2016年04月12日

旧価値

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個人的に、現在異様なものを感じています・・
何といいますか、パナマ文書に対する今の状況に対して、右も左もだんまりといいますか、一部の人たちが騒いでいるだけで、社会悪を許すなとか日常的に騒いでいる連中が、なりを潜めていることを感じます。
「かわいそうな子供」・・いわゆるこれの原因として考えられる大きな要素が見つかっているにも関わらず、叫ぶことは何かといいますと、左右の対立のような、階級とは関係のない、同一階級上の争いにしか関心がないということでしょうか?
思うに、これは、旧価値観と言うことにしますが、戦後に作られた価値観のもとに物事を考えて動いているからではないかと思えます。
この考え方は、言い換えれば用意された価値観であり、その外は除外するという考え方でもあって、現在の権力(現在は資本家)にとって統治のために非常に都合のよい考え方なのではないかと思えます。
多くの人は、この戦後の価値観に乗っかって、それを基準に物事を考えてきたため、その外を考えることが出来ない・・そして、一向に変わらない状況の中で、正義を延々と叫ぶことができる。
個人的には、問題の根本を解決する気など、深層の部分では無くて、正義を語る自分に酔っていたり、これによって目立つことで、小さなヒエラルキーの上に立つことを期待しての行動なのではないかと思ってげんなりします。
考えてみれば、このネットの中も支配層が投下した発言が蔓延していて、それによって人が動いているように感じます。自分が例外としての、上位の仲間になるための考えかもしれませんが、ほとんどの場合は、そんなことは起こり得ない上に、その考えに触発されて、馬車馬のように働いても、上層に吸い取られるだけで、仕事に対して、それほど対価を得られるとも思えません。
「そんなことはない」と例外をとりあげられることもあるかもしれませんが、それは崩壊にしか向かうことはない旧価値の中での上層に貢献するだけの行いをしているだけであって、だからこそ非常に都合がよく、集団は本能的にこれを宣伝して夢を見ます。

よく他人に話していた話ですが、なぜぼくが、エネルギー問題に参戦しないのか尋ねられたことがありますが、それは更に強大な支配者を作り出すからだとしか言いようがありません。地球温暖化防止や反原発もそうですが、常に対になるエネルギー側の資本の餌になるだけでした・・
それでも、正義は、そのエネルギーを軸に行使されることが非常に多く、これには多くの矛盾が生じます。そこに左右の対立が生じたりもします。冷静に考えれば分かることですが、ここまで膨れ上がった人口を支えるために必要なものは、色々な考え方が無ければ不可能なことは、繋がる繋がるというのならば、いろいろ繋げて考えてみれば分かりそうなものです。

物理的なエネルギー問題ではなくて、概念的なエネルギー問題として資本というものがあると思います。ここ何年かは、面白いほどにその問題は目をつぶられてきました。何故でしょう?
ぼくが思うに、右も左も、上の人たちは、上流階級に属する人間だからではないかと思えます。そして、繋がりすぎて癒着しているのか、それとも大衆レベルですら、心の中の主君に逆らえず、本質的な問題提示をできないというのが現在ではないでしょうか?それにすら考えが至らないとすれば、それはまさに旧価値の奴隷とでも言えるのかもしれません。

最後に、そういう既成の概念を打ち破れる考え方こそが、アーティスティックなのだと思えるのですが・・
posted by 超画伯 at 20:16| Comment(0) | TrackBack(0) | マウス画伯関連
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