この件に関しては、非常に簡単に答えたい。
ここ数年の日本という国は、誰の思いつきなのか、凄くもないものを凄い凄いと言いながら、何かの錯覚に陥っていた。その症候群なのか、多くの人が、ある種の妙な洗脳に陥っているのも事実だ。
単純に個人として考えてほしいのだが、凄くもない自分を凄い凄いと言ったところで凄くはならないどころか、それは成長を妨げるのではないか?少なくとも、自己を見つめた上で凄いという言葉は選んで言う必要がある。重要なのは、ある種の成長体験なり、それを理解した上でその言葉を言わなければ、ただの勘違いにしかならない。
単純に個人として考えてほしいのだが、凄くもない自分を凄い凄いと言ったところで凄くはならないどころか、それは成長を妨げるのではないか?少なくとも、自己を見つめた上で凄いという言葉は選んで言う必要がある。重要なのは、ある種の成長体験なり、それを理解した上でその言葉を言わなければ、ただの勘違いにしかならない。
少なくとも、成長というものを体感し、理解し、成長方向に意識し、努力を重ねた上でそれを言わなければ、劣化にしか繋がらない。
今のところの、ぼくの体験上分かるところはそこまでだが、自分に凄いと言い聞かせる事は、一時的にはドーピングのようにテンションを上げるのは事実だ。ただ、長くは続かない。快感だけのために、そういうことを言うのではなく、自分を深く見つめ続ける事が必要だ。
と、ぼくの教室の受講生にも理解してほしいところ。