ぼくは、これまで、何のキャリアも無い状況から作品を作ってきた。これは人生における足掻きであり、学習力を著しく欠如した、ぼくの戦い方でもあった。
以前から、何故かぼくは、教えられた事を覚える能力が無いことを知っていた。それが何なのかは分からないが、それ以外は他の人と自分の違いというものを明確に見分けることができなかった。
ぼくは、最後までアカデミズムというものを理解出来なかったが、それは学習障害故の事だった。だから、未だにそれを覚える能力は無い。
ぼくに大きく欠けている事は、言語発達の遅れと、聴覚による学習の大きな遅れ、そして視覚による学習の遅れだった。
それは、障害であり、ぼくの特性であり、努力では覆せない足枷だった。
そんなぼくにも、光明が見えた瞬間がある。それは、思考力だった。他を塞がれたぼくは、そこだけが発達することになった。体験としてある他者よりも少ない記憶を駆使して、それを他方向から考え、組み換える事。ぼくは、いつしか、学習力を必要としない絵の描きかたを習得した。
それは、とりあえずは十分なものだったと思う。暗記という呪縛から解き放たれたのだ。
その時から、思考プロセスを他者とは変える事で作品を作る能力を得た。頭のなかで構成された記憶の断片は、徐々に成長し、独自の視点から作品を作る事になった。
ぼくは、作品を作る事にしたが、それは必ず1作目で結果を出すものだった。ぼくは、媒体や手法の上に作品を置くことで、あらゆる形態での作品制作を可能にする力を得たと思う。
これを言えば嫌な人もいるかもしれないが、ぼく以外の発達障害者のヒントになればと思い、言っておく。そもそも、ぼくは、他者とは比較にならないほど、アカデミズムの信奉者に差別されている。少しばかり言うことは許されるだろう。
定型発達者の多くは、暗記力があるために、それに頼っている。そのため、思考力に関しては、洗脳に等しく停止しており、その教育過程で得た知識、言わばそのジャンルにおける過去の偉人が作り出したスタンダードに取り囲まれた、ある種の籠に中におり、過去に囚われ、その中でしか動けない。つまり写真や映像におけるアカデミズムの中の囚人でありその外側を見る事に対して、非常に困難な状況を作り出している。つまるところ、新たな価値観というものを作り出す力には乏しい。
しかし、定型発達者は、マジョリティーでもある。多数決で、物事の良し悪しを決定する力を持っているのは彼らだ。しかし、その事で、物を作る事の根元を覆すこともできないとも思っている。
彼らが作り出す、アウトサイダーという言葉は隔離を意図としている。良いことをしているようでいて、実は差別をして引き離し、自らの籠を守ろうとしている。何故守る?そもそも多数派なんだから、お得意の最悪の民主主義を駆使して自らの圧倒的優位を決めてしまうことも可能だろう?そもそも、破壊は創造する上で必要な行事ではないのか?
もし、違うというならば、その件に関しては、話を聞こうと思う。
ぼくのこれまでの屈辱にまみれた人生を語るが、ぼくは、制度によって、作家としてのぼくを認められた事が無い。つまり面接であり、レポートである。
アカデミズムによって作られた制度においては、ぼくの学習障害というものは嘲笑の対象であった。好きな作品を思い浮かべても、その人の名前は、ぼくの頭からは出てこず、それは、彼らからすれば許しがたい事なのだ、ぼくは、レポートや面接のあるような制度においては一度も通った事が無いのだ。それだけではなく、蔑まれ出直してこいと言われたものだ。その程度の事も答えられないのか?と。しかし、出直したところ同じである。現在も遠巻きかどうかは分からないが、ぼくのその弱点をついてくるマジョリティーは多い。ぼくが気づいていないとは思わないほうが良いだろう。
しかし、表現においては、ぼくのほうが遥かに自由な存在であり、ぼくは籠の外から彼らを見ている。しかし、美味しいお菓子の城の中にいるようにも見える。全てを持っていると感じ、万能感を得ている人もいるかもしれない。
ぼくは言葉を選ぶが、理由がある。それは体験によるものだが、ぼくは写真かどうか、映像かどうかよりも「作品」という言葉を優先している。それは、ぼくの頭が作り出したイメージだからに他ならないが、別の言い方をすれば、手法は何でも良いのである。そのイメージを表せるのであれば、何でも良いのだ。
そういった意味で、ぼくはアカデミズムの傍観者でしかなく、それを外から見ている人間だということだ。
この世界を認識する自己がまず上にあり、その下に知覚経験が習得した、揺らぎやすい自我があり、その下に作品というものがあり、その下に写真や映像というものがあるのだ。