明日は、奈義町現代美術館でアーティストトークなんですが、とくに話す事は考えていません。というか考えても無駄というか、そういうものは都合良く話せないので、流れのなかで話をできたほうが良いと思っています。
とりあえずは本当の事しか話しませんので、聞かれれば本当の事を話す予定。
写真に関してのうんちくは出てこないと思います。蓄積がありません。
年齢的にも、誰かの影響を受けるという感じでもなく、何かを聞けば、そういう事実があるんだなという程度でしょうか。鈍くなって、何が凄いのか分からないというのもあります。30代までは、衝撃の連続でしたが、そういうのは慣れてしまいます。下手をすれば、癖になり、勝てないほうに慣れてしまいます。あと、衝撃は良いこともありますが、脱線して表現が悪化する事のほうが多いというのが経験上感じることです。
ぼくは、コンペでも、傾向と対策をしません。作った後に、自分に合いそうなところを探すタイプです。映像時代は、一度は目指したところもありますが、そういうのは良い結果になりません。ほどほどの結果は出せますが。。これが参考になるかどうかは分かりませんが、合わない事に関しては、少々頑張っても結果は出ないということです。最近は、そういう研究結果も出てますし、今は物事が多すぎて、努力でどうやってでもできるようにするという時代でもないでしょう。例えば、成績2の人が努力しても、3にはなっても、ほとんどの場合は5にはならないとか。。そうあるべきという人はいるでしょうが、ここに破綻した人がいるわけですし。そもそも、そうあるべきと言ったところで、そうなることもできず、他者にはそれを要求して、下手をすれば正義マンになってしまって個人攻撃ばかりしている知り合いも、この年齢になると増えている状況です。要は粗探しですが、粗にも可能性がある場合もあって、それをすることは、自分の選択肢を減らすことにもなりかねないわけです。
比較的楽にできることというのは、自分に向いているということ。そこにほどほどの努力という感じでしょうか?