2018年10月10日

世の中は急激に悪くなっているけど、それを言ってはいけない風潮

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いや〜コスモスが綺麗ですね!
とまぁ、こういう事を毎日言うことが素晴らしいのでしょうね。
とりあえず、世の中が非常によろしくないということは見ないことにして、とにかく素晴らしい事ばかりを言ってれば良いという風潮というのは、どっからきたんでしょうか?
地方都市の駅前とか見てみると、とんでもなく荒廃してるというかなんというか、まぁ現実を見たうえで、何をしようかと考えるもんだと思うのですが、なんかそれを言ってはいけないということになってるんですよね。
アメリカかぶれの意識高そうなマニュアルに、本当の事を言ったらダメッって書いてたんでしょうか?
もはや、それ気持ち悪いよ・・もしかして悪意あるんじゃないかな?いや〜キモイ
綺麗ごと言ってれば、悪意も許されるとか異様じゃありませんか?
アホだろう?
そこ見極めないとドツボにはまるでしょ?
ここ数年で、ものすごい勢いで世の中が劣化してることに気が付かない人っているんでしょうか?もしかして、ネットで真実でも見つけているんかいな?
ネットなんか皆誇張したり嘘ばっかりついてるんじゃないの?というかセンセーショナルな事言わないと注目されませんものね?嘘もつきたくなるでしょうよ。
本当は日本は凄い?いや、日本は確実に落ちぶれてるんだよ。それが現実。ぜんぜん凄くない。凄いのは現実を見れない、その目と脳みそが凄いのよ。
はっきり言って植民地、ここ重要。まずこの現実見てから考えましょうよ。植民地主義って現在でも生きてますわ。お友達とか本当笑わせてくれますよね?
良いこと言ってりゃ脳は簡単に騙されるとかいう世迷言もありましたが、いや、それで実際は疲弊して、うつ病も増えれば自殺者も増えとるでしょう?騙しても、しっかり脳も体も疲労はするんですよ。うつ病に実際になってみれば分かります。
アンバランスの中で、バランスなんかとれるわけがないんですよ。
これって人間を酷使して働かせるためのテクニックでしょ?意識高い系の自己啓発なんて、だいたいそんなもん。馬の前に垂らした人参みたいなもんでしょうよ。
もはや、世の中アホみたいな戯言に溢れています。
いったい何がしたいんでしょうね?というか「天の声」みたいなのを、電波や回線に垂れ流してコントロールしたいと思ってるような面々がやりたい色々な事とかなんでしょうね。それも沢山いるから完全なカオス状態。
少しでも良いことを考えたい、心穏やかにいたいから、すぐに詐欺師の甘い言葉(良く言えば美しい言葉)に騙される。
まぁ今の世の中、詐欺は良いビジネスなんでしょうよ。
所詮、その程度の世の中。

posted by 超画伯 at 02:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2018年10月06日

自律神経が悪くてパソコンをあまり見れない

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今日は異様な暑さもあってか、完全に自律神経がやられてしまいました。
最近は液晶関係は何を見てもダメで、どうすれば良いのか分からない状況・・
今の時代に液晶画面を見れないのは、けっこう困ります。。
自律神経失調症の症状は吐き気が凄く本当につらい・・
posted by 超画伯 at 18:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2018年10月05日

必要以上に物事を大きく言う面々

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日本人がそうなのか、岡山県民がそうなのかは分かりませんが、必要以上に話を盛る面々には注意するべきでしょう。
特に、自分が真面目に仕事をする場合は、気をつけなければならないことです。
物事を大きく見せて言うということは、自分のやっていることを何倍にも大きく膨らませて見せることで、その点に何の問題があると思う人もいるかもしれませんが、つまり言っていることの何分の一しか実際には仕事をしていないということです。
実のところ、そういう虚構の中で話を膨らませて人気を稼ごうとする人は多いと思います。
おそらくは、そういう人のインチキを理解した上で話に乗るという事もあるでしょう。これは、自分も楽が出来るという計算もあるかもしれません。
この状態で回るのであれば、実力者不在で、大した結果にはならないのだから、そう問題は無いのかもしれませんが、真面目に働く人が中にいるのであれば、その人がすべて尻ぬぐいすることになってしまいます。
そして、その実際に働いた人は実績をすべて持っていかれることになります。

個人的に信用できない連中というのは以下のような特徴があります。

●物事をとにかく大きく話す
●知り合い自慢ばかりする
●自分が目立てそうな場合だけ寄ってくる
●表と裏で話が違いすぎる
●「あの人は良くない」とか実像とはかけ離れた人物像を作り上げて、こちらに話してくる
●絶対にあり得ないポジティブ系の未来像を話てくる
●自己批判はできず、何でも人のせい
●自己批判はするが、謙虚な自分を演出しているのがみえみえ
●腰ぎんちゃくで主人と人格を同化している
●八方美人

実際に、自分と「あの人」は知り合いという手口で近づいてくることは多い・・で実際にそうなのか?と「あの人」に聞いてみると、「いやそんな人は知らない」という回答がかえってくることも多い。
とりあえず有名人らしき人の知り合いであることで、そういう知り合いがいるのは凄いという田舎イズムを利用しまくる人も多いと思います。

これらと関わらないで済むのであれば問題はないのですが、こういう連中はあまりにも多いということです。
関わらないことは不可能なので、言っていることは話半分以下で聞いておいたほうが良いのでしょう。
ともあれ、こういった虚構で作られた世の中であるのならば、今の社会の劣化も頷けるところではありますが・・

posted by 超画伯 at 12:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2018年09月25日

当然ぼくも洗脳されています

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当然ながら自分も洗脳されていると思います。

洗脳といえば、オウムとかのを思い出す人もいるかもしれませんが、あれとはまた違った形で洗脳されていることは間違いないでしょうね。

世の中には決まり事が色々とありますが、それを本能的に持ち合わせて生まれてきているとは、ちょっと思えません。

決まり事があれば、物事を考えなくても済みますし、効率も良く、社会をまとめやすい・・

ある人物が「自分は自分で物事を考えられるから、自分は洗脳されていない」と思ったとしても、実際に考えているのはごく一部になると思います。

色々と行動を行うにしても、それらをいちいち考えながら動くことは非常に困難です。

物事を考える場合、ある点に着目して、それが事実なのか検証する必要があります。色々と謎解きをする必要がありますが、それはきりの無い話で、だいたい、”あるソース”に行きつくと思います。

その”あるソース”を実際に検証する人は少ないと思いますが、多くの場合、自分に不都合が無いならば、それが正しいものだと認識したりします。

実のところ、そのソースすら必要が無く、ある人や多くの人の強めの言葉だけでも、それを正しい情報だと認識したりするものだと思います。

そういったものを極力排除するのが科学的検証方法なのかもしれませんが、それで検証されるまでは、だいたい、ある人や多くの人の強めの言葉を信じることになります。

科学的検証による実証が出てきた時点で、それは”あるソース”になったりもしますが、それが事実であるかまでは検証することは、あまりないでしょう。

とりあえず、科学的検証によって、飛躍的に社会が発展してきたのは確かで、今のところ一番信頼できるソースではあると思います。

しかしながら、突き詰めていけば、そこからは多数の説が出てきて、検証そのものの信頼性も揺るがせたりしてしまいます。

けっこう、この世界の情報は曖昧なため、そのすべてを疑うことは困難極まりなく、そこで社会に都合の良い落としどころを作り出し、それを常識化して多くの人が受け入れる。。

こういった事を知らず知らずのうちに繰り返しているため、洗脳を解くことは非常に困難だし、それをすることで、社会との調和がとれなくなることもあるでしょう。

人間の脳に、すべてを検証するほどのパフォーマンスが無い以上は現代も昔と変わらず迷信に満ち溢れていることは容易に想像できるのです。

実のところ、根拠のない強い言葉が乱立するネット社会こそ迷信を乱立させる社会なのかもしれません。


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2018年09月20日

何をもって自閉症なんでしょう?

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ぼくは、自閉症という診断を病院での何度かのテストの結果受けているのですが、いったい何をもって自閉症となるのでしょう?
物事の関心が、世間一般と大きく離れていることも、学習力が著しく低いことも理解はしていますが、自分から見た世界というのは自分という存在があって、ごくありふれた風景が周囲にあるという印象で、特別に違うものが見えているわけではないという感じで見ています。
ただ、人と接するのにエネルギーが随分と必要だということは、体調を崩してからは感じていることで、結局のところ内向的で自分の中に籠っているという意味ではそうなのか?とも感じます。

他人を見て少し不思議に思うことですが、他者は、自分の考えというものを理解しているのでしょうか?という疑問がわくことがあります。
自分の考えとは何なのでしょう?
ぼくには分からないことです。
けっこう多くの人が「これはこうだ」とか「これはこうあるべき」とか言っていることに違和感を感じるのですが、けっこう決まりきった世の中を見ていることは分かります。
強く断定されると。「そうなのか?」とも思うわけですが、しばらく時間が経過すると、「いや、違うかもしれない」とか疑問がわいてきます。
もしかしたら、この世の中が変だと思ってはいけないのかもしれません。歪みの部分は、ぼく自身の問題でしかないのかもしれません。
なぜなら、多くの人は、ある種の断定形の言葉を理解しています。それを集団で受け入れて共有することで、コミュニティーを維持しているのだという感じをうけます。

ぼくは、基本的に物を作るとき、その意味を言葉では理解していません。「???」を具現化しているだけのことです。基本、資料すら見ていないので、「○○に関心がある?」とか「○○を見た?」と言われても、ほぼ該当しません。
多くの人は、部分的な要素を既存のものと照らし合わせて、それを一致させることで、心の平穏を保っているように思われます。シンプルにグループ分けすることが、心の平穏を保つコツのようです。
しかしながら、ぼくのパートナーとなる人は理解することですが、ぼくは、ほとんど人の創作を見ないということ・・
多くの人は、単純に、ぼくや他者が見ている現実の世界の類似性の部分を見て、ある人の創作との類似性を見出そうとしている感じを受けます。

ぼくは、創作の社会の中ですら内向的で、誰かに憧れることもまずありません。そういったタイプの指標を持つことの重要性について聞かされることはありますが、そうはなりません。どうやら不可能なようです。
作品の目的も非常に曖昧で、自分ですら理解できていません。
指標も無いものを、黙々と作っているだけのことです。仮に指標があるときは、社会に対しての敵意というものがあるときぐらいです。
だからこそ、自分の作品の説明については、特に困るわけですが、これが言えないことが、創作の世界の中では問題視されるわけです。
ぼくは、そもそも言語に関する学習障害が強めにありますので、もし何かを理解しているとすれば、それは言葉ではないもので理解しているのでしょうと思ったりするわけです。
おそらく、物事の理解の仕方が他者とは大きくずれてしまっているのでしょう。
posted by 超画伯 at 01:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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