できない事に関して、そこは努力するべきだという事を言われることがあるかもしれないが、これだけははっきりしておく。努力していても、間違いなく人並みにできることは無いということだ。人が1年でできる事だとしても、20年も30年もできることは無い。努力は重要かもしれないが、できないことは最低限でおさえておかないと、すべての面で遅れをとることになる。ASDというものの認識が低い時代の人間は、それで人生を棒にふることがあると思う。できる部分で努力したほうが、トータルとして能力を発揮できることになると思う。逆に、何故ぼくに特別にできることがあるのか?に関しても、他人には理解不能だし、そのような反応しか帰ってこないかもしれない。
もし、努力で何かが人並みに、それもわりと短期間でできたとするならば、それは障害とは言えない。そういう話をあてにしても、自分には当てはまらないと認識したほうが良いかもしれない。
努力という言葉は罠にもなり得るし、下手をすれば入院するはめになるぐらいのダメージを負うことがある。複合的な理由から、死ぬこともあるかもしれない。
ちなみに、ぼくがこの程度に文章を書けるようになるには40年以上かかった。それも、PCの補助無しでは不可能だし、文章として間違っているところがあったとしても、認識することは不可能だ。
もし、文章として何か間違っていたとしても、伝わればそれでOKぐらいに考えたほうが良い。自分が読んで理解できるか?というのは良い方法かもしれない。