2016年06月30日

プロセスの社会

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とりあえず、マウス画伯展に関連した考察の最終回にしようと思うのですが、展覧会期間中に考えたことは、プロセスの社会という、結論のはっきりしない社会というものでした。
そもそも、この展覧会は、パナマ文書流出事件を発端に行ったもので、まず第一の目的は、ほぼ無関心を装うマスコミ関係に、この記事を載せることにありました。おそらくは、週刊誌によっては、この件を軽めに乗せるということはあったかもしれませんが、ぼくが最も危機を感じた現在の社会の状況まで書くような新聞というものはこの時点では、ほとんど無かったのです。
租税回避問題については、以前から知られていたことで、2014年には、日本の大企業等がケイマン諸島等、タックスヘイブンを利用して行っていることは知られた事実ではありました。ただ、今回よりもずっと世界の危機意識は低かったように思います。
事実としては知っていながら、今回の件を特に異様に感じたのは、社会の隠蔽性といますか、なぜか巨大な圧力団体同士が互いを隠しあっている様子でした。これ自体は、現在の社会では巧みにポピュリズムを利用して、聞こえの良い言葉を使って事実を言い換えながら、様々な形で繋がっていこうとする社会の傾向を考えれば分かるものでしたが、より巨大な力を持った団体が繋がりあって、同じ方向で道義に反する行為を行って、それゆえに誰も何も言えない状況が起こっていることでした。そして、それらと繋がる団体もそれを裁くことが出来ない状況・・互いが抜け駆けは出来ないように結びついていることがはっきりした事です。
コーポラティズム(協調主義、圧力団体等の癒着主義)・・色々と繋がることは、ある時は重要で、ある時は無いほうが良いことがあると思います。残念なことに、三権分立等と言われるように対立関係があったほうが良い世界というものは存在しますし、多くの場合、この対立軸こそが、ある一方の暴走を食い止めるものでもあるということです。それが最終的に全体でまとまってしまえば、ファシズム(近い意味として全体主義)という段階が待っているということもあります。これはユートピア的な発想の行き着く一つの点ではあると思うのですが、この場合も次の対立軸がより強固な形で現れてきます。それは、それ以外の国ということになると思います。
しかしながら、この事を身近な人に伝えてみても、伝わることは無く、TV等は、もっぱら芸能人等の不祥事を流し続けている状況でした。
もちろん現在の社会では、そういう分かりやすい不祥事でなければ、理解できない人が増えたというのもあるのかもしれません。
ぼくは、より信用のある媒体で、この事を知らせる必要があると感じました。
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現在のユートピア的思想と言えば、市場経済の自由ということになっています。これは、個人主義や共産主義などと考えは異なるものの究極的には国境の無い世界を目指すものでもあります。経済的自由というのは政治による介入が無いほど自由が拡大するのだから、無政府状態こそが究極の形態で、目指すべき世界ということになると思います。当然ながら政府が無いのならば国境もない一つの世界ということになると思います。世の中には、国が悪行を行うのだから、そういったものが無いのが良いとする考えや、個人を重視するのならば、そういった社会の力が個人に及ぶべきではないとするような理想主義というものが存在すると思いますが、これらの結論はどれも非常に似通っていることに注意していただければと思います。そして、政府はその役目を縮小するべく、自ら力を放棄してる最中ですが、一見強さばかりが目立つ政府というのは実は非常に弱いのだと思えます。
最終的には、弱い政府には社会的な制度によっての再分配が期待できないのだから、力だけが支配する世界というものが待っているということです。

最近、コンビニの本棚等で田中角栄の名前をよく見ます。彼もまた、汚職で問題になった人物だったと記憶していますが、同時に現在の路線とは異なる政治を行っていた人物でもあったように思います。書籍については読んでいませんが、現在の世の中の方向性が新自由主義で、行き詰まっているからこそ、また田中角栄なのだろうか?と思ったりします。
彼が行ったのは税収を地方に再分配することで、富の再分配を行う事でした。そしてそういったことはインフラ整備等では地方のゼネコン等と癒着しやすく、どうしても腐敗しやすい構造がありました。これは社会民主主義的な発想から起こる政治だとは思いますが、結果としては、この腐敗が嫌われたことと、冷戦の終結から、決定的に市場中心の自由主義の方向に加速したのだと記憶しております。冷戦構造時には、何時でも社会主義革命が起こる可能性を秘めていたため、基本は資本主義の社会も、進んで社会主義の手法を取り入れていたのでしょう。社会主義単一の国家に対するセールスポイントとして、労働階級にも配慮する必要があったのです。
これが、社会主義陣営の崩壊で、社会のそういう制度そのものが信用を失って、最近で言えば、鈴木宗男議員の事件を最後に大きく流れが変わったという感じでした。彼もまた、田中角栄と同様なのでしょうが、当時では古い社会民主主義タイプの議員ということになり、その古さには、マスコミも含めての総攻撃で、完全に現在のような流れに移行したという感じです。もちろん、現在の流れとしては、イギリスのサッチャリズムなど、新自由主義という流れは中曽根内閣あたりからあったものではあると記憶しております。
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新自由主義の時代になると、これまでの汚職が減ったのは確かでしょうが、それ以上に問題があふれて出てくるようになりました。
田中角栄の地方への富の再分配で書いたように、政府の介入が減る以上、それが無くなる方向に向かう新自由主義では、地方から疲弊していくことになります。
その時に登場したものですが、現在のぼくの視点は、あくまでもアートという自分の居場所であり、排除された領域でもある社会を見る目線から発展したものです。今回はコミュニティーアートについて深くは書きませんが、疲弊する世の中を覆い隠すように様々なものが現れてきました。特に言葉は現状を覆い隠すようなものが蔓延しました。

ぼくにとって幸せだった時代はいつだったのでしょう?分かりませんが現在と、これからがすべてで、それなりに幸せなのかもしれませんが、不安はより大きくなりつつあります。その中で苦しいながらも助けられたり、色々な集団等と対峙しながら進んできていることは、一つの生を感じる瞬間です。たぶん、人間というか、この自然界は生まれた時からそういう要素が必要なように出来ています。
ぼくが、ある理想を掲げても、それは非常に儚いもののように感じますし、壊れてしまうのは時間の問題なのでしょう。自然界の掟です・・永遠の約束された状態は来ないのです。ならば、これまでにやってきたこと、そしてこれから行う事をせめぎあいながらもプロセスとして進んでいく・・成功・・結果だけを追ってショートカットのように成功しているように見える他者をコピーしているようなものとは異なって、少なくともプロセスを知っている以上、より創造的になって、ぼくに内在するものは生きる力として、より強固なものになっていく・・結果として、より良い人生だった・・というのが、ぼくの持続可能な人生なのかもしれません。

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2016年06月29日

新作投入 エルメスベース「王冠バッグ」 マウス画伯関連

画像はクリックで拡大します↓
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Hermes エルメス トロカホリゾンタルベース 「王冠バッグ」
マウス画伯」展にて、これまでの売れ行き好調で、グッズほぼ完売のため、新作投入いたします。

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マウス画伯展で気が大きくなった乞食作家、中村智道が偽セレブの気分を味わうべく、マウス画伯メインキャラクター、ジョンを王冠型にしてエルメスバッグに配置いたしました。※最新の家内制手工業によるものです。
もし、あなたが奴隷であるならば、これを獲得することで憧れの偽セレブに扮することができることでしょう。
これまでのグッズを圧倒する存在感、そして、作家自らのエクストリームブラック化によって得られるハイクオリティーは、あなたの悲しいまでのコンプレックスを満たしてくれることでしょう。

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Hermes エルメス トロカホリゾンタルバッグは未使用新品となります

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Tomomichi Nakamura のサイン入り

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落ち着いた色合い 首輪はエルメスをイメージするオレンジ色

つづき
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2016年06月24日

アウトサイダー

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一般的に、アウトサイダーと言われている集団というのは、あくまでも集団なのであって、実のところアウトサイダーではないと思えます。
例えば、障害者アートと言えば、そういうジャンルだと捉われがちですが、現代では制度的にそういうものは扱われていて、すでに用意されているのだし、それを一くくりにアウトサイダーとするのは実のところ言葉そのものが一人歩きしている状態で、現状では「ゆとり教育」にも似た問題を感じることもあります。というのも、実のところ、そのジャンルでしか輝けない人は存在するのだし、一つの特定集団を一くくりに「才能」としてみるのは、本当は存在する才能を埋没させることにもなりうるのだと思えます。結局のところ、そういったものはテーマでくくられているのにすぎないように思います。

ぼくの場合は、大人になってからも、これといった居場所が無くて、結局のところ、どの制度にも合うことはなく、常に浮いた存在だったのかもしれません。社会でも、これといった居場所は無く、結果としては自分の居場所を作る必要がありました。唯一、自分の安心できる空間としての家はありましたから、その点では恵まれていたかもしれません。元々、字もあまり書けませんでしたし、PCのおかげで、やっと文章も記入できるようになりました。
ぼく本人は、実のところ、一般的な社会に当てはまることそのものが願望ではありましたが、その場に長くいることは出来ず、何度も追放されてきたことから、結果としては社会を見るようになりました。そして、ぼく自身も生きなければならないということです。だから、その社会を作る真似事としての作品が誕生してきました。これが、ぼくにとってのアートということになります。
ぼくが物を作ることは、けっこう切実な問題でもありますし、対立軸としては、常に一般社会というものがありました。それは、自分の居場所を押し広げることでもありますし、諸制度に乗れなかった自分が、その諸制度とそれに乗る人たちから自分の領域を防衛する闘いでもありますし、その中には、明らかに周辺の社会をも巻き添えにして悪しき社会に導くようなものもありました。現在では社会を堕落に導くような考え方の蔓延そのものです。これによって、社会は多様性を失いますし、そうなれば、ぼく自身は確実に居場所を失うことになりますし、ぼく同様、社会に適合しにくい人たちは生き場を無くすか、強制的にその社会に劣等生として組み込まれることになるでしょう。しかしながら本来は、そういった人たちがいなければ、社会は現在とは違う道を見出すことはできず、低迷して、結果としては何らかの破滅に向かうのではないかと思えます。ある種の異なる性質の存在は、自然界の耐性菌の生存方法などと同じで活路なのですが、現在の社会は、そういったものを存在しにくくしていっている傾向があるように見えたので、ぼくは、何らかの覚悟を決める必要がありました。なぜそのように思えるのかは簡単なことで、それは、ぼくの生い立ちと関係があるでしょう。ここまで説明してきた通りです。ぼく自身の存在の危機だからです。

多くの場合、人は到達点を求めます。それを成功と言ったりして夢を見るのですが、ぼくはそういう大そうなものに到達したことがありません。あったのは、通過点だけで、それだけならば、すぐに崩れるような危ういものしか無かったように思います。そういうもので、今後、ずっと幸せになれることなど無かったのです。
今回の展覧会で言えば、新自由主義等・・これはもともと理想主義的な運動でもありますし、市場ユートピアの考えそのものです。これが叶ったときは、そういうものが実現するという考えのもとに行われたものでした。政治領域が縮小すれば、個人の自由は拡大されるという考え方は、けっこう納得できるものですし、そういう考えが社会にアピールする力は大きかったのだと思います。不幸なのは、これがまともな対立軸を持ち合わせない状況が現在起きていることだと思います。もちろん、そういう対立軸がある世界は、ある種の道徳的には理想ではありませんが、残念ながらこの自然界は、対立軸の存在が無ければ存続ができないように出来ているということです。捕食者と被捕食者の関係等・・
結果としては、世界的に同じような考え方が蔓延して、そもそも社会というのは不安なものという事実を払拭したい考えが蔓延しています。社会は多様性を失い、暴走を止めることが出来ない・・ぼく自身も多数派社会と同じような考えを持たないと生きていけないと思えるような風潮もありますし、理想主義的思想から出てくる言葉というものには、そもそもそういう傾向があるように思います。そういう事自体が既に矛盾になりつつありますし、到達点はディストピアになることは目に見えている状況です。
実のところ、分かりにくくはありますが、対立する存在があるがゆえに到達点は無いながらも、進んでいける社会でなければ、持続はしないと思えるのですが、人は分かりやすい回答を求めます。
プロセスというのは、しんどいことでもありますし、分かりにくいことでもあるのでしょう。
このことは、また別の機会にでも書きます。

ぼくは、そもそも、作品を作りたかったわけではなかったですし、実際は、公務員や学校の先生のようなものになりたい人だったわけで、結果としては、作品の出力の方法も、他者とは大きく異なるのだと最近気が付きました。ぼくの対立軸は一般的な社会の中の、ぼくの領域を狭めるもので、それを軸に作品を出力します。なので、明らかに思考が先行しているのであって他者のイメージの踏襲も不要なことから、アートや映像の知識も、ほとんど持たなかったことが実情です。見るべきものは、常に世の中にありました。そして、その中で生きるために組み立てていったプロセスそのものが、ぼくの力のすべてということになります。失敗は非常に多く、ショートカットとしての回答を学習する能力も持ち合わせなかったので、回答にたどり着くためのプロセスは物凄く踏んできたのではないかと思っています。結果としては、これは良いことで、その過程で非常に複雑な組み合わせを経験することになって、おそらく、これから初めて作る技術でさえも、すばやくイメージして作れるようになりました。ここ一年でやったことは、これまでに経験のない事ばかりでしたが、これが更に力を与えてくれるものだと思っています。

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2016年06月23日

新作続々 マウス画伯関連

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マウス画伯」展 売り切れ続出で、新作グッズ続々登場です。

↓画像は、それぞれクリックで拡大します。
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軽量神輿ハット
軽い神輿をワッショイ!ワッショイ!
結果、自ら軽い神輿の奴隷になってしまう現代人の一員になった気分に浸れる帽子です。
頂点に君臨する、超富裕層ジョンさんを担ぐことで、あなたの悲しいまでの西洋コンプレックスを満たせること間違いなしです。
あなたも、足となって富裕層を支えよう!

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綱を引くのが縁起の良い白ネズミ様であることが、せめてもの救いです。


つづき
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2016年06月20日

家内制手工業フルスロットル

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産業革命後の英国を思わせる長時間労働で、労働基準法完全無視の、家内制手工業フルスロットル状態なんですが、セルフブラック化するにも限界があるのと、予想外の売れ行きで、生産が追い付かないため、連絡がつかない状態ですが、早めの製作が進んでおります。
展覧会は7月3日までやっております。
というわけで、今後とも「マウス画伯」展をよろしくお願いいたします。

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posted by 超画伯 at 23:33| Comment(2) | TrackBack(0) | マウス画伯関連