2022年01月07日

家族 ガチャ?

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最近なんでも運でかたづけてしまうという意味で、若い連中の間では、「ガチャ」という言葉が使われているらしい。
この事に関しては大まかに二つの側面があるように思われますが、一つは”努力ではどうにもならない運のようなもの”という感じでの諦めで、もう一つは”それでも、何も努力しないよりは、努力した方が良いかもしれない”という、それでも努力の意味が無いわけではないという、それでも諦めないという、二つの大まかな選択肢というものが出てくるように思います。

ぼくという存在は、極端な例かもしれませんが、上の二つの側面といのは、どちらも該当するという感じで、外れくじを引いてしまった場合、どのように動けば良いのか?は色々な面から考える必要があるように思います。
何でも諦めれば良いのか?といえば、そうでもないような気もしているわけです。もちろん、ぼくは、世間一般で言うところの、上手くいっている例でも無いので偉そうな事は言えません。

ぼくの場合、興味を持てば、何でも突き進んでいくという特徴を持っているわけですが、そこを如何に生かすかだと思っています。ただ、この点も限界があって、ぼく自身の初期能力は決して高くはないところです。その中でも、自分の優れている面を客観的に分析していく事が重要なのではないかと思っております。
ただ、ぼくは、見ての通り、超悲観的な人なので、そのような分析をしても、自信を失い、台無しにしてしまう事も多々あるわけですが、ところどころで底力を発揮していることも、ぼく自身の過去を見てみると、明らかにある事は理解しております。
ただ、それを持続できないのは、確かに「ガチャ」なのかもしれませんね。こうして文章に書いてみても、なかなか修正はできません。

家族ということになりますが、確かにぼくは、幼少期、家族の理解を得られなかったことで、物凄く苦労しています。
実のところ、小学生のころから、特殊支援学級に入ったり出たりしてたわけで、正直グレーな存在でもなかったのです。ただ、その”出た”理由に、「親」というものが明確にあります。親が、ぼくを特殊支援学級から出したのです。理由は簡単で、単純に世間体でしかなかったのです。そして、ぼくの都合の良い部分だけを編集して、健常者だと思い込もうとしていました。そこからは、できなければ殴るの連続でした。それでも、何を強制したところで、できないものは、何年たってもできるようにはなりませんでした。それでもしつこく、「できない人間は乞食になる」「のたれ死ぬ」と散々脅されたものです。その言葉そのものは、半ばはずれてはいませんが、だからといって、ぼくが健常者として、その世界で普通に生きるのは絶望的でしたが・・
その後というか、ぼくが成人した後、突然、親は「自由に生きて良い」と言い出したわけです。個性としては認められたのか、それとも諦め発言なのか。
その後談ですが、ぼくが幼稚園に行っていたときの先生も、「見てきた子供の中で、一番変わっていた」と言っています。

たぶんですが、ぼくは「ガチャ」という考え方からすれば、遺伝的に外れくじを引いたのでしょう。まぁそこは、ぼくにはどうにもできない問題なわけですから、責められたところでどうにもなりません。
ただ、親が外れだったかどうかは、まだ分からないというか、結果が分かるのには、まだ時間がかかるといったところでしょうか?
少なくとも、健常者との無謀な競争に置かれたわけで、ぼく自身には、かなりの闘争心が必用でした。負けるばかりでしたが、負けず嫌いになったわけです。努力ではどうにもなりませんが、努力をするように刷り込まれた事で、ある分野では競争力を持つに至るかもしれません。
テストで、ぼく自身が、どうやってもできない所は分かりましたので、そこを避けるように自己洗脳し直す必要はあります。なんといっても、「できない事を一番努力しなさい」と教え込まれたわけです。

まぁ、家族に外れはあるのかもしれません。産んでくれてありがとうなんて、口が裂けても言えませんし、そもそも、この世にいることに対する”ありがたみ”なんてのは一種の伝統的な言葉にすぎず、事実は、「この世にいる意味など無い」わけです。ならば、楽しく生きれば良いというような事が実現できるような体でもありませんし、ぼくの自閉症スペクトラム障害は、家族からは危険視されて、事実上家からも追放されている感じです。この点に関しては、違うとは言わせる気もありません。
それでもまぁ、仕方ないじゃないですか?と言うぐらいしかないわけです。
少しばかり境遇が変われば良いかな?という感じです。

2022年01月06日

SDGsのロゴを眺めてみる


持続可能な目標といいますか、SDGsのロゴみたいなものを眺めていて思うのは、これ、ぼくが小学生のころから言われてきたことの焼き直しのような感じで、あのころから考えると、日本においては、むしろ後退感もあって、なんだかなぁ。。という気分にもなります。
ぼくも気がつけば、今は障害者そのもので当事者ですし、色々と世の中変わったものです。

幼い頃は、とくに環境問題には危機感があって、未来はもう無いのでは?というぐらい危機感がありました。あと、世の中は冷戦状態でしたし、人類滅亡というのも、わりと身近な問題だったと記憶しております。
そのあたりは、なんとか乗り越えられた?のか、今も生きておりますが、ぼく自身は、冬の時代という感じです。
というのも、ぼくは、数年前に障害者になったのであって、その時の無意味感というのは半端ではなく、不可能な試みを多くやっていたのであり、これまでの人生の徒労を呪ったものでした。少なくとも、20年前に分かっていれば。
2018年の入院以降、ぼくは、作品の合理化と、ぼくの能力に見合った最適化を目指したのであり、これまでの夢を諦めました。その時の喪失感から、現在でも焦りや病気など色々な形で残っております。もう、この世界で生きていけないと、何度も死にたいとも思いました。

障害者になったというのは、法的にそうなったのであって、それ以前は健常者に他ならず、それ以前に刷り込まれた「常識」というものに苦しんでおりました。いや、今も苦しんでいるのかな?「常識」なのだから、誰でもできて当然というような事でしょうか?「常識」の中には、容易にこなせるものもありますし、いくらやってもダメというものもあって、その境界もはっきりしておりました。未だに、やればできるとか言われるわけで、そこは説明するのもしんどいところです。

ぼくは、SDGsの、このロゴ?のようなものを見て、意味はなんとなく分かりますが、書かれている事は役所的な感じで、言わば書類的でもあって、要は学習できない内容という感じです。これを問われても、ぼくは回答を述べる事はできないでしょう。今だから分かることですが、これを吸収するためには、脳に壁があるということです。
ただ、このままでは、世の中が持続しないということはよく分かります。おそらくは、ぼくの脳内のネットワークのあり方は、普通の人とは異なるのではないか?と思っておりますが、こういう端的なものではなくて、連鎖する世界に対する認識は、人よりもあるのではないか?と思っているというか、気づいているという感じです。

最近、深夜にファミレスに行く機会が増えましたが、昨年よりも、今年のほうが、おそらくホームレスと思われる人は多くなりました。冬は、寒さをしのぐためなのか、ファミレスにそういう人がいることは多いです。
年齢は、ぼくに近い人が多い感じで、食事のあとは、皆うなだれているという感じです。どういう事情があるのかは分かりませんが、今のままでは、こういう人は増えるでしょうね。

未来は明るいのか?暗いのか?はさておき、世界は繋がるのでしょう。これは、どちらかといえばSDGsを推進しようという企業が大企業という感じからも、強者が決めた強者が賛同しやすいイメージでしょうし、言ってることは確かな事ですが、末端は、これについて行くことができないという不安を抱くのではないか?ということも想像できます。
ただ、形がどうであれ、グローバリズムは止まらないのでしょうから、ある意味これを受け入れて世界の端々にある問題を解消していくしかないというのは、多くの人にも理解できる事だろうとは思います。今、SDGsを言われるということは、おそらくは、これはグローバル化とセットなのだと思います。その負の部分を如何に抑えるのかということでしょう。何故なら、その内容は、放置すれば、確実に悪化していく現実についての是正に関してのスローガンだからです。
問題は、グローバリズムを急進的に行うのか、それとも緩やかに行うのか?ということになるでしょうね。反グローバリズムの政権があったとしても、グローバル化が止まるという意味にはならないと思います。個人的には、緩やかでなければ困るというのはありますが。
少なくとも、ぼくの頭では、もう過去のような、今よりローカリズムの進んだ世界などは、ぼくが生きている間は無いでしょうし、当時ですら、グローバル化は進んでいる最中でした。国際化社会とか言ってましたっけ?ならば、その中で生きる方法を考える必要もあります。

どちらにせよ、ぼくは、何らかの形で戦うしかありません。黙っていれば、「誰も置き去りにしない世界」からも置き去りにされかねませんしね。

2022年01月04日

今まで避けていたこともやってみる

今年は、今まで避けていたこともやってみようと思います。
特になんですが、ぼくは書類関係が苦手で、要はその構造を理解できず、まったくもってダメだったわけですが、そこも協力者を得てやってみようと思っています。そもそも書類などは、書式というものがあって、学習能力の権化のようなものなわけです。
とりあえず、コンペのような、実力正面突破とかは、ほどほどにできていたわけですが、面接や書類が必要なものに関しては全滅で、今までそのようなものに通った事が無いのが実情です。
つまるところ、ぼく自身が、学習障害や自閉症を抱えているにも関わらず、無謀なことをしてきたということでしょうが、そこで意地を張らずに、それが得意な人に任せれば良いのだと思いました。
あと、面接に関して言えば、虐待ともとれるような発言を受けてきたわけですし、書類に関しても、出来レースに参加してしまっていたりと、余計に自信を無くすような事に参加した事に関しては、今後冷静に考えるべきだと思っております。ともかく、面接に関して言えば、ぼくはすべて健常者として参加していて、そもそも無理でした。
ともかく、現在の自分を受け入れる事からでしょうね。これまでを覆してみようと思っております。

2021年12月20日

自分が消える

最近、何もかも記憶が消えてしまう。まるで、自分がいなかったかのようだ。
ぼくが生きる事は、非常に困難だ。結局のところ、ぼくは戦うしかない。楽な老後など無く、最後の瞬間まで戦わなければ死だ。勝つしかないのだ。
戦うのは好きではないが、ぼく自身の体が表す症状は、どう考えてもそちらに行かなければならないように出来上がっている。そう追い込まれて、今やっているようなことをやっている。学習力も無い、コミュニケーション能力も無い、ぼく自身の実力そのものも、常に過小評価されてきた。特に地元ではそうだ。
結局のところ、常に戦い続けなければ、ぼく自身の存在がいないことにされてしまう。
仕事に重要なのは、実力ではない、この国が衰退するのは、実のところ実力主義ではないところもある。なんの実力もない人間ばかりが、仕事に採用される事を、横目で見てきた。単純に楽だからだ、誰が楽なのかは、お偉方が楽だからに他ならない。日本という社会は、永遠に自分というものが超えられないよう、或いはプレッシャーを感じないように無能をはべらすのを好む。そして神輿も軽いほうが良いのだから、これが落ちぶれずにしてどうなるというのか?
体がついてこないなど許されない。来年は、絶対に活躍する。それが無ければ死だ。その程度にぼくの人生など軽いものなのだ。


2021年12月12日

やや不思議

世の中はやや不思議だ。
これまで、ずっと「新しい」とか「実験する」とか聞いてきたわけだけど、正直表現というのは60年代とか70年代とかの焼き直しのようなものばかり。
実験映像とかいう言葉も、そういうジャンルがあるだけで、何か昔にあったムーブメントに対するノスタルジーのようなものしか感じなかったりする。つまり、昔そういうものがあって、それと同じような姿をしたものを実験映像と呼んでいたりする。実際に実験があるのか無いのか?に関して言えば、それは既に行われた実験を模倣するだけのものだったりする。実験が重要なのではなく、実験映像のような姿をしている事が重要なのだ。
写真の発表をして、そこの守り人というか村人も見てみたが、形態としては、やはり同じようなものだ。
ぼくは、ぼくが生きる事ができる世界を探してきたが、「村」というのは生きにくい場所だ。基本保守的であり、表現の幅を広げないという戒律があるかのように動く。必ず聞くのは「べき」という言葉だろうか?「こうあるべき」という言葉だ。その言葉が出てきた時点で、彼らにとって何が重要なのかを察しなければならない。その言葉は、言わば「壁」なのだ。他の社会との壁とでも言おうか?リベラル的な発言があるようだとしても、事実はそうではない。人間という生き物が作り出す社会というのは、基本どこでも似ているのだ。ASDで、思考回路の異なるぼくが、今ある社会に馴染めないように、ぼくは村に馴染むことはできない。
恩のようなものは感じるが、ぼくはぼくなのだから、そこをふりかえるべきではないのかもしれない。
この事に関しては、書くべきなのか?と思っていたが、ぼくが孤独を受け入れるという意味では、書く必要を感じた。あと、表現世界における、一つの事実としても書いておく必要を感じた。
「ありがとう」と言いながら、ぼくは先に進む必要がある。先に進むのがしんどくなったら、「横に進む」でも「斜めに進む」でも良い。べつに、そこの評価というものが必要というわけでも、もはやないのだ。
友人でありながらも、彼、彼女らの評価というものを求めるべきではない。