2019年11月20日

カメラ趣味の終わり

ぼくは、写真家にはならないと何年も言ってきました。カメラは、ある仕事で使って以来好きだったわけですが、何となく機械を愛でるとか、そういった感じで、以前、某賞に推薦するから写真を出さないか?と言われた時も断ったりしていました。
ぼくは、アニメーションの作家であって写真家ではない。その領域は、ぼく個人のお楽しみにしておいてくれ。という感じで、作品とか関係なく、単純に楽しみたいという、いわゆる趣味の領域として考えていたわけです。

それから8年ぐらい過ぎたでしょうか?

2年前、ぼくは病気で、体験したことも無い絶望感を味わい入院、無気力状態にはなりましたが、何故か作品の事が気がかりで、二つほど作品を考えていました。一つは「蟻のような」もう一つは、ここでは言いません。もう一つはどう考えてもアニメーションでしか作れないものでした。

1年が過ぎ、ぼくの体は回復しませんでしたが、案外そういったことは許されなかったりで、ぼくは何かをしなければなりませんでした。あと、もう中村は終わったと思われたのか、何人かの人は去っていきました。たぶん、何時までも何かを作れなければ、人は、ぼくという存在を侮ったりするわけです。それだけしか、ぼくの価値は無いと思われていたのかもしれません。。
ぼくは、カメラ趣味を終わらせる必要に迫られました。それで作品を作るという可能性も考える必要がありました。

趣味と違って、作品となると、ぼくの機材には何と無駄の多い事か?と気づかされたりしました。その多くは、ぼくが作品と位置付けるイメージには必要なく、本当に必要な部分は貧相だったりしたわけです。
作品には強度が必要です。これは、どのような形態の作品でも同じことが言えます。あと、上位に来る人たちの力は、相対的に他のジャンルに近い事も知っていました。
薄々分かってはいましたが、趣味というのは無駄を楽しむことだったりするわけです。最初から作家になる気はなかった事がそこから伺えるわけです。

まぁ良い、その時ある道具で、最高のパフォーマンスを得れば良いわけで、後は、客観的に強度を強める事。この強度が、ある一定水準に達した場合、だいたい自分がどのくらいのポジションを狙えるかを判断します。絵でも、映像でも写真でも、おそらくそれは同じだと思っていました。

ぼくは、今後、現実的になる必要があります。もう、カメラ趣味で楽しむのも終わりなのだと感じています。

posted by 超画伯 at 01:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 映像日記
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