2022年04月13日

多動が酷い

一応、多動を抑える薬を飲んでいるわけですが、多動が酷い。。現在は多動だと、持病と化した頭の左側の片頭痛に悩まされるわけですが、このままでは数日頭痛というコースもあり得ます。。
ですが、頭の中の思考回路が止まらずで、もはやどうにもならない状態です。せっかく静かに過ごしていたわけで、刺激も避けていたのですが、残念なことに、ここ最近の多忙で、躁状態が覚醒してしまったようです。
この状態の時の知能は、平常時に比べて明らかに高い気がしますが、弊害のほうが多く、作品制作をするにも冷静さを欠きます。今までは制作で負荷をかけて抑えてきたわけですがそれはもはやできません。
ろくなことにならないので、早く収まってほしいのですがどうしたもんでしょうかね。

2022年04月11日

絵を描く能力

軽く1時間程度絵を描くことはできるのだが、それ以上描くことに問題がある。頭の左側に異様な頭痛が起こるからだが、今一度まともに長時間絵を描く能力がほしいと思っている。
ぼくは元々そちらの側の人だし、それで満たされていた部分もある。
写真を写真のように撮る事に関心が薄い。それは良いのだが、カメラに関心が無くなれば、撮ることはけっこう辛い事だ。ただ、車に飽きたようにカメラは飽きるだろう。
元々写真に興味があったわけではなく、そこに絵としての側面や、何らかの意味がなければ退屈だ。映画とかにしてもそうだが意味の薄いものを見るのは辛い。同様に綺麗なだけの絵にも関心がない。
ぼくは、思われているほど、作業に興味がない。興味のあるビジュアルが浮かんだら視覚化して眺めている。それも苦痛が伴うが、興味がないビジュアルを起こすのは苦痛でしかない。思いついたものを、すぐに視覚化できるツールが欲しいが、それはドラえもんの世界だろう。
けっこう人生は時間が無い。関心があることを最短で行うような手法があったらなと思う。
蟻の種類を増やしている事には意味がある。実際に、これにより何かができるのは来年だろうが、物事には時間がかかるというのが残念だ。

2022年02月05日

ネガティブなものを無かった事にする行為

ぼく自身は、ネガティブな感情などを無かった事にする、或いは見過ごす行為は、愚かな事だと考えている。そこを見つめないと、人間はいつまでも成長できない。更には、溜まりに溜まったネガティブなものによって押し潰されてしまうかもしれない。
最近の風潮として、ネガティブな事は考えない、それは無かったことにする、蓋をするというのがある。これによって、社会のストレスは増すばかりだし、もはや関係ない多くの人にまで被害を及ぼす状態になっている。この事に気がついている人もいるかもしれないが、世の中に蔓延する、今で言うところのポジティブ思考というものによって、あらゆるネガティブな側面は無いことにされる、或いは同調圧力によって社会から追いやられている状態だと言えると思う。
ぼくは、そういうのをポジティブというものなのか?と疑問に思うわけだが、どうだろう?怒ることも、悲しむことも、人間にとっては、生きる上で大切な感情だ。自分の中にあるネガティブなものも含め、それを見つめ直した上で、解決しようとし、考えて、そして進むというのが、本来のポジティブではないのか?考えることは、人間にとって、とても重要な行為だ。
ポジティブの中には、ネガティブなものも含まれていなければならない。というか、それが正常な状態だ。
例えば、もっと広く見て地球規模で考えてみよう。もし、その中にあるネガティブなものを見ない、そして蓋をして、無かったことにして進む行為というのは、いずれ自分達に帰ってくるのだと思う。
ぼく自身は、今一度、自分を見つめ直す必要を感じている、その上で、この先どう進むのか?を考えようと思っている。今は忘れているが、この一年は、何度も死にたいと思ったのだ。自分の病気の事、学習障害のこと、世の中に蔓延する排除行動のこと、他者に迷惑をかけたこと、入院したこと、他にも色々とある。

2022年02月04日

バルプロ酸ナトリウム徐放錠

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双極性障害の躁のほうを抑えるということで、バルプロ酸ナトリウム徐放錠を飲むことにした。これは、てんかんの薬でもあるが、ぼくにはてんかんもあるので、以前から飲もうか飲むまいか?と悩んでいたわけだが、試してみる価値はあった。
3年ほど拒んでいた理由は、双極性障害の躁が無くなると、ぼくの創作意欲は低下するのではないか?という懸念があったわけだが、考えてみれば、躁の部分を抑えれば、うつ状態のところも長期間続くのを避けられそうなので、トータルで意欲が低下するわけでもないだろう。躁は、ターボチャージャーみたいなものだ。一時的に頭の回転が大きく上がるのも確かだし、無敵状態にもなる。だが、それによって苦労するのは周りだし、平常時やうつ状態のぼく自身に更なるダメージを与える事になる。
飲んでみた感想だが、なにかイライラ感が収まり、穏やかになったのではないかと感じる。これは、なかなか良いのではないだろうか?ストレス状態は、少なくとも抑えられたのだ。睡眠も以前よりコントロールしやくすなった。
ぼくの躁の部分が、ぼくの才能なのだとしたら、それは無くなるかもしれないとの話もあったが、そうなっていないような気がする。というか、ぼくの才能らしきものは、人生経験そのものによるものだと、うすうす気がついているので、この薬を受け入れた。つまり、ぼくに特別な才能は無い。むしろほとんどの点で劣っている。その境遇から、見つめざるをえない事実、多くの人からすれば、見る必要の無い事実を知ることになった事が、才能というか財産になったのかもしれない。
ほとんどの点で劣っていることは、受け入れがたい事実ではあったが、最近は楽になってきて、もうそれを受け入れるべきときが来たのだと感じるようになった。

2022年01月21日

衝動性が抑えられる

ここ最近、なんとなく淡々としているような気がする。
というのも、先週の金曜日に新薬を貰ったからかもしれない。ちなみに、この薬、長年飲むのを断ってきた薬なんだが、理由は、衝動性や突発的な行動を抑えるものだったからだ。それが消えれば、ぼくには何も作れないと思っていたこともある。それによって、学習障害や、失読症のようなものが無くなるわけでもないので、それで衝動性も無いのであれば、ただの大人しい何もできない人になるのではないか?と怖れていたのだ。
ただ、試してみる価値はあると言われてはいた。
今年の正月付近は酷く、3時間ほど起きては、ほぼ寝ていた。その後も眠気が続き、副交感神経らしきものの優位が続くようなので、何かを変える必要があった。
それから数日経つわけだが、睡眠と起きている時間が安定したかもしれない。あと、それほどこのように日記などを書きたいとも思わないし、焦りのようなものも抑えられているのか、世の中の雑音も以前ほど気にならない。つまるところ、今のところ落ち着いていると言えると思う。
副作用である眠気のようなものも、とくに無く、むしろ以前よりマシになったぐらいだ。
これならば、もう少し前から飲んでいたほうが良かったかもしれない。
主治医からは、以前から、能力の低下は否定できないとも言われていたが、疲れがとりやすくなる分マシだと思うし、ぼくは特に他人が言うほど天才というわけでも無さそうなので、何らかの能力の喪失は無さそうだ。
自律神経が整ったのか、朝型になった。あと、寝たら延々と起きられないというのも無くなった。
ぼくの作品は、他者との知覚的経験の違いによるところが大きいと思うので、特に変わる事は無いのかもしれない。あとは、それを淡々と出力できれば良い。