2017年03月28日

明日は片づけ

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けっこう怪我もしましたが、蔵内部の仕事は終了して、明日は、一部機材の片づけ・・明後日からは別の装備に再編成
というわけで、結果としては、あまり休みはありません・・
今回は、永瀬清子生家保存会やプロデューサーが壁になってくれたおかげなのか、怪我以外は、これといった煩わしさはありませんでした。ありがとうございます。

しかしながら、プロデュサーには、精神的ダメージがありそうな雰囲気です。
一応、老婆心ながら、SNS等のネットなんぞは、人間もスクリプト化して雑音多数なので、気にせんでも良かろうと言っております。
しかしまぁ、実際ストーカーのような者に襲撃されたこともある経験上から、身の危険を感じるならば警察にでも言っておけば良いのではなかろうか?改正ストカー法なんぞもあるし・・とも言っておきました。これからの証拠として、色々と記録しておくようにとも。
とりあえず、同性ストーカー関連のブログ記事でも・・
http://qa-cafe.com/159.html
同性ストーカー(ストーカ)行為を繰り返すと逮捕?!
・自宅や職場で待ち伏せしたり
・監視行為
・名誉を傷付けるようなSNS投稿
まぁ、SNSでの見栄の張り合いで少々病んでいる方が増えていることは見れば明白ではありますが、実際に何百人も友人と言える人がいる人間はいませんので、そういうの真に受けた権力闘争とかバカバカしいですね。
自分が努力するよりも、他人を落とすほうが楽と感じるのは分からないでもないですが、そういうのは村社会でしか通用しません。精神衛生的にも、その間何時間もネットに貼りついて他人を監視するのも時間の無駄なので、他に有意義な事をすることをおススメしたいものです。
そういう連中が、どういう心理か調べてみたら、面白記事が。。こういうのが該当するかどうかは知りませんが、娯楽までにどうぞ。これ、まとめた人、よほどだな。。

プロデューサーには給料払っていますし、大切なスタッフです。下らない誹謗中傷を繰り返す輩を確認しましたら、それなりの所に出てもらいましょうか・・一言で言えば、制作の邪魔だ、面倒くさい

これから、制作の序盤が終わり、中間部に入っていきます。
今後ともよろしくお願いいたします。

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2017年03月10日

コイネズミヨウム オオハナインコ コボウシインコ 他 一番食園等

最近、というか、以前からインコを飼育しているのですが、いつの間にやらけっこう世話をしている状態です。
思うにチョイスがマイナー路線を走っているのですが、マイナーだけに情報が無いのが残念なところです。
というわけで、飼育や世話の感想まで・・

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濃太郎(コイネズミヨウム)13才 ♂ 360g   誕生日:2004年1月18日
少し小柄でねずみ色が濃いヨウムです。とは言いましても、コイネズミヨウムとしては大きな彼は、小柄なヨウムよりも大きいこともあります。餌は、シードとペレット、野菜、果物ですが、たまに動物タンパクも与えています。
性格は、普通のヨウムよりもラテン的とか言われますが、そもそもラテン的性格ってなんだ?
飼い主のぼくにはベタ馴れですが、気に入らない人に対しては、背後から闇討ちします。そういう性格なわけで、家庭内では確執を起こしてしまう性格の持ち主です。
知能はおそらくヨウムと同等ですね・・別種というよりは、ただの亜種なので・・発語に関して言えば、ヨウムより小さい体が災いして、人間ぽい声とも違います。
当然ヨウムらしく、大変に周囲を観察しており、人間が話す言葉の意味を理解して使うことが可能です。
時々、単語の組み合わせを変えて、意思伝達もします。
つまるところ餌が無い場合は「ヒマワリ無いよ〜」と分かりやすく言いますし。放置したら「ヒマワリ無い!」と機嫌が悪そうに強めに言ったりします。
人が大勢いるところに行くのは平気なのですが、基本的に知らない人は嫌いです。
何よりも鳥が嫌いで、他の鳥たちを憎んでいます。
最近、ヨウムとともに絶滅危惧種として、ワシントン条約のサイテス1に入ってしまいました。仕事が楽になったら登録しに行く予定です。

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緑山(コボウシインコ)もうすぐ1歳 ♂ 230g  誕生日:2016年6月24日
小さなボウシインコです。名前の由来は色が緑であることと、歩き方が四股を踏む力士のようであったため、四股名として山を付けて緑山となりました。
生後一月程度からの付き合いであり、小さいころは病院にもかかって大変な日々でしたが、随分と丈夫になり、立派なヘタレ小僧に成長しました。
他の鳥に蹴りを入れる習性があるのですが、必ず返り討ちに合うのであり、最弱・・二回り小さなインコにすら負けて泣き叫びます。
人が見えるところにいれば安心なのか、多動しまくりで、何も無いところに何かが見えるようで、異世界を見ているようです。
人が見えなくなるだけで大騒ぎします。そのときの絶叫のうるささやらしつこさには防音設備必須と思えるところもあります。
噛み癖に関して言えば、これは鳥を飼育したことのある人で、しつけができる人ならば抑えることが可能です。
しかしながら、突然何かを想像して噛みついてしまうことはあります。
非常に気まぐれな性格で何を考えているのか分かりませんが、美術品鑑賞や音楽鑑賞に興味があり、美的感覚に優れているのが特徴でしょうか・・
発語は案外はっきりしていて、高めの声で数語喋っています。
知能は高いですが、やっていることは非常にバカ・・しかしながら可愛い憎めない性格です。

つづき
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2017年03月04日

死後の世界

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永瀬清子を描くにあたり、自分の考えを進める中でぶつかる考えがあったわけですが、その考えがぶつかる中での、映像的回答というものが生まれてきました。
これは思想信条のぶつかり合いでもありましたが、「死」という表現によって解決することに気が付きました。
「明け方に来る人よ」という詩は、老いた永瀬清子が、死を実感する中で、回想する詩だと言えるかもしれません。現実の世界では叶わなかったことに対して老いた永瀬清子が想いを寄せているのです。
永瀬清子の思想を描く中での「死」については、当初からの想定で、それは最初から組み込む予定だったのですが、これをどう表現するのかは、地球の表現です。
大きく言えば、宇宙から見た地球であり、この日本の中の岡山という土地から見た土着の地球ということになると思います。
「私は地球」という詩から分かることですが、永瀬清子自身が、この世界をその両側から見ていることが分かります。
老いてからの詩についてですが、宮沢賢治という人物を憧れていた永瀬清子ですが、それを考えるとき必然的に生じる、理想である世界が一つになった世界と、土地に生きる民族としての自分という現実の中で、思考がぶつかり葛藤している状態が、永瀬清子の詩としての美しさを生み出していると思います。

現代を見るとき、ぼくは直感的に永瀬清子は現代とは真逆の人であり、だからこそこれを引き受けて作ろうと思いました。
何が真逆なのか・・こういう意味で永瀬清子は硬派なのであり、自分の中で考えながら新しい回答を出そうとしているところにあります。それは相反する考え方をぶつけ合うことで新しい考えを生み出すことに他ならならないのです。

今の世の中は、右も左も「ゆるふわ」だと思います。これを、今よりまともな時代に生きてきた人は、思慮があるならば良しと思わないのだと思います。
例えるならば、自民党参議院のドンとまで言われ、日本会議の生みの親とまで言われる、村上正邦が、政治的には対立する山本太郎を褒めたたえ、安倍総理を非難したというエピソードが分かりやすいかもしれません。堕落した味方よりも、良き敵を選択したということになると思います。
ぼくが重要だと思う点は、まさにこの点で、要は金や人気を得るために、自らゆるくなって、何でも取り込もうとする姿勢を批判したのであり、軸になる敵とぶつかることで、そのプロセスから新たな回答を得てきた人からすれば、あり得ないのが今の世の中であり、それを批判したのだと思います。
こうした堕落した世界は、SNS等を見ても分かるように、人気を得るためだけに思想をゆるめたことで起こったことでもありますし、いわゆる集金をするならば、より多くの人から集めたいという考えからもそうなるのだと思います。
そこで生まれたのが「ゆるふわ」という考えなのでしょう。
節操を失った考えから生まれるものは腐敗だと思います。皆が仲良くなった?否、皆で堕落することは、仲良くなることに繋がらないと思います。堕落した世界はそれを維持しません。
この世の中は、常に考える人たちの意見のぶつかり合いが無ければ、新しい考えは生まれて来ないのだと思います。
結論としては、村上正邦の時代は、彼自身は本物の右翼だったと思いますが、創り出された社会は社会民主主義と言えるような格差の少ない社会だったように思います。
今蔓延しているのは、金や人気を得るために、対立を避けるためには「皆で考えるのをやめよう」とか「みんな一緒〜」とかそういう世界でしかないように思います。

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永瀬清子に関する表現ですが、死後どうなるのかということです。
天に昇るのか、地に帰るのかという表現の違いは、天から地球を見るということと、地から土着のものとして世を見るという二つの考えに繋がります。このうち、どちらを選択するのかということは、「死」をもって解決すします。
体は地に帰り、魂は天に帰るということです。


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2017年02月28日

ファイル数が68000を超えました

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「きよこのくら」制作中なんですが、ファイル数が68774になりました。ほとんどが写真なので、それ以外のファイルを差し引いても68000は上回るでしょうか・・予定通り、10万ショットは行きそうです。カメラもかなりのダメージでしょうね・・持ちこたえてほしいものです。
色々問題も生じているのですが、最大の問題は両手首です・・少し麻痺してるような感じですね。指がある方向に動かないため、タイピングも非常にしんどいです。カメラは重くて片手で支えられない状態・・手首から先の力がとても弱いです。
3月からは、いよいよこの写真によるアニメーションはクライマックスへ・・最後の仕事まで、色々と持ちこたえてほしいものです。

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2017年02月26日

病棄て

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この本は借り物なんですが、現在永瀬清子について調べる上での資料として読んでいます。
もともとは1400円の本ですが、出版数が少ないのか、今では古本で1万円ほどするようです。
手元に置いておきたいのですが、少々高いためこれを読んで返す予定です。
残念な事ですが、ぼくは読んでもすぐに忘れます。実は、読書しても、あまり残らない頭の構造らしく、翌日には多くが消えて無くなっているという感じで、元々あった記憶が頼みになります。何故か、案外知っていることもあるので、そこを繋いだものが残るという感じでしょうか?
たぶん知識としては何かが残っているのでしょうが、半分ほどを読み終えて、何が書いていたのか思い出せないというのが今の状態です。ただ、感覚としては色々と面白いことを書いていたという印象が残っています。
人と会った時に聞かれると、ふいに知識として何かが出てくることがありますので、一応読んでいる意味はあるのでしょう。
感覚として残っているのはハンセン病という病気が、特効薬が出来ていたり、そもそも感染力が弱いにも関わらず、昔から差別の対象となってきたこと、鎌倉仏教等の記述もありますが、この病気に関してだけは多くの宗教家も救いの手を差し伸べなかったことについて書かれていたように思います。
永瀬清子の家は日蓮宗不受不施派だったかと思いますが、それを辿るところの日蓮上人もこの病気に対する断念の記述があったように思います。
それはともかくとして、永瀬清子本人は、長島愛生園に通っています。たぶんその記述もこの本に出てきそうではありますが、最初にこの愛生園に行ったのは別の詩人ということになります。ちょっと今は名前忘れていますが・・

ちょっと脱線しますが、少し前、永瀬清子生家保存会のKさんから県庁時代の永瀬清子の話を少し聞きました。その感じでは、永瀬さんが根っからの平和主義者なのだという印象を受けています。県庁の世界連邦事務局で働いていたころのエピソードを聞きました。
Kさんが「本当に世界連邦とか出来ると思うんですか?」という質問に対して永瀬さんは「私の目の黒いうちには出来ます」とムッとして答えたそうです。それを回想しながらKさんは「若気の至りで失礼な事を聞いたものです」と言ってられました。
ぼくは、基本的にひねくれていますし世界が繋がれば庶民は切られるとの思いがありますので、もしその場にいたならば、同様のことを聞いたのではないかと思いますが・・
こういうエピソードには、ぼくもノスタルジーを感じます。ぼくが子供の頃はそうでしたが、戦争が終わって新秩序が出来てから最近までは、その理念は理想化されて輝いていたように思います。
ぼく自身も金の世界を考えなければ、そう思っていたでしょう。
基本的には日本人には国という感覚はあっても国際主義の感覚は本来弱いいのではないかと思っています。というか、日本の保守思想そのものが、非常に国際主義とは相性が悪いのだと思います。なので、自分が共産主義者や新自由主義者だとして置き換えて考える場合は、日本という国は根の部分では対極の存在であって、もしその立場だとしてら、何らかの対処をしなければならない国という感覚があります。
これらの国際主義的な考え方はユダヤ人発の考え方だと思いますし、言ってしまえば、ロスチャイルドがマルクスに費用を出して、共産主義を研究させてたりしたわけで・・まぁ支配者と搾取される側のポジションは基本的に今の世の中と変わりない世の中なわけです・・こういうところからグローバル的感覚が民族としてぶつかるのは当然のことなのでしょう。かつて共産革命を起こしたロシアは、今は民族派のプーチンを生み出していますしね。
この国際主義的な考えの元では、ユダヤの土俵ですし、彼らは民族を捨てませんが、他は根無し草にならなければならないのが問題です。結局のところ、これが軋轢を生んでしまっているのであって、長年の問題に繋がっていることもあるでしょう。民族主義的考え方は嫌だから国際主義と言いましても、言い方を変えれば、それはユダヤ民族主義に乗っかっているだけとも言えるかもしれません。とりあえず、現在はこのシステムで動いていると言えると思います。
ただこれはぼくが思うことであって、永瀬清子がそれを考えていたということは、長島の件等、生前のエピソードを聞いても、可能性はとても低いということです。
ぼくは生まれた時代も違いますし、見てきたものも違うと思いますので、考え方も違うのが当然です。
ぼくが悩むことですが、ぼくは永瀬清子の意思を尊重した表現をするべきなのか、ぼくの意見を押し通すのかということです。
表現としては永瀬清子を尊重した世界のほうが美しいのは確かなのです。

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2017年02月25日

色々と批判されましたが・・

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日本会議の研究・・
ぼくは、この本を去年のけっこう早い時期から購入していました。
というのも、世の中に、ぼくにとっての嫌な空気が流れていたからからですが、それは安保闘争時代の学生運動臭というか、何か異様な感じがしたからです。
内容としましては、やはりと言いますか、学生運動世代の右派の流れが現在も生きていて、それが拡大しているという事実が書かれているものでした。
話によると、途中で修正されているみたいですね?ぼくのはたぶん修正前のものでしょう。

今はネットというものが存在しますが、ある時期から右派の運動が盛んになってきて、ネットの中はほぼ平定された状態になってしまっていたということです。
ネットの中で、この右派圧力団体はいち早く動きましたが、それまでにマスメディアに圧力をかけてきた左派圧力団体は、こちらでは何もしなかったという印象があります。
結論としましては、ぼくが物心つくころから現在まで、左右はあれ、この学生運動世代が日本を牛耳ってきたという感想です。
かつてですが、マスメディアというものが行き過ぎた左翼思想を持っているのではないかと幼心に感じていたのですが、日本は属国であることを利用して、アメリカに守られながら好き放題言っている・・あり得ないような夢物語ばかりを語っていると感じていて、これに対して否定的な話をすれば、「ファシズム中村」的な批判をされたものでした。中韓はしつこすぎる、仲良くしろと言うが、不可能ではないか?と言っても同様の反応でした。もちろん、支配者であるアメリカも好きではありませんでしたが、ではアメリカも無しで、まともな軍も法もない日本がどうやって生きていけるのかを考えた時、アメリカが弱体化して良いことがあるのですか?という現実的な問題も感じるようになっていました。
良くも悪くも、日本はアメリカの保護下にあったから幸せだったわけで、その中でゴネる状況を見て見苦しいと感じたのです。
個人的にはこれをしたたかと感じることは無く、卑怯と感じていたわけです。
基本的に、このころから保守的な考えをもっていたわけですが、周りからは変人扱いでした。まぁ学校教育でも色々とあったわけで・・あとどう考えても理屈の通らない内容の話とか・・例えば外国に対しても何でも話し合いで解決するとか言いながら国内勢力や類似の団体すら納得させれない状況とか、アメリカや日本に対しては暴力的だったりとか。

そこから考えると、21世紀に入ってからは、ネットの中で同様の考えを述べると、突然、それに賛同するような回答というものが起こるようになりました。この時ある種の変化を感じていたわけですが、ある時期から、あり得ないような中韓に対しての罵詈雑言も聞かれるようになりました。
しかしながら、奴らを殺せとかそういう話になれば、普通に考えれば反発心も起こるわけで、そういう考え方からは距離を置くようにはなります。もちろん、防戦一方だった日本人としてのアイデンティティと言いますか、それがある程度国内で回復されたという意味では歓迎する部分もあったのは確かです。
日本人でありながら「日本人は死ねば良い」とか言う連中に対しては、まずはお前が見本になって死ねと思っていたわけで。

残念な事ですが、ある一方に流された場合、皆流されるというミーハーな性質が日本人にはあると思います。上げ底靴の高さが危険水域に達するまでやめられないみたいなもので、破綻するまでそれを止められないという・・
世の中は以前より右傾化しましたが、世の中の人たちはそれに気が付かないのか、それとも受け入れたのか、日本人がけなされない世の中にどっぷり浸かることになりました。メディアもその方向に流されて、そういう編集が行われるようになったわけです。ある意味居心地が良いのかもしれませんが、それは思考停止にも繋がる危険な道でもあると感じました。この本の表紙にも書かれていますが、社会の劣化を感じずにはいられませんでした。
そこに入ってきたのはグローバル化の加速です。思考を止めたように欧米の財閥のお偉いさんが言ったような言葉が蔓延して、金だけが支配する世の中に・・文化であれ何であれ、数字を出せる者こそが正義の世の中です。その論法でいけば、秋元康などは、日本で最も優れた文化人の一人なのでしょう。

塚本幼稚園 【五箇条の御誓文・教育勅語・日の丸行進曲・愛国行進曲・日本(秋元康・作詞)】
を大阪護國神社での合唱です。塚本幼稚園の悲願の小学校が完成!

話は戻りますが、日本会議についてです。
この団体のルーツは、本書を読む限りでは安保闘争における右派学生運動になるようです。
この時の左派学生運動は過激であり、そのアンチテーゼといいますか、大学のキャンバスを左翼運動家から取り戻すべく「打倒左翼」を掲げた民族派学生運動があって、その中での少数の勝者がこの団体を設立するきっかけになったとのことです。思想としては、生長の家の創始者である谷口雅春の思想を色濃く残している団体ということですが、打倒左翼の色合いが強いために、内容は薄いとの評価が書かれています。
今でもそういった感じのものとしては分かりやすいものが存在するかとは思いますが、思想などはともかくとして、打倒自民を掲げる第二党、民進党などもそういう存在なのでしょう。ぼくとしては、第二党として、内容的にも成長してほしいという感覚は強くありますが。。独裁を防ぐためにもです。

今までも色々と言ってはいますが、行き過ぎた思想の行く先は崩壊のみです。この考えは基本的に変わりません。
対立軸無しではそれを防ぐことは出来ないというのがぼくの考えです。毎度言っている自然界の法則と同じ、生態系と同じように対立軸が無いと生体系そのものを維持できないのと同じ法則です。
では何が行き過ぎなのかといえば、日和見主義的というか、八方美人といいうか何でも都合よく取り込んでしまおうとする現政権です。表面的には保守っぽいというか右翼っぽいのかもしれませんが、政策としては最近では北方領土問題を放棄したのに近いようなことをやったのだし、ある意味これは城の堀を埋めるような話で、平和ボケしていないのであればあり得ないような話のように思えますし、突然「国境や国籍にこだわる時代は過ぎ去りました」というような、保守とは思えないような、グローバリズムに染まる経済系圧力団体のご機嫌を伺うかのような発言が出るわけで、いったい何がしたいのか分からない、本音と建前のせめぎあいも無い、いわゆるその場しのぎの発言ばかりで、色々な圧力団体を納得させては政権支持率を上げて政権を強固にすることだけが目的の集団になっているように見えることです。
まぁ、日本会議の内容を見ても分かるのですが色々な団体や宗教を寄せ集めているわけで、ある意味思想的内容はゆる〜いものなのでしょう。〇〇っぽいでなければ入れない団体も続々でしょう。

この今の政権「安倍政権」は長くはないとは思いますが、今の日本にそこまでの自浄力があるのか不安に思えるところもあります。周囲を見ても、多くの人は意見の対立を恐れています。絶対的な考え方など人間が持てるはずもないのに、嫌われることを恐れてそれが出来ない・・たぶんこれは新自由主義的な理念の中に仕込まれた多くの言葉にそれをさせないような内容が多く含まれているのでしょう。SNS等を見ていると世の中がそのように変化しているのではないかと感じます。漠然としてですが。

最後に、先日からTwitterに流されている動画を貼っておきます。
個人的には、オウム以来の痛々しい動画と思いますが、これを大人がさせているというのは。。
https://twitter.com/GeeGaku/status/835411734043058176
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2017年02月17日

銀河鉄道999に見るリアリズム

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銀河鉄道というわけではありませんが、「きよこのくら」のための汽車を制作しています。もちろんデータですが。

こういうものを作っていると思い出すのは、銀河鉄道999です。

永瀬清子は、世界連邦を夢見て高齢で県庁に努めていますが、時代的なこともあって、ぼくはこれの実現には懐疑的というか、そのミニチュア版とも言うべきEUが終わりかけていることを見ても無理だという考えで、これはそうなる何年も前から言っていたことです。
テンプレのような平和主義者が言う「欧州を見習え!」という言葉ですが、そういう意味では、いったい何を見習えば良いのか、頭の中でどう組み立てても無理なことから、「これは無理な試みです」と言ってきましたし、「新手の戦争準備にしか見えない」と言ってきました。
なぜなら、これこそが、お金と人だけが移動出来て、税制は独立という非常に中世に至る道のり的というか中央集権的というか、お金と仕事があるところ以外は、マンパワーも吸い取られていくグローバル社会の典型として見ていたからです。
この中の富める国だけが、一時的にユートピアを実現したように錯覚する人もいるかもしれませんが、それこそ木を見て森を見ずという感じの話で、周辺国を地方と例えるならば、お金も人も中央に移動したのであり、疲弊した社会が出来上がることになると思います。これに気が付かないように、多くの民衆には成功例や、なんとなく上手くいっている様子だけをマスコミは見せるようになるでしょう。なぜなら、マスコミはスポンサーである富める者を責めることは、本質的には出来ないからです。
世界は、富める者に利するグローバリズムと、ある種の嘘に気がついた人が救いを求めるナショナリズムの争いになると思います。

映画版ですが、999の世界を見ると、宇宙全体が機械帝国によってグローバル化していて、富裕層である機械化人は特権階級であり、永遠の命というユートピアとしては究極のテーマを実現したメガロポリス住民と、その周辺にあるスラムに住む低賃金労働者であり食料でもある生身の人間が存在する超階級社会が描かれています。機械化人は、貴族らしく、英雄の機械伯爵というキャラクターも登場します。
星野鉄郎という主人公は、グローバル化した宇宙の中で、機械の体を手に入れるため、宇宙一豊かなユートピアである機械化母星を目指して、旅をすることになります。重要な要素ですが、一般的な生身の人間は星に縛られて生きていて、非常にその枠組みから逃れることは難しいというのも現代と似ている点です。
つまるところ、運の良い難民のような存在でもあると思いますし。まさしく宇宙市民になるべく地球という狭い星を脱出するという内容です。
最終的に、鉄郎は生身の人間の不幸の元凶に気が付いたことと、無料で機械の体を貰えるとしても、それは機械化母星の部品であり、機械の体を得たとしても奴隷階級というものを覆せないことに気が付いたとき、革命を起こすことになります。
結論としては、鉄郎は人類の側から見れば英雄、機械化人からみればテロリストという存在になると思いますが、ぼく自身生身であるためか、鉄郎目線でこの物語を見ることになりました。
結果として機械化人たちがユートピアと謳った機械化母星は破壊されることになりますが、これに続く続編で、ある種の均衡が破れた世界では、機械化と永遠の命いうユートピアを掲げる勢力と、従来の生身の人間が切磋琢磨しながら生きる事こそが尊いという二大勢力が、宇宙全体で大戦を繰り広げることになります。
生身の人間側から見れば、ここで明かされる、機械化人の永遠の命のカラクリというものはおぞましいもので、生身の人間の魂を食って生きているという現実を鉄郎は見ることになります。そして、多くの機械化人もその事実を知らない。。ぼくは、ここに、ユートピアの本質を感じます。

基本的にマスコミ、特に新聞のように一般層にも購買されているわけでもない映像メディアは富めるものを利するのであり、アーティストもまた映像によって支配されているという現実があります。理由は簡単なことですが、当然ながら映像というメディアで紹介されるほうが、アーティストにとって有利なわけで、それに安易に出るための方法論を望むのは当然の成り行きだと思います。歌手も、美術家も、役者もです。
一つの壮大なテーマがあると思いますが、それは世界が一つになることでしょう。なぜならば、国境を必要としない富裕層の相互会のようなものが自然に発生して、それをイデオロギーとして保持しているからです。税制という国の制度を超えた存在であり続けるためでもあるでしょう。究極的な理想論にも通じるために、賛同されやすいということもあるでしょう。そして、何よりシンプルで、ポピュリズムにもうったえやすい。彼らに憧れる人々は、自分を彼らに重ね合わせて物事を考えたりするでしょう。そして、ほとんど叶うはずもない夢をみます。稀にしかいない例外を見ながら。言うならば、自分も機械化人の仲間入りでもできるかのような。
これに逆らう者に対しては、彼らは本能的に攻撃的になると思います。おそらく理詰めでは勝てない事も承知で、故に人気を得るために多くの民心を得るような美談を語り、問い詰められれば多数派を駆使し封じ込みをします。それに、多くの場合、人は自分を利するために偽善に走ります。貴族でもないのに貴族目線の連中も多くて、より上の層に賛同することも多々あったりします。
世界が一つ・・それで、本当に良くなるのならば、この世界は本当に幸せな世界です。そのような世界をぼくも望みますが、どう組み立ててもぼくの頭ではそういう世界の構築が可能とは思えません。

世界を一つのイデオロギーでくくって、それとは違う人は粛清・・新たな考えを持つものが生まれればまた粛清・・これも現実世界で起こった事実として存在します。更には、そういう世界はいくつも崩壊しました。
そもそも身近な人すら幸せにできない自分たちに、世界の人々を救うすべがあるのでしょうか?
マザーテレサ等の人物も、そういう考えを持つものは偽善者だと言っていますし、その通りだと思います。
現実として、人類にはそこまでのパイは無いということをまざまざと見せつけられます。

ぼくは、999の世界に非常にリアリティーを感じたわけですが、当時も現在も、宇宙の壮大なロマンのようなものとして、この物語が見られていることは非常に不思議に思えるところがあります。
完全な自由な星では、力だけが頼りであったり、特権階級である機械化人にとっては生身の人間は搾取の対象でしかないにも関わらず、生身の人間に憧れられる存在であったり、永遠の命という究極の理想論がもたらす不幸であったり。

この世界に似ている世界がありますが、それは現代の地球でしょう。
ぼくは、この作品の作者が、現代を予言していたとは思っていません。
この世界に似ている世界は過去にもあったのだと思います。
ぼくが知る限りでは、第一次世界大戦前夜〜第二次大戦までの世界です。

何故このようなことを書いているかということですが、それは、自分自身の中にある種の反発があるからです。
永瀬清子が優れた詩人であることに関しては疑いを持ちませんが、ぼく自身も独立した人間であり、自分の考えを持っているということです。
そのような感じで、この世の中には本来無数の考え方があるということです。

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2017年02月12日

今日の14時52分

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今日の14時52分、父親が亡くなりました。
12月に母親が交通事故で、背骨を骨折、それまでは、二人で脳幹梗塞の父親の見舞いに2日に一度行っていましたが、仕事が非常に忙しくなったことと、母親の入院で、見舞いに行けなくなっていましたが、やっと行けるようになって2日目です。
この写真の撮影は、今日の深夜ぐらいでしょうか・・早朝5時ごろに電話あって、朝の6時過ぎに、これの撮影を朝止めて病院へ・・
4年前、天使モドキの動画を完成させる直前の忙しい時期に、母は圧迫骨折で、背骨を損傷・・その入院中も、ぼくは動けずで、その数日後に父親は脳幹梗塞で、その年の3月に倒れました。
それから、母親と、ずっと見舞いを続けていましたが、それも最後になりました。
何かをしようとする場合、物事にはいつも代償というものが付きまとうのでしょう。
今日は午前、救急で手首の様子も見に行きました。というのも仕事に支障があるからですが、父親が入院している宮本整形外科から済生会病院へ。小さな損傷ではありますが、事を進めなければならないので。
最後、父親を看取ったのは兄弟全員でした。

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2017年02月06日

手根管症候群

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日々のコマ撮りのような連続した作業で、手首から先が痛みでうまく動かなくなってしまいましたので、病院に行ったのですが、「手根管症候群」とのことです。+両足膝が炎症っぽいですね・・椅子から立ち上がるのが困難です。

病因

多くは特発性であるが以下の関連は指摘されている。
職業性
アメリカ労働省職業安全衛生管理局(OSHA)による調査にて、反復作業労働に生じることが多いという報告がなされている。”

手根管症候群の主な症状は

指先や親指側の手がしびれる、または感覚がない。
夜中や明け方に、目が覚めるほどの手のしびれや痛みが起きる。
手がしびれてペンや箸が持てない、ペットボトルが開けられない。

まんまですね・・車のハンドル回すのも大変です。
しかし、無理やり動かして温めると動きますが、これは良くないようです。仕方なく動かしましたが・・

手首の痛みから、この2日ほど手を休めていたのですが、これといった改善も無いので、残った重労働を永瀬清子の蔵で・・これは最後まで出来ました。
ですが、その残りがわずかながらも限界で、もうこれは病院に行くしかないだろうということで行きました。
とりあえず、ここまでで、最初の重い作業(チェーンソー等を使用)の連続作業は一旦休止で、ここから1か月は塗料を使った軽めの作業・・明日からはそれなので様子を見ながら作業の継続です。
その後は、これまでで最大の重労働になりますが、なんとかなるでしょう。
タイピングは、かなりしんどいですね・・
あと、足の膝関節も炎症・・立ち上がるのが大変ですね・・

とりあえず、アニメーションの作業ですが、小さな絵を描く作業とは違いますし、同じような動作の反復なので、ある意味計算内の事です。例えば、200ショットであれば、200回脚立を出して上って作業、それを写らないところにしまって撮影。文字通りの反復作業なので致し方ありません。
ここで重要なことは、仕事に変化を出すことでしょう。この症状によって今は出来ないハードワークですが、軽めの仕事を考えることになるのは、ある意味変化が出て、作品そのものにも良い影響があるかもしれませんね。

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2017年02月02日

「きよこのくら」予告


きよこのくら予告 from Tomomichi Nakamura on Vimeo.


現在制作中の映像作品の予告となります。

2017年2月現在、映像作家、中村智道によって、詩人「永瀬清子」の蔵での制作が行われています。
作品名は「きよこのくら」で、実写、アニメーション、ドキュメンタリーが一体化した実験的な映像作品として完成する予定になっています。
制作:永瀬清子生家保存会  監督、撮影、アニメーション、編集、美術:中村智道 プロデューサー:月影詩歩 音楽監督:坂本弘道   声の出演(永瀬清子の詩を朗読):二階堂和美 他


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