2021年09月22日

化学反応か、電気信号か

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結局のところ、今写真などと言われているものは、感光材による化学反応やら、ダイオードが光を察知した電気信号みたいなものをとりあえず見えるような形にして写真と呼んでいるわけだが、その点に関しては、けっこうどうでもよい事だ。
とりあえず、写るということに関して、ああだこうだなんだろうけど、そもそもプロセスそのものがまったく異なるものを同じ名前で呼んでいるわけで、何らかの結論に至るものではなさそうだ。
とりあえず、それが錬金術の類だと思うのであれば、そこに問題は無いのかもしれないが、何らかの真理があって到達する結論があると思っているとするならば、それは一種の宗教みたいなものなんだろうな。
機械を通す前に、身体を通すというプロセスを体験しているとするならば、また違う考えにも至るというものだろう。
最終的に、ものを見るというのはそういうことだ。まぁ、見ているだけなのだ。
間に、写真という言葉、分別、シンボルを挟んでるだけで 。
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2021年09月10日

スナップはじめました

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CANON EOS R / RF 24-70mm F2.8 L IS USM

ここ数年、体調不良などでサボっていたのですが、やはり写真を続けるということで、スナップ写真ぐらいは撮らないといけないと思いました。
なんですが、暑い時期と寒い時期は減ると思います。弱いんで申し訳ありません。


スナップを撮っても使い道とかよく分からないんですが、ぼくの関心事項に自分で気がつければという自己探求でもあります。
なんか傾向が分かれば、こういうのも作品化出来るのかどうか?
気力があれば、その日のうちにアップ、とりあえず無理のない形でやっていきます。
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2021年08月28日

少しばかり頑張る必要がある

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CANON EOS R/CANON LENS FD 50mm F1.4

体力を散々奪ってきた制作だが、ここにきて、また少しばかり頑張る必要を感じている。
作品の作り方は知っている。おそらくは、知識では得られないものを掴んでいるのだから、多少の身を削れば、まだそれなりの強度の作品は作れるだろう。
ぼくの時代は、子供のころはまだ根性論の世界だったが、そこに自閉症スペクトラムが入り、それに邪魔をされる事で、非合理ながら、心の歪みのようなものを得ている。たぶん、それがぼく自身の個性なのだろう。どう考えても無駄が多いのだが、壁を超えようとする精神だけは異様に強くなった。
出来ないことがあまりにも多かったからだ。
たまたま得た、想像力だけで、物事を見れるようになってきている。無限ではないが、まだまだ限界は上がっているように思う。脳というものは面白いものだ、色々な力を隠し持っていて、ほとんどの人は、それに気がつく事もなく一生という時間を過ごしているように見える。
無駄な努力を多くしてきたが、もう少し頑張ることで、無駄ではなくなるかもしれない。その無駄こそが作品を作り出すための養分になっていると思う。頑張らなければ、それに意味を見出す事などできない。
もっと楽な方法があることも知ってはいるが、残念ながら、幼少期に身に染み付いた性格で、それが出来ない。今風に言えば、ただの馬鹿なのだろうが、実際のところ、最後に壁を超えるのは精神力でしかない。
作品に関して言えば、何を作っても陳腐に見えるようになった。けど、それが良い事も気がついている。ちょっと良いぐらいで、それが良く見えてしまっては、それ以上のものが作れないからだ。
淡々と身を削りながら作り続けることで、それなりの作品は出来る。
不利な状況である事は、作品には良い事だ。平穏な時期に思いつく事は少ないし、弱い。だから、それに甘んじれば、所詮は他者のパクリにばかり陥る事になる。
只のオタクの話もいらない。やはり時間の無駄でしかないし、後に生きる無駄ですらない。
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2021年08月12日

ひたすら写真いじり

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やはりなんだが、作品にとって重要な事は、使っているメディアでは無いだろうと思う。写真というのは手段でしかなく、「何を表すのか?」が重要だと思う。
個人的に恐れるのは、オタクイズムに走る事だろう。基本的に、どんなジャンルであれ、ダメにするのは、マニアの類というのは、これまでにも何度もあった事だ。なので、写真作品を作るという意識で作る事は、ぼく自身の創造性を大きくスポイルするものになるだろう。本来ならば、作品というものは広い視野で作られて良いし、狭くする必要性はどこにもない。
どんなジャンルであれ、オタクイズムに走った作品というものは、これまでに見てもないのに「あ〜またか」というマンネリ感が漂っている。新鮮さが無いから、すぐに見極められてしまうわけだ。
初めて見るジャンルなのに、マンネリ感を感じてしまうというのも、けっこう凄い事だが、人間のキャパそのものに限界があるのだから、そうなるのは致し方ないのかもしれない。
そういう時は、思い切って、別の事をやるのも、一つの手だろうと思う。個人的な経験だが、ある一つの事をやって、新たな発見をするというのは非常に困難な事だ。知識を得るならば、異ジャンルであるほど良い気がする。
個人的に思う、最も重要な類のジャンルの一つは、哲学だろう。これがあれば、様々な媒体で作品を作る事が可能だ。それが無ければ、どんなジャンルであれ、前例を見なければ、作品は作れないのだ。そこに、二次創作ばかりが発生することになり、作品は、しまりのないものになりがちになる。
写真やアニメーションをやっていると、初見でオタクと思われる事は多々あるが、パートナー曰く、ぼくにはオタク要素はゼロらしい。特に何かにハマって、そればかりに熱中することは無いわけだ。ただ、多動なので動作量は多く、ひたすら色々な情報を取り入れて、飽きたら別のジャンルの情報を見ているという感じだ。飽きてまで、一つの事に固執する必要は無いと思う。なんと言っても、取り込みの効率が、非常に悪くなるわけで。
尚、上の写真は、作品とは何の関係もありません。
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2021年07月27日

写真でも撮りに行きたい しかし雑念に対する雑念がなぁ。。

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ここ最近、PCで作業ばかりしているわけですが、たまには写真でも撮りに行きたいものです。カメラを眺める事はやっているわけですが、事務的な写真以外は撮っておりません。
実のところ、自己満足で写真を撮り続けていた身としましては、それを習慣で続けたいというのが、深層心理の中にあるような気がするわけです。なんですが、ただ綺麗なだけの写真を撮るというのも、その時は良いのですが、後で、無駄な時間だったなぁ。。と思ったりで、後味の悪さというのも出てきてしまいました。雑念の雑念とでも言いましょうか。なんだか残念な気がします。 貧乏性でしょうか?普通に楽しめば良いんじゃなかろうか?

最近、カメラには冷静になってきて、最新機種に興味がなくなってきたのは、良い傾向です。なんと言っても、写真、全然変りませんから。。冷静になってきたんですかね?

最近は、SNSもやらないわけで、リア充アピールも必要ありませんし、なんかそういう事をやれよという同調圧力もありません。
というわけで、こういうブログの垂れ流しというのは、良いものだなと改めて実感です。
そうですね。。何かを忘れないための備忘録とでも言いましょうか。
とりあえず、良いも悪いも付かないのは良い事です。ぼく自身の純度が高まろういうものです。
ネットごときに使われるのもなんですし、そういうのから離れると、案外自分を見つめる事ができるもんです。

とりあえず、写真でも撮りに行きたいなぁ。。とか。飽きたら撮らなきゃ良いだけですし。
ただ、頭痛や体調不良で、思うように出来ないのは残念ではありますよ?そのしんどさのおかげで、考える事や、動く事が、如何に大切だったのか?と気付かされるのは+ですね。案外体調が良ければ、「何時でも出来るわ」と、過信して、相変わらずダメなままで過ごすかもしれませんし。
posted by 超画伯 at 03:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 写真日記