なかなか面白い表現だと思う。
正直、表の周知の出来事にそのまま乗ってそれを表すことには興味がない。そもそも、表さなくても既に表れているし、ぼくが知りたいことはそれではない。そういうのを強く表すのは独裁国家の類いだろう。
世の中には、ゆるふわでは済まされない出来事は多くあるが、場合によれば、戦争ですら無いことにできる。実は、社会というものは、そのテクニックに長けており、それがアンバランスに加速しすぎているのが現在だと思う。想像しなくて済む分には、すべては社会の都合、或いは政治的都合としか言いようがない。これが加速したことの要因の一つとしてあるのはインターネットだろう。分かると思うが、当初はまだ個というものが重視されていたが、それは集団というものに置き換わることになり、共通の認識以外は、打ち消されるという状態に今はなってきている。
ぼくが関心を示すものとして、その打ち消される側というものがある。もはや、マジョリティーに特段面白いアイデアがあるわけでもなく、多数派ゆえに珍しくもなく、結果として打ち消しの側であり、そうなると行き着く先は、マイノリティーの世界なのかもしれない。ぼくは、相互作用として、その打ち消しのようなものに対しての反作用を起こす事を考えている。ただ、その内容として考えている事は、最も当たり前の事だったりもする。周知かどうかも分からなくなっているかしれないが。
強度が必要だが、今はそれほど意識しないように心がける事にする。