2021年07月24日

世の中とは異なり

一応、うちにはテレビも無いので、当然オリンピック等は見ていない。あと、駆り立てられるものがあり、自分が可能な限りは、撮影や、編集を続けている。人に与えられた時間は、とても短い。

自分の中で、自分を探している。この行為で自分というものが見つかる可能性は、0%だ。ただ、それを行う必要があると思っている。
結論として分かっている事を何故行うのか?それは意味が無いのでは?という言葉もあろうが、知識の上で、その0%を知っている事と、それでも探すという事では大きく意味が異なる。何故なら、そこには思考というものが、間に入ってくるからだ。
この思考無しでは、強度というものはあり得ない。

思考というものは、言語だけで行うものでもない。他の感覚も駆使する。それは、一瞬で何かを構築することもあれば、時間を要するものもある。ただ、経験上優れているのは、一瞬で出てくるものだ。これを時間を要するほうの思考で補完する。そうすることで、作品が成立するのかどうかを決める事になる。

ぼくが、現在何をやっているのか?を知っている人は、ほとんどいない。パートナーですら、一部しか知らない。
これまでの経験からの思考の純度を高めるためだ。それを、可能な範囲で行っている。
頭痛が続き、体力も無いが、休みながらの作業になる。

ぼくの価値観が、他者と大きく異なっているのは、もはや、ぼくが生きるための力になりつつある。この段階で、他者と触れる事は、ぼく自身が持つオリジナリティーを破壊することになる。他者の意見に、オリジナリティーなど無いわけで、それは、過去の何かと照らし合わせた何かにすぎない。「もっと、○○みたいにしたほうが良いいよ」という感じで。
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