2020年10月23日

Ants 褒められる

なんか、今日、すんごい褒められた。
というか何人からか、すげーすげー、作品ヤベー、写真かどうか以前に表現としてスゲーと言われたのだけど、そういうの大好物です。躁状態のとき限定かもしれませんが。
普段は、褒められたら、余計に落ち込んだり、自分でも、なにがなんだか分からないわけですが。。今褒められたということは、運を使い果たした、明日は悪いことがありそうだとか。
そういう確率論で言えば、脳梗塞なったから、絶対良いことがあるけどね。

というと、パートナーが、だいたい全体的に満たされてるときしか、そういう承認欲求みたいなのが作動しないという話を。
なるほど、躁状態は確かに満たされてるね。錯覚だけど。

しかし、ああいった作品で元気になりました!と何人かから言われたのは初めてかもしれない。
そういう意図というか、何かしら社会的に追いやられた経験のある方には分かるメッセージ送っていたといえばそうですが。
ある種の日常の視点とか、社会的隔離に対する、ちょっとした抵抗とか。怨みも、悲哀も含めた人間としての喜怒哀楽と言いますか。
腐れ新自由主義に染まった意識高い系クソセミナーとかで、喜と楽以外消されようとしてるからな。生きることを悩んでる皆様が病気なんじゃなくて、社会が病気なんだよ。悩んでるっことは考えてる。考えてるから人なんだよ。学名の語源にもなってる。

まぁ、ぼくなんか、しおらしくすれば、隔離の対象ですよね。でもまぁ、その枠に隔離されるのはご勘弁という感じです。隔離された皆と、お手々繋いで一緒にゴールとか、まじ勘弁。
posted by 超画伯 at 23:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2020年10月19日

分身

友人と七五三の写真を神社に撮りに行ったのですが、残念なことに神主に怒られてしまい、その場の空気が悪くなって、こわばった顔に撮れてしまったような気がします。
残念です。

まぁ、他できちんと撮れてるから良いわけですが、個人的にもやはり神社の印象が悪くなり、なんとなく、ただのキモい空間になってしまいました。
なんというか、霊的なところの印象が悪くなるというのはキモいもんですね。

まぁ、神様とか信じてないし、そもそも、そんな良いものがいるなら、なんで学習力だけ極端に低いような自閉症で生まれてくるわけよと。
思考回路のほうは普通に与えられ、どんだけ苦しんだことか。
まぁ、そういう人間以上のモノを呪うのも神を信じるに等しいわけで、当然ながら、そういう生まれの問題は、偶然の産物だと思っています。というか、母親からもらったものなのかもしれませんね。遺伝子というデータのインストールとかで。母親は、最近、ほとんどすぐに物事を忘れますが、ぼくも確実にそれに近いです。想像力のおかげで、自分の過去の予測はつきますが、最近衰えてきてますね。

ぼくが、もっとも覚えが悪いのは言語です。漢字も書けないし、話になりません。ですが、世の中は、数字と言語で構築されているのかもしれないという不安。
神はいないとしても、ぼくをプログラミングしているというか、ぼくが生まれるまでの起源を作り出した存在は否定できないでいます。ただのゲームとかのキャラクターにすぎない可能性も否定出来ません。
ライフゲームのようなものがひたすら進化した結果、ぼくや、この世界の生命的なものが生まれたことも否定出来ません。SFとかの妄想かもしれませんが、神を否定し、想像を開放するならば、この世界の危うさなどは、必ず想像するものではないでしょうか?人が神を作り出す理由はそこにあって、心の平穏と思考の暴走を防ぐためにそれは必要だったのだと。
あまりにも、数字と言語というものは、都合が良すぎるわけです。

最近考えるのは、この衰えた体を自動化させることは出来ないだろうか?ということ。自分の思考の分身とはいかないまでも、サポート出来るプログラムを作り出すことに興味を持っています。
自分をひたすらインストール、そして反復学習させることで、ぼくの仮想的なコピー人形を作り、それが、ぼくが納得できるイメージを作り出せるようになるまで教育すること。
現在の技術程度だと、その程度のものであるならば、心を宿すなどは到底無理だろうと思いますから、それは罪深いものでもないでしょう。
ただ、それは、ぼくが人生で克服出来なかった、言語が必要なわけです。
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2020年09月26日

山下清感が漂うと言われる

複数人から、山下清っぽいと言われてしまっています。
絵柄ではありません。風貌といいますか、雰囲気に関してです。
いや、似てるか?
言われるたびに、いや、似てねーよと言うわけですが、何人目かに言われた時点で、もしかして似てるのか?と意識してしまいました。
つまるところ、パンツ一枚で、外歩いてたりしてても違和感が無いとか、そういうことらしいです。
そもそも、靴が似合わないらしい。何も履かないのが良いと。
いや、皆、ぼくを何だと思っているんだ??
パートナーは、似てるといえば似ていると、、というか、おにぎりを食べるとかではなくて、おにぎりそのものだそうです。
でも、山下清よりは男前だという評価で終わりました。
posted by 超画伯 at 03:06| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2020年09月24日

新聞取材

近日中に、新聞社の取材があることになりました。
キヤノン写真新世紀2020 グランプリ個展に関してとなります。
ここ数日、寝てばかりでしたが、やはり寝るとある程度回復しますね。
たぶんなんですが、ここ最近の気圧の変化が良くないらしく、雨が降り出してしまうと、少し楽になりました。
その件も重要なんですが、これから、色々と重要な書類を仕上げていく必要があります。そろそろ、同時に他の方面でも動く必要があります。
今年は、コロナで、いちいち大変なんですが、もはや、色々と習慣化してしまったので、色々と動けるのではないかと思います。

現在作っている作品に関しては、自信があります。
色々ありますが、必ず良い方向にいくと思っております。

関係ありませんが、そろそろ彼岸花が咲く季節です。
個人的に、花とか、あまり撮る趣向はありませんが、この花は別です。
体力失っているので、花でも撮って、体力つけてみます。
posted by 超画伯 at 23:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2020年09月20日

ドイツ映画祭2020in真庭 嘘つきヤコブ 見に行きました

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何か動かないとと思い、真庭まで行きました。
途中崖崩れがあって、随分と遠回りして、行くのに4時間ほど・・いったい何キロ走ったんでしょうかね?

それはそうと、上映時間には間に合いました。
見た作品は、「嘘つきヤコブ」という映画です。今は無い、東ドイツの映画ですね。
こういう大きな画面で映画を見るのは、ものすごく久しぶりで、岡山映画祭以来なので二年ぶりでしょうか?
体力が無いので、2時間とか見るのは疲れるので、行かなかったわけです。
作品を見た結論を言いますと、とても良かったです。

舞台は、第二次大戦中のゲットーで、主人公のヤコブが、あるきっかけから嘘をつき、それを機に嘘をつき続けるという内容。
ですが、この嘘は、決して悪意ある嘘ではなくて、人々に希望を与えるものでした。というところが作品の面白さで、人々は、その嘘に乗っていきます。うすうす気づいている人も、もちろんいるわいけですが、それでも、極限の状態では、人は嘘でも信じたいわけです。

ラストは、周知のとおり、ゲットーであった、いわゆる容赦無い現実の世界。バッドエンドと言えるかもしれませんが、短い間、人が生きる中でも、その嘘には意味があったのか?ということが問われるような内容。生きることと希望の兼ね合いといいますか・・
1974年の映画ですが、人の心というものをよく描いている感じです。というか、まだ、戦争経験者が多いからこそ、描けた内容ではないかと思いました。伝わるものが違うわけです。

映像について思ったことは、まず4:3だということ。とても四角くて、いわゆるSDサイズとかと同じ比率。写真でもスマホやカメラ等、最もメジャーなアスペクト比です。
最近の映画は、アメリカの都合とも言えますが、16:9以上の横長が普通で、画面としては、横を広く見る感じになりました。
4:3は上下が広いので、けっこう上のほうもチラチラと見ます。ぼくは、こちらの比率が好きだったりします。
写真でも、3:2よりも4:3のほうが好きです。3:2は、個人的には長すぎる感じで、特に縦にした時に違和感を感じます。

まぁ、それは個人的な感覚なので、良いとして、映像的にも細かい所まで描けていて美しい、もちろんカラフルなわけではありませんが、その汚れた街の風景が、とても美しいと思いました。

終わった後、主催側の黒川さんと少し話をしました。
素直に、とても良かったと答えました。
この映画を見たのは、たまたまで、ねらって見に行ったわけではなく、行けるのがこれだから見たわけですが、事実上、この映画を紹介してくれたのは黒川さんなわけです。
真庭という県北の小さい街で、このような企画をされるのは素晴らしいと思いました。
posted by 超画伯 at 23:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記