ここ最近、身近に関わっていた人までも陰謀論に染まってしまって気が滅入る。結局のところ、ネットの逆張りとかに乗ってしまったりで、それを信じこんでしまう人はあまりにも多い。そういう人たちが先鋭化して、ネットに書き込みしている様子もうんざりする。本人たちは、正義のつもりなのかもしれないが、少し距離をおけば、それはカルトである。
そもそも世界は複雑だ。それを考えるのはしんどいからか二元論に陥りがちだが、実際はそんな簡単な正義や悪で世の中が動いているわけではない。しかしながら、こういうことを言えば、二元論者からすれば、ぼくこそが気の毒な人であり、支配層に騙されている典型というようにも見えるのだろう。
そういえば、ぼくは七年ほど前に、白い闇の社会の話をしていた。まあ、そういう影のないものだけの社会について話していたわけだが、方向性としてはそうなっている。影の無いものは見えないのだ。そういうものからくる不安というものもある。もはや、影のあるイメージそのものを世の中は排除する傾向がある。それに乗れば、それは正義なのかもしれない。世の中は非寛容になりつつある。ネットなどにより、気が大きくなった人たちの攻撃性は増すし、号令をかければ、同じような考えの人たちは集まるかもしれない。そうなれば、味方が多いと錯覚するし、それにより他者を排除できれば、社会はよりすっきりとして良くなるという錯覚も起こりえる。しかし、事実は、社会はストレスをため続けているのだろう。白いだけの社会というものも、一つの極の存在しか許さない社会のあり方なのだ。多くの人が、ステレオタイプ的な良い人を演じなければならないのだ。そうでなければ、それは悪だと見なされるのかもしれない。なんとも息苦しい事ではないだろうか?
とりあえず、表現は不要になる。分かるだろうか?事実、そうなっていることに気がつかないだろうか?