2014年11月18日

作品”スピリッツ”展示について

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大勢の共通項によって得られる結果をほとんどの人は既に見ていると思います。
TVのバラエティー番組等がそうですが、現在のコミュニティーアートに関してはどうでしょうか?
少なくとも、それをアートに求めるのはどうなのでしょうか?
個人的には、そういったものはデザインであったりするわけです。
ここでは、”文化で地域ににぎわいを!”と書かれています。
それはそうでしょう・・その箇所にはアートと言う文字が書かれていないのだから、そうだとしか言いようがありません。

このイベントに参加するにつき、まちアートマネジメント講座の受講生たちと対面することになります。
おそらく、現在のコミュニティーアートに関しての疑いがある人は少ないだろうと思います。
このイベントは、彼らによるキュレーションによって作家が選ばれます。
何度かの対面で、彼らから表と裏のテーマが投げかけられました。
それによって、ぼくの作品の方向性が確定されます。

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表には従来どおりの、当たり障りの無い作品が展示されます。
年々その傾向は顕著になり、多くの人の共通項から得られる回答らしきものが並びます。日常性からかけ離れた作品や、いわゆる定番の問題提示以外の新たな問題提示等は皆無で、いわゆる考える要素というものは希薄になってきています。
これは、こういう環境化ではありがちな現象かと思いますが、ネット以降顕著になってきていると思います。
いわゆる思考停止のプログラムのようにも思えますし、それによって問題に蓋をして考えないようにする・・いや、自然にそうなるから、サブリミナルのようにTV等でも繰り返しアートという言葉が流れ、行政、企業も関わり、低予算で可能なことから、実施しやすい社会実験のようにも思えます。
美しいもの、言葉を蔓延させることで、ことお互いに監視されがちな現代では、驚くほど表上の不満の声は聞こえてこなくなりました。コミュニティーの格差は広がり続けているにも関わらずです。この点には、新自由主義(ネオリベラリズム)の影が見えることは否めない感じを受けます。
美しいとされるものには免罪符が与えられ、その存在そのものに疑問を投げかけることは一般には避けられます。
ここに問題を投げかける実験と、個人的テーマを合わせて作品を発表することにしました。
これからアートに関わろうとする受講生に見てほしい想いもあります。
これは、ぼくなりの思考停止解除プログラムでもあります。

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ぼくの作品は、表通りの裏にあり、展示スペースとしても、最も荒廃したものです・・それそのものは珍しいものではないですが、表との対比でイベントそのものを現在の表現における表と裏・・現在のシーンの縮図になるように作品を考えました。

つづき
posted by 超画伯 at 01:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2014年11月07日

まちアートマネジメント講座

岡山県の事業
まちアートマネジメントで
に参加します。
久々のアートイベントの展示で、ぼくが統治のためのアート、問題を封印するためのアートと批判するコミュニティーアートのジャンルで、その育成講座での発表となります。
よろしくお願いいたします。
posted by 超画伯 at 16:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2014年10月26日

コミュニティーアートについて思う

多くの創造者は消えつつあると思います。
作品を見てみましょう・・多くは目に見える形で角が落とされ、何の当たり障りもないものに変わりつつあります。
本来ならば、新たに生み出されるものには、その中で生き残るための暴力性や主張に目を向けさせるための異常性というものが含まれるものがあると思います。
そういうものはコミュニティーにはふさわしいものでは無いと淘汰されていきました。
こういうことを言えば、嫌がらせが良いのかと単純に捉える人もいるかもしれません。
当然ながら、ある程度の配慮は必要だし、単純な嫌がらせのレベルではどうしようもない・・
それよりも、角が落とされた表現?の集合体には、それこそ危険性があると思います。
実の所、それは洗脳であって、徐々に人々から疑問を奪い、社会がどうしようもなくなった時にリセットする力をも奪う行為だとも思えるのです。

つづき
posted by 超画伯 at 22:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2014年09月26日

デジタル疲れる

ここ何年か、すごくデジ物の競争に巻き込まれた感じだけど、基本的に出来ることはあまり変わらないですね・・
最近目が疲れて悪くなったこともありますので、アナログの作業が非常に楽しい・・
一応デジタルも身体的な作業の結果出てくるのだけれども、あまりそういう感じはしないのは悲しい所で、自分でも愛着のあるものを作りにくいです・・
デジタルのほうが良い面が多いから、デジタル化したんだろうけど、実の所アナログの方が好みではあったりします。


つづき
posted by 超画伯 at 11:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2014年09月24日

おかしいと思う

ここ最近、あれを言わない方が良いとか、これを言わない方が良いとか、さんざんそういうことを言われるようになりました・・
何故言ってはいけないのだろう?
そういえば、世の中に出回る作品にも主張は感じられず、ありそうなものも、馬鹿な左翼の使い古した蓄音機のようなお題目だけ・・つまるところ、それは言って良いことになっていて、公認ということでしょう・・主張と言うよりは受け売りとでも言っておきましょう。
それは保守的な行為であり、彼らのほうが何故か保守的なのだと言えるかもしれません・・
疑問に思う方は彼らを問い詰めてみると良いと思います。人や世の中を責めますが、事の真相を知らず、結論と言えば「誰かが言っていたから」その程度回答が遠回し得られると思います。裏をとれるまでの検証もせずに騒いでいる感じです。
自分で考える?否、考えたというよりは過去の心の偉人の言葉をそのまま述べていると思います。自分たちの世界で言えば、心の師匠の言葉の受け売りでどや顔してる人と類似しています。この類は基本左翼思想などに染まりやすいのだと思えます。この現象は思考停止と言えるかもしれません。
当然そういうのも言ってよいとは思いますが、現実世界で生きてきての結論から出される言葉とはとうてい思えず、受け売りであり、もはやレーニンも言った左翼小児病とかその類に見えます・・思うに、言論の弾圧はこの類の連中にもたらされることも非常に多いと思います。
少なくとも、作品においては不都合な現実も言うべきで、それが現在のモラルに反するとしても、事実であるのだから・・と思うことがあります。
はっきり言うと、綺麗事によって表現が大きく制約されるという事実があるということです。
それが、世の中を保守して維持するものならばまだ良いとも思いますが、今話題になっている朝日新聞・・あれは左翼としての綺麗事を述べようと思っての捏造か創作の類だと思いますが、結果としては新手の戦争準備をしているだけで、平和を望んでいるなどとは微塵も感じられないわけです。
連中は国民を煽れば誤った道を進むと散々言っていますが、他所の国民を煽っても同じような結果が得られることを理解していないと思います。
仮に他所を煽っても問題はないと思うのならば、自国人には性悪説、他国人には性善説を適用しているわけで、これは一種のレイシズムのようなもので彼らが批判していることのように思えます。これはダブルスタンダードだと思いますし、実際行っているわけで、悪を作っていますし、反日行為とも反日本人行為とも受け止められます。
少なくとも、数年前までは、事実の検証を言葉に出すだけでも弾圧されるような事態があったことを忘れてはならないと思います。
これで世の中が変わるのかといえば、そういう感じもなく閉塞感は続くと思います。
今(だいたい戦後)の言論弾圧というのは、国家とかそういうレベルでの話ではなくて、集団的な無意識的な行為のものが多いために、そう思えるわけです。
posted by 超画伯 at 23:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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