ぼくは元々そちらの側の人だし、それで満たされていた部分もある。
写真を写真のように撮る事に関心が薄い。それは良いのだが、カメラに関心が無くなれば、撮ることはけっこう辛い事だ。ただ、車に飽きたようにカメラは飽きるだろう。
元々写真に興味があったわけではなく、そこに絵としての側面や、何らかの意味がなければ退屈だ。映画とかにしてもそうだが意味の薄いものを見るのは辛い。同様に綺麗なだけの絵にも関心がない。
ぼくは、思われているほど、作業に興味がない。興味のあるビジュアルが浮かんだら視覚化して眺めている。それも苦痛が伴うが、興味がないビジュアルを起こすのは苦痛でしかない。思いついたものを、すぐに視覚化できるツールが欲しいが、それはドラえもんの世界だろう。
けっこう人生は時間が無い。関心があることを最短で行うような手法があったらなと思う。
蟻の種類を増やしている事には意味がある。実際に、これにより何かができるのは来年だろうが、物事には時間がかかるというのが残念だ。