2020年10月19日

分身

友人と七五三の写真を神社に撮りに行ったのですが、残念なことに神主に怒られてしまい、その場の空気が悪くなって、こわばった顔に撮れてしまったような気がします。
残念です。

まぁ、他できちんと撮れてるから良いわけですが、個人的にもやはり神社の印象が悪くなり、なんとなく、ただのキモい空間になってしまいました。
なんというか、霊的なところの印象が悪くなるというのはキモいもんですね。

まぁ、神様とか信じてないし、そもそも、そんな良いものがいるなら、なんで学習力だけ極端に低いような自閉症で生まれてくるわけよと。
思考回路のほうは普通に与えられ、どんだけ苦しんだことか。
まぁ、そういう人間以上のモノを呪うのも神を信じるに等しいわけで、当然ながら、そういう生まれの問題は、偶然の産物だと思っています。というか、母親からもらったものなのかもしれませんね。遺伝子というデータのインストールとかで。母親は、最近、ほとんどすぐに物事を忘れますが、ぼくも確実にそれに近いです。想像力のおかげで、自分の過去の予測はつきますが、最近衰えてきてますね。

ぼくが、もっとも覚えが悪いのは言語です。漢字も書けないし、話になりません。ですが、世の中は、数字と言語で構築されているのかもしれないという不安。
神はいないとしても、ぼくをプログラミングしているというか、ぼくが生まれるまでの起源を作り出した存在は否定できないでいます。ただのゲームとかのキャラクターにすぎない可能性も否定出来ません。
ライフゲームのようなものがひたすら進化した結果、ぼくや、この世界の生命的なものが生まれたことも否定出来ません。SFとかの妄想かもしれませんが、神を否定し、想像を開放するならば、この世界の危うさなどは、必ず想像するものではないでしょうか?人が神を作り出す理由はそこにあって、心の平穏と思考の暴走を防ぐためにそれは必要だったのだと。
あまりにも、数字と言語というものは、都合が良すぎるわけです。

最近考えるのは、この衰えた体を自動化させることは出来ないだろうか?ということ。自分の思考の分身とはいかないまでも、サポート出来るプログラムを作り出すことに興味を持っています。
自分をひたすらインストール、そして反復学習させることで、ぼくの仮想的なコピー人形を作り、それが、ぼくが納得できるイメージを作り出せるようになるまで教育すること。
現在の技術程度だと、その程度のものであるならば、心を宿すなどは到底無理だろうと思いますから、それは罪深いものでもないでしょう。
ただ、それは、ぼくが人生で克服出来なかった、言語が必要なわけです。
posted by 超画伯 at 04:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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