2021年12月25日

フリーRAW現像ソフトdarktable の記事を書いてみた

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たぶん、フリーのRAW現像ソフトでは、RawTherapee系ソフトと双璧だと思われる、優秀なソフト、darktableについて記事を書いてみました。

DxO Photolab + darktable でRAW画像編集

ものすごく細かい編集に向いていると思いますので、時間をかけてじっくりRAW画像を弄りたい人は是非。


EOSM0245.jpg
使用前


EOSL0245_DxO_00.jpg
使用後

しかし、本当に、色々なソフト使うよね・・好奇心と飽き性の問題でしょうか?

posted by 超画伯 at 20:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 写真日記

2021年12月22日

フリーのRAW現像ソフト ART についての記事

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ARTっていう、RawTherapee 後継っぽいソフトが出てたので、少々書いてみました。

フリー現像ソフト RawTherapee 後継? その名もART


K_1N6137.jpg
使用前


K_1N6137-1.jpg
フリー現像ソフト、ART 使用後

個人的には、フリーソフトどころか、RAW現像ソフトとして最強だと思いました。

posted by 超画伯 at 21:52| Comment(2) | TrackBack(0) | 写真日記

2021年11月19日

帝釈峡

645Z2437_DxO.jpg
とりあえずなんですが、帝釈峡など行ってきました。
一応仕事で、これはボツ写真ですね。もう少しマシな設定で撮ってるのもあるから、電線消そうかな?ホント観光地はこういうのが駄目ですよね。秘境に行きたい。
使えなくもないのですが、なんというか、余計なものが写ってるなぁ・・と。
クリックすると画像拡大しますよ。

DJI_0524_DxO_DxO.jpg
これは、小さなセンサーだからなのか、画像がうるさい気がします。
現像でなんとかしてみようかと思います。

645Z2410_DxO-1.jpg
これも帝釈峡で、橋の上からですかね?
紅葉というよりは、既に枯れ葉?
そうだとすれば、もう少し気温が下がったほうが面白いかもしれませんね。
しかし、今日は暑かったわけですが・・

久々に風景など撮ってみたわけですが、やはりズームレンズだとイマイチですね・・面倒くさがらず、単焦点でいくか・・
posted by 超画伯 at 22:38| Comment(2) | TrackBack(0) | 写真日記

2021年11月18日

風景でも撮りに行ってみる

とりあえず、ごく普通の風景でも撮影してみようかと思います。
基本的には、海とか山のような自然は中判機やフォビオン機、街中スナップなどはフルサイズかAPS-C機という感じでしょうか?
明日は、試験的に帝釈峡にでも行ってみる予定です。
毒気も無く、個人的には作品性もそれほどでもないものを淡々と撮ってみます。
商品と作品は別物なので、例えば写真を撮るならば、前者のほうが、ほとんどの人にとって重要な事は間違いありません。
個人的に、日本、特に地方は、作品と言ってもおそらくは理解は出来ないでしょうし、特にですが、まちアート等で、作品とはそういうものだという意識が植え付けられています。ネオリベの成れの果てではあると思います。世の中が衰退に入っていることを理解しなければならないでしょう。
本当は、それは問題があるわけですが、おそらくは、ぼくの作品のほうが、間違いなく問題とされるわけで、そういうものはそういうところで見せないと理解はされないでしょう。
ただ、今の世の中の状況で、そういうものが維持されるのかどうかは微妙なのかもしれません。個人的に研究にとどめようと思っております。
作品としては、映像回帰も良いのかも?とも思っております。
posted by 超画伯 at 22:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 写真日記

2021年09月22日

化学反応か、電気信号か

K_5S9945_DxO.jpg

結局のところ、今写真などと言われているものは、感光材による化学反応やら、ダイオードが光を察知した電気信号みたいなものをとりあえず見えるような形にして写真と呼んでいるわけだが、その点に関しては、けっこうどうでもよい事だ。
とりあえず、写るということに関して、ああだこうだなんだろうけど、そもそもプロセスそのものがまったく異なるものを同じ名前で呼んでいるわけで、何らかの結論に至るものではなさそうだ。
とりあえず、それが錬金術の類だと思うのであれば、そこに問題は無いのかもしれないが、何らかの真理があって到達する結論があると思っているとするならば、それは一種の宗教みたいなものなんだろうな。
機械を通す前に、身体を通すというプロセスを体験しているとするならば、また違う考えにも至るというものだろう。
最終的に、ものを見るというのはそういうことだ。まぁ、見ているだけなのだ。
間に、写真という言葉、分別、シンボルを挟んでるだけで 。
posted by 超画伯 at 23:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 写真日記