2019年12月07日

自分の時代

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ざっと世の中を見ていくと、多くの人は自分の時代に生きていると感じます。例えば、自分が一番輝いていた時代だったり。そこから抜け出すことが出来ず、同じことを続け、時代についていけなくなると言いますか。

ぼくは、学習障害のせいなのか、過去の自分が何をしたのかについては、さほど感覚としては残っていません。あと、ぼくの人生は、あらゆる意味で自信を奪われるものでした。だから、確固とした自信を持つような出来事が無かったわけで、常に自分を疑ってきました。感覚としては、何時でも足元をすくわれるという感覚がこびりついていて、そこから抜け出すことが出来ません。

今は色々な事が出来るようになって、よく考えたら、何故足元を救われるような所にいるのかについて疑問を持つようになりました。以前よりも自己価値が上がったのかもしれません。考えてみれば、ぼくは自分をわざわざ不利な状況に追い込む癖がついていました。最近何度も自分に言い聞かせる事ですが、自分の有利なポジションで戦う事。不利な事をしなければ、ぼくはこの世の中でも有利に戦えるのではないか?そう思うようになりました。
ただ、若いうちは、自分の不利な状況で戦う事は、自分を鍛えることになるので、重要な事だと思っていました。若いうちから有利なポジションで戦えば、その時代が終わると、ぼく自身が終わってしまいます。そのための筋トレのようなものだったと考えることも出来ます。

現在、この世の中は成熟せず、幼稚になってきていると感じることがあります。というか社会そのものが老いたという印象です。それが認知症のようになって、浅い表現があふれかえっているように感じます。サブカルをメインカルチャーにしてしまっている現状も、もはや新しいものを受け入れることが出来ず二次的なものを何度も使いまわすしかないという、老化にも似た現象のようにも感じます。つまるところ、新たな事をするという感覚が社会に無いという感じかもしれません。この社会で、新しいものを作り出すのは困難だと感じます。
いわゆるアートと名乗るものまでがそうなのなら、社会における模倣というものは、おのずと許されるわけですが、その考えが蔓延することで、時代の流れに、この日本という社会が、ついていけないという現象が起こると思います。
模倣して魔改造すれば良い?今の時代の流れは速く、それをやっている間に、外の社会は、次の段階に進んでいるのではないか?と思えてしまいます。ですが、たぶんその考えを変えることは困難だと感じます。ぼくは田舎の社会に流されなかったというより、社会に馴染めませんでした。ぼく個人が、世の中に馴染むことも諦めましたし、世の中の心配はやめたほうが良いのかもしれません。

とりあえず、ドローンなど購入しました。
posted by 超画伯 at 23:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年11月30日

動けない

今日一日休むも、まったく楽にならず。
そういえば2ヶ月、頻尿と下痢が治らない。あと、嘔吐も酷い。この一月は、なんとか体も持ちこたえてくれたましたが、11月中盤からが酷い。
責任上、写真展では、トークをする必要がありました。そういうところまでは、人間、脳内物質で持ちこたえるわけです。ですが、そこを境に、今までの蓄積された疲労が現実の感覚として出てくるのです。
大して動いていないはずなのに、それでも駄目なわけです。
5日間寝ましたが、回復もなく、先日の審査で、また倒れました。
冬は、ぼくにとって厳しい。夏も駄目で、今年の夏は寝てばかり。ですが、冬は、ぼくにとっては更に厳しい季節です。
ですが、入院はしたくありません、入ると出られなくなります。出してくれないのです。ぼくは、作品を作りたい。
posted by 超画伯 at 22:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

ほとんど記憶がない

今日というか先日あった出来事に関して、ほとんど覚えていません。学習障害が進んでいます。たぶん、ぼくは無茶苦茶話しました。岡山ショートムービー祭での話。
ぼくは、人が言うことを学習出来ないので、シネマファクトリーの吉田さんが助けてくれました。行動の手助けがなければ、ぼくは動けなくなりました。彼女は、かなり気遣ってくれたと思います。理解もしようとしてくれていました。
目の前で話されていることも一瞬で消えていきます。自分で出来ることは、感覚だけが頼りです。もはや、想像の世界の方が、現実の記憶を上回ってしまっています。何故か、想像の世界の記憶は消えないのです。耳も目も通さないからなのか。
想像の世界は、たぶん、ぼくにとって一番嫌な時代の記憶がベースになっています。生き物として、生存に関わる部分だから、本能的に覚えているのだと思います。
考えてみれば、ぼくはおかしい人間だと思われてきました。社会の中で浮いた存在。自然に、ぼくにとっての世界は、ぼく対社会という構図に仕上がっていきました。そこに感じていたのが巨大な力です。ぼく対圧倒的多数、この世界に知覚出来るものは圧倒的すぎます。ぼくの意思は、この体に勝てない。結局のところ人と同じように出来ていなければ、相互理解も無いわけです。理解しようとしたけど無理でした。
抗うことが出来ない最大の力が死です。そしてそれを避けるように塗り込まれている本能。ぼくは消えたかったのに、あの恐怖と苦しみを味わうのが嫌だ。
不安を和らげるために、ぼくと同じ言語を話す人に回答を求めたいと思いました。ずっと会えなかったので、ぼくが、それを求めたのは、ヨウムの濃太郎でしたが、彼は、ぼくが思っている以上に今を知覚しています。違う生き物なら、人間とは違う回答を答えてくれると思ったから彼を飼うことにしたのです。彼の考えは、人間のものとよく似ていました。

まぁいいや、別にキチガイでもええよ、ぼくは
posted by 超画伯 at 05:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

自分の生きる世界を自分でつくらないと

なんというか、今のぼくは、映画というものに興醒めしいています。というか、なぜ人に認められようと思ったのか。本当は、作りたいものを好きに作れば良いのに、考えてみれば、あまりにも無駄が多い仕事です。つまらない陳腐な枝ばかり生えてて、安っぽい。もう少し、やるべきことがあるでしょうし、結局のところ自分で納得が出来ていません。たぶん、この手法では、ぼくは納得出来ないのだと感じました。
ぼくは、結局様式的な事が苦手で、にもかかわらず、様式的なことをやっていたのだと感じます。
ぼくが、やるべきことを再度考える必要があります。映像において、不必要と思うことは、バッサリ切る必要があります。ぼくが感じていた違和感の部分というものは、世の中においては、常識なのかも知れませんが、その常識そのものが不要だと感じています。それが、たとえ評価の対象にならないとしても、ぼくは、ぼく自信が生きるために、その世界を作らなければと思っています。
posted by 超画伯 at 03:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年11月27日

病院 テキスト制作

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今日は、岡山精神科医療センターへ。いつも通りの内容ですが、これが無ければ、精神状態を維持することは出来ないので、薬を貰いに。
考えてみると、ぼくがある程度頑丈だったのは20代だけで、子供のころも30代以降も体が弱いです。。倒れてもうすぐ2年、仕事がまともに出来ないのだからじり貧になります。それでも、たまに仕事はしています。
現在、絵画教室のテキスト制作中ですが、近くでドリヤマが見守ってくれています。ドリヤマにとっては、一緒にいることが信頼の証みたいなものらしく、多くの日は、長時間一緒に過ごしています。
ぼくは、少々人間というものが苦手で、集団幻想みたいなものが苦手です。動物にはそういうものは無いように見えます。自分が好きなように考えて行動しているように見えますし、そこに何も嫌みがありません。
自分が住む世界が自由であってほしい。狭い世界なのなら、そこを押し広げたくなります。ぼくが知覚する世界は、あまりにも狭く窮屈です。どこに行っても狭い世界なわけで、その視野は、あまりにも狭い。
とりあえず、他人に合わせても仕方がない、自分は自分で生きていくしかありません。普通になりたかったけど、ぼくの障害は治りません。少ないけど、ぼくには友人もいますし、パートナーもいます。たぶん、それだけでも幸せなのかもしれません。独房に閉じ込められる事に比べれば。
書いてる最中も、ドリヤマがぼくを呼んでいます。「おじちゃ〜ん」ぼくは、おじちゃんだと認識されているようです。

posted by 超画伯 at 23:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記