2021年06月23日

実は、言葉以外でも伝達できる

ここ最近、言葉で説明しないと伝わらないと言ったが、あれは嘘だ。実は、それ以外の方法がある。その一つは、視覚芸術かもしれない。人間は、言語による思考を重視するあまり思考=自分という錯覚を起こしている。実は、生物である以上、言葉以外の思考のようなものを持っている。それは、進化の過程で受け継いだものだ。
ただ、洗脳され言葉に閉じ込められた自分というものを解放するための嘘が必要だ。目的は、違う世界の捉え方が存在するのだと知ってもらう事にある。

ぼくは、コンセプトという言葉を基本的に言わない。漠然としている。言葉の積み上げの上に投げかけるそれは、西洋のものだ。確かに、日本は西洋化したが、どうだろう?日本人は、対立意見に自分の名前を使う事を嫌う、何故ならそういう他者に相対するには、メンタルが弱すぎるし、無駄にプライドも高すぎる。結果、起こることは恨みということになる。相手の言うことを冷静に聞く事が出来ず理解の上の反論というよりは、感情論に終始する。そういう文化が如何に根深いかは、日本人であるならば分かるはずだ。表面だけ真似たりしても新たな価値観は産み出せない。だが、劣っているとか、差別の対象になるとかでは駄目だ。ぼくたちにも、広い視野、複雑さを感じる知覚がある。
ぼくは、この周辺、ぼくを育てるに至ったぼくの中に内在する流れる文化、孤独であり、そうではない感覚の再現として、作品に出力することにした。

このあたり、病院も含め、ぼくと似た文化形態の中で生きてきた人たちは、現代という時代に、ほどほどに住みやすい社会を築いている。それも崩れそうだが、だからこそ、自分に中に内在する何かを昇華させようとする。ぼくに、特別な力は無いが、生きる意味を失っているぼくにとっては、救いなのだ。
真理は無いし、ある閃きの後も世界に変化は無い。痛みも、苦しさも、虚しさも残る。ぼくというものの、固有名詞で呼ばれる存在が死んで形態を変えるまでは。分かっているが、痛みも苦しみも不安も、中村智道と言われる区分を維持する装置なってしまっている。そういうパターンとしてあるものだから、こういうものも書いている。自己の認識から消えるまではそういう事をしようとする。

自閉症スペクトラム障害というマイノリティーと言われる何かが、自分のもう一つの広い感覚で、複雑な何かの信号を並べたもの。言葉ではない別の知性のようなもので他者に問いかける。或いは知ってもらおうとする。いわば、ただの会話の別の形だ。言葉は使うが、その頭の中の動きはマイノリティーだ。ただ、マイノリティーは言葉のくくりでしかない。内部の孤独な何かが、他者の体といわれるものの内にある、孤独な何かに、もう一つのぼくを知ってもらうためのコミュニケーションだ。それが可能になったとき、ぼくの中にある自分と思っていた自分とは違う自分は、孤独ではなくなる。
言葉では、回りくどい言い方にしかならないが、それを多くの存在が持っている。
「それは、言葉以前の感覚だ」と、劣ったものと思う人もいるかもしれない。
ならば、その言葉とやらは、何か美しい色や知覚のようなものを表現する事ができるのか?洞窟で、最初に描かれたあれは何なんだ?
言葉ではない領域、複雑な何かでコミュニケーションをとろう。それは、もう一つの理解だと思う。

今日、病院を退院する。
雑音の多い所に戻る。
この、一見謎めいた、或いは下手をすれば病的な自己詮索は、ひとまず終ることにする。


追記
入院後、ぼくの血圧は、標準的なレベルで安定していた。しかし、出ることになると、まだ出ていないにも関わらず、元の高血圧に戻った。そして、心臓付近が痛い。
ぼくと思っていたモノは、入院したくなかったし、出たいと思っていたはずだ。
ぼくの中には、まだ言葉では掴むことが出来ない他のぼくがいる。
そして、先日読んだ本や、ここでやった、つまらない退屈な皆の身の上話を思い出して、今さら泣いた。
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