意味で酷使することになるでしょう・・
とはいえ、このイメージこそが腐敗のイメージでもありますし、まさに生き物として、生きながら腐敗していくイメージそのものを描くことが、ぼくの重要な役割でもあると思っています。
永瀬清子の泥臭い仕事を表現するためには、ぼく自身も泥臭い仕事をする必要があると思いますし、安易なものではあってはならないと思うのです。
昨今は、口も見た目もクリーンでスマートな仕事が好感を得るのでしょうが、ぼく自身の人生経験を考えても、それはあり得ないことです。そういうのは自分ではありませんし、物事に蓋をして、良いかっこをするのはいい加減にしろと言いたいところです。見えないようにしても、その蓋の下は無残に腐敗が進行していることに気がついたほうが良い。
最終的に、この建物を死に向かわせることで、生き物としての表現をします。
そして、その生き物が見た記憶を表現できればと思っています。
ただの、「物」が無くなるだけの表現では、これから失われていくものたちの尊さを本能的にすら理解できないでしょうし。

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永瀬清子について調べているものの

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永瀬清子について調べているものの、意外に資料が少ないのと、絶版になってしまった本も多くて、あまり読むこともできません。
あと、膨大な撮影と編集のため、時間そのものが無いというのもあります。
今日記事が書けているのも、たまたま手の手術で、作業を禁止されているからであって、明日には作業も再開する予定です。
この企画そのものが、決定から開始まで2週間足らずで始めていて、3月の解体までに先にやらなければならない事が多すぎますし、なかなか人を訪ねる事が出来ないことから、先に素材を作るという方法で制作しています。なので、当然ながら勘に頼ることも多いのですが、ぼくが聞いた断片から得られたイメージというのが、意外にも永瀬清子本人に対して言われるイメージに近いらしく、なんとなくですが、世界観をつかんでいるという気もします。
彼女の実績を追うと、戦後という時代を考えますと偉人と言える存在だと思いますし。農業から詩のヒントを得るというところにも共感しております。
ただ、世界を見る目という点では、ぼくは保守的な人間ですし、基本的には反対の思想を持っていると思います。世界が繋がったとして、どうやって治安を守り、富の再分配をするのか?ということを考えるとき、ぼくには世界の統一のような考え方は無理だというのが前提としてあります。人間はそれには幼なすぎますし、その幼さが加速しているのが今という感じで見ています。現代だからこそ見える事なのかもしれませんが、この世界は色々なバランスによって保たれていて、それが崩れ去れば力のみが支配する世界が待っているという点では、以前の戦前もそうだったのではないかと思っています。戦乱を経験している人からすれば、その状態からより良い方向に引っ張るという意味で、かつての平和的思想は有効だったかもしれませんが、現在では、そういった地球市民的意識は、グローバル資本の餌食になる状態に至っているように思えます。もちろんこれは、永瀬清子さんと、ぼくが生きる時代が違いうからこそ起こる考え方の違いなのだと思っています。その時代その時代で考え方というのは変わらなければ生きてはいけない現実というものが存在するということでしょうね・・より良い判断というものは、本当は、その時代に生きる人たちが色々と考えていかないければならない事なのでしょう。多くの人たちは過去ばかり見たり、それすらも見ず、より軽薄なものを好んで考えないようにしようという風潮すら感じますが・・

ぼくが、永瀬清子という人に対して偉業と感じる部分の一つには、ハンセン病患者との関りというものがあります。政策としては、日本は、その分野では非常に遅れた政策を当時行っていたわけですし、当然ながら差別も根強かった時代に何十年も、長島愛生園に通って詩等を教えていたことです。
記念館に行ったり、本などを読んで思ったことですが、意外なほど、この部分に関しては空白で、書かれておらず、ぼく自身はこの点に関しては触れたいと思っています。
もう一つ思うことですが、永瀬清子とういう人が書いた本も絶版が多く、残るものが少ないということが気になっています。この人が行ってきたことや、人物像を知れば知るほど、何故この人が、それほど有名ではないのかが不思議ですし、現在だからこそ読んでほしい内容の本も何冊かあります。残念な事にそれは古本を探すことになるかもしれません。

生家の蔵は、この撮影をもって消えることが予定としてあります。
ですが、ぼくが思うに、同時に永瀬清子という人の痕跡も消えていくという空気も感じております。
そうならないために、ぼくも何とか頭を使ってみるつもりですが、これは、ぼくという小さな存在だけでは不可能なことでもあります。多くの人の支えがあって、やっと永瀬清子という人が再び現代に蘇るのではないかと思っています。
彼女が師と仰ぐ、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の詩は、たしか、この永瀬清子さんが探し出したものだったかと思いますが、生前それほどでもなかった宮沢賢治が、有名になったのは、こういった人々の活躍があったこともあると思います。
そういう活動というものは地道な継続が必要なのではないかと思っております。

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2017年01月05日

今日は坂本弘道さんと音源の収録でした

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今日はスタジオ化した永瀬清子の蔵の中での音楽の収録でした。写っている人は坂本弘道さんです。
実際の映像もこのような感じになりますが、この段階ではまだまだ素材でしかありません。
ここからが正念場になります。
先日、ご近所に挨拶をしていただいた皆さま、本日協力していただいた皆さま、ありがとうございました。

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2016年12月31日

作品「きよこのくら」関連記事

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映像作品「きよこのくら」の制作に関する記事が、山陽新聞2016年12月31日の社会欄に掲載されています。

制作:永瀬清子生家保存会
監督:中村智道 (映像作家・美術家)
プロデューサー:月影詩歩 (サロン薔薇と迷宮オーナー)
音楽監督:坂本弘道 (音楽家)
詩の朗読:二階堂和美 (シンガーソングライター)

現在の状況としては、以上が決定事項です。
特殊な制作形態のため、色々と極秘で進んでおりますが、来年の完成予定となります。
よろしく願いいたします。


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向かって右から、坂本弘道さん、中村智道、月影詩歩さん 永瀬清子生家前にて
posted by 超画伯 at 16:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 記事

2016年12月27日

一致するものでしょうか?

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永瀬清子の蔵の中から、眼鏡を発掘しました。
ネット上に一致する写真はないかと探してみましたが、1990年2月1日発行の (現代詩文庫 1039 永瀬清子詩集 思潮社刊) の中に、これに近い眼鏡をかけた永瀬清子の写真があるようです。ネット上の事なので、確信は持てませんが、その件に関しては、興味のある方は画像検索していただければという感じです。


posted by 超画伯 at 17:34| Comment(0) | TrackBack(0) | きよこのくら関連
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