2017年04月01日

蔵解体2日目

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今日は、本格的な解体作業でした。
重機はあまり使わずで、手作業主体です。
それでも、流石の手際で、けっこう早く崩れていくものです。

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もう、以前の蔵の面影はありません。中身の板は綺麗なものですね・・江戸時代からある物件とは思えません。



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色々な形の板の構成


つづき
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2017年03月31日

蔵解体1日目

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今日は、早朝6時ぐらいに永瀬邸に出かけました。
というのも撮影の準備なわけですが、残念なことに雨の予報・・
しかしながら、午前中は解体が行われました。
あと数日で、色々とお世話になった、永瀬清子の蔵ともお別れです。
昼頃になって、雨が激しくなって、解体は中止・・

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中身の様子・・
中で撮影したかったのですが、危険ということで、中からの撮影は中止となりました。
これは、作業を中断後、撮影したものです。
色々と現場の人に話を聞きましたが、この建物は下の部分がダメで、倒れないように前面をワイヤーで引っ張っていたそうです。
300年もたない構造らしいですね・・
仕方の無い事です。

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帰りにラーメンを食いに、帰路にある若大将でラーメン、から揚げ定食を・・

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店の奥さんが、こっそり鳥の皮のから揚げをサービスしてくれました。
ありがたいことです。

明日は、父親の納骨の日ですが、解体は止まらないので、ぼくは朝から撮影となります。

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2017年03月04日

死後の世界

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永瀬清子を描くにあたり、自分の考えを進める中でぶつかる考えがあったわけですが、その考えがぶつかる中での、映像的回答というものが生まれてきました。
これは思想信条のぶつかり合いでもありましたが、「死」という表現によって解決することに気が付きました。
「明け方に来る人よ」という詩は、老いた永瀬清子が、死を実感する中で、回想する詩だと言えるかもしれません。現実の世界では叶わなかったことに対して老いた永瀬清子が想いを寄せているのです。
永瀬清子の思想を描く中での「死」については、当初からの想定で、それは最初から組み込む予定だったのですが、これをどう表現するのかは、地球の表現です。
大きく言えば、宇宙から見た地球であり、この日本の中の岡山という土地から見た土着の地球ということになると思います。
「私は地球」という詩から分かることですが、永瀬清子自身が、この世界をその両側から見ていることが分かります。
老いてからの詩についてですが、宮沢賢治という人物を憧れていた永瀬清子ですが、それを考えるとき必然的に生じる、理想である世界が一つになった世界と、土地に生きる民族としての自分という現実の中で、思考がぶつかり葛藤している状態が、永瀬清子の詩としての美しさを生み出していると思います。

現代を見るとき、ぼくは直感的に永瀬清子は現代とは真逆の人であり、だからこそこれを引き受けて作ろうと思いました。
何が真逆なのか・・こういう意味で永瀬清子は硬派なのであり、自分の中で考えながら新しい回答を出そうとしているところにあります。それは相反する考え方をぶつけ合うことで新しい考えを生み出すことに他ならならないのです。

今の世の中は、右も左も「ゆるふわ」だと思います。これを、今よりまともな時代に生きてきた人は、思慮があるならば良しと思わないのだと思います。
例えるならば、自民党参議院のドンとまで言われ、日本会議の生みの親とまで言われる、村上正邦が、政治的には対立する山本太郎を褒めたたえ、安倍総理を非難したというエピソードが分かりやすいかもしれません。堕落した味方よりも、良き敵を選択したということになると思います。
ぼくが重要だと思う点は、まさにこの点で、要は金や人気を得るために、自らゆるくなって、何でも取り込もうとする姿勢を批判したのであり、軸になる敵とぶつかることで、そのプロセスから新たな回答を得てきた人からすれば、あり得ないのが今の世の中であり、それを批判したのだと思います。
こうした堕落した世界は、SNS等を見ても分かるように、人気を得るためだけに思想をゆるめたことで起こったことでもありますし、いわゆる集金をするならば、より多くの人から集めたいという考えからもそうなるのだと思います。
そこで生まれたのが「ゆるふわ」という考えなのでしょう。
節操を失った考えから生まれるものは腐敗だと思います。皆が仲良くなった?否、皆で堕落することは、仲良くなることに繋がらないと思います。堕落した世界はそれを維持しません。
この世の中は、常に考える人たちの意見のぶつかり合いが無ければ、新しい考えは生まれて来ないのだと思います。
結論としては、村上正邦の時代は、彼自身は本物の右翼だったと思いますが、創り出された社会は社会民主主義と言えるような格差の少ない社会だったように思います。
今蔓延しているのは、金や人気を得るために、対立を避けるためには「皆で考えるのをやめよう」とか「みんな一緒〜」とかそういう世界でしかないように思います。

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永瀬清子に関する表現ですが、死後どうなるのかということです。
天に昇るのか、地に帰るのかという表現の違いは、天から地球を見るということと、地から土着のものとして世を見るという二つの考えに繋がります。このうち、どちらを選択するのかということは、「死」をもって解決すします。
体は地に帰り、魂は天に帰るということです。


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2017年02月28日

ファイル数が68000を超えました

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「きよこのくら」制作中なんですが、ファイル数が68774になりました。ほとんどが写真なので、それ以外のファイルを差し引いても68000は上回るでしょうか・・予定通り、10万ショットは行きそうです。カメラもかなりのダメージでしょうね・・持ちこたえてほしいものです。
色々問題も生じているのですが、最大の問題は両手首です・・少し麻痺してるような感じですね。指がある方向に動かないため、タイピングも非常にしんどいです。カメラは重くて片手で支えられない状態・・手首から先の力がとても弱いです。
3月からは、いよいよこの写真によるアニメーションはクライマックスへ・・最後の仕事まで、色々と持ちこたえてほしいものです。

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2017年02月26日

病棄て

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この本は借り物なんですが、現在永瀬清子について調べる上での資料として読んでいます。
もともとは1400円の本ですが、出版数が少ないのか、今では古本で1万円ほどするようです。
手元に置いておきたいのですが、少々高いためこれを読んで返す予定です。
残念な事ですが、ぼくは読んでもすぐに忘れます。実は、読書しても、あまり残らない頭の構造らしく、翌日には多くが消えて無くなっているという感じで、元々あった記憶が頼みになります。何故か、案外知っていることもあるので、そこを繋いだものが残るという感じでしょうか?
たぶん知識としては何かが残っているのでしょうが、半分ほどを読み終えて、何が書いていたのか思い出せないというのが今の状態です。ただ、感覚としては色々と面白いことを書いていたという印象が残っています。
人と会った時に聞かれると、ふいに知識として何かが出てくることがありますので、一応読んでいる意味はあるのでしょう。
感覚として残っているのはハンセン病という病気が、特効薬が出来ていたり、そもそも感染力が弱いにも関わらず、昔から差別の対象となってきたこと、鎌倉仏教等の記述もありますが、この病気に関してだけは多くの宗教家も救いの手を差し伸べなかったことについて書かれていたように思います。
永瀬清子の家は日蓮宗不受不施派だったかと思いますが、それを辿るところの日蓮上人もこの病気に対する断念の記述があったように思います。
それはともかくとして、永瀬清子本人は、長島愛生園に通っています。たぶんその記述もこの本に出てきそうではありますが、最初にこの愛生園に行ったのは別の詩人ということになります。ちょっと今は名前忘れていますが・・

ちょっと脱線しますが、少し前、永瀬清子生家保存会のKさんから県庁時代の永瀬清子の話を少し聞きました。その感じでは、永瀬さんが根っからの平和主義者なのだという印象を受けています。県庁の世界連邦事務局で働いていたころのエピソードを聞きました。
Kさんが「本当に世界連邦とか出来ると思うんですか?」という質問に対して永瀬さんは「私の目の黒いうちには出来ます」とムッとして答えたそうです。それを回想しながらKさんは「若気の至りで失礼な事を聞いたものです」と言ってられました。
ぼくは、基本的にひねくれていますし世界が繋がれば庶民は切られるとの思いがありますので、もしその場にいたならば、同様のことを聞いたのではないかと思いますが・・
こういうエピソードには、ぼくもノスタルジーを感じます。ぼくが子供の頃はそうでしたが、戦争が終わって新秩序が出来てから最近までは、その理念は理想化されて輝いていたように思います。
ぼく自身も金の世界を考えなければ、そう思っていたでしょう。
基本的には日本人には国という感覚はあっても国際主義の感覚は本来弱いいのではないかと思っています。というか、日本の保守思想そのものが、非常に国際主義とは相性が悪いのだと思います。なので、自分が共産主義者や新自由主義者だとして置き換えて考える場合は、日本という国は根の部分では対極の存在であって、もしその立場だとしてら、何らかの対処をしなければならない国という感覚があります。
これらの国際主義的な考え方はユダヤ人発の考え方だと思いますし、言ってしまえば、ロスチャイルドがマルクスに費用を出して、共産主義を研究させてたりしたわけで・・まぁ支配者と搾取される側のポジションは基本的に今の世の中と変わりない世の中なわけです・・こういうところからグローバル的感覚が民族としてぶつかるのは当然のことなのでしょう。かつて共産革命を起こしたロシアは、今は民族派のプーチンを生み出していますしね。
この国際主義的な考えの元では、ユダヤの土俵ですし、彼らは民族を捨てませんが、他は根無し草にならなければならないのが問題です。結局のところ、これが軋轢を生んでしまっているのであって、長年の問題に繋がっていることもあるでしょう。民族主義的考え方は嫌だから国際主義と言いましても、言い方を変えれば、それはユダヤ民族主義に乗っかっているだけとも言えるかもしれません。とりあえず、現在はこのシステムで動いていると言えると思います。
ただこれはぼくが思うことであって、永瀬清子がそれを考えていたということは、長島の件等、生前のエピソードを聞いても、可能性はとても低いということです。
ぼくは生まれた時代も違いますし、見てきたものも違うと思いますので、考え方も違うのが当然です。
ぼくが悩むことですが、ぼくは永瀬清子の意思を尊重した表現をするべきなのか、ぼくの意見を押し通すのかということです。
表現としては永瀬清子を尊重した世界のほうが美しいのは確かなのです。

posted by 超画伯 at 22:45| Comment(0) | TrackBack(0) | きよこのくら関連