2019年07月31日

タイムリミット 自閉症スぺクトラムとぼく 生存をかけて

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自閉症スペクトラム障害(ASD)を持つ人間の平均寿命は、通常より18年、更に学習障害を持っている人間の寿命は30年短いと言われている。
理由として、遺伝的に弱いだけではなく、社会的要因も多く関係する。

ぼくも、残念なことに、外れくじを引き、診断の結果、その両方、ASDと学習障害の両方を持ち、更にADHD、てんかんも持っている。言語的発育の遅れも、もちろん持っている。そして、社会的要因により、双極性障害も発症、肝機能も低下し、自律神経も乱れ、血圧をコントロールする力も失っている。
この障害の多分に漏れず、ぼくの体も、これまでの疲弊により、崩壊し始めている。
実際、昨年の入院は、ぼくの生死と関係のあるものだった。

ぼくは、この日本から逃げ出したかった。だから、海外へ出るための研修制度の面接も何度か受けた。だが、それは、ぼくの学習障害が阻止してしまった。ぼくが、他の作家名や芸術世界に関する事象を覚えていないからだ。当然ながら、一般社会でいえば、それは勉強が足りず、努力が足りないのだ。
以降、ぼくは、面接という面接は、落ち続けてきたのだ。特にだが、ぼくは人物の名前や作品の名前を覚えることが苦手なのだ。イメージとしては分かっているでは、この世では通用しない。

ただ、ぼくが、この世界で生き残るための手段は、”表現”によるものだった。そこにしか、この社会との強い接点は無かったのだ。

ですが、現在のぼくは、映像作品を制作する力を残していない。

ぼくが、社会への進出が断たれた時、ぼくを救ってくれたのは、表現そのものだった。そこでの社会との接点が、ぼくを生かした。
ぼくにとっての生命線は、この世界に関わること、それが無ければ、ぼくが死んでいた可能性は高い。
ぼくが何を言っているのか?に関しては、多くの定形脳の方には、本質的には理解できないかもしれない。しかし、同じく自閉症スペクトラム障害を持つ皆様には理解できるものだと思っている。

ぼくの作品は、常に死を漂わせる。それは、ぼくと死は密接に関わっていたからだ。幼い時、ぼくはこの世界で生きていくことが出来ないと思った。ぼくは、自分がおかしいことに気が付いていた。
だから、いつも消えたかったのだ。
世の中のためを思うなら、ぼくは消えるべきなのだと思っていた。
ぼくの存在は、ごく身近な人々に、必ず災いを呼ぶ。

だが、希望はあるかもしれない。それは、ぼくの能力を、何の役にもたたないものから、ギフトに変えることだ。おそらく、ぼくは、他の人が持たない能力を持っているはずだ。
そして、それを社会に知らしめる事。自閉症スペクトラム障害が持つ力を証明すること。
それをするならば、ぼくの存在には意味がある。

最近の研究で、人類の進化と、自閉症スペクトラム障害は、密接に関わっていたことが分かりつつある。ならば、この定形脳で固定化された社会に風穴を開けることが出来るかもしれない。

これからの戦いは、自らの生存を懸けたものだ。そのために必要なことは、ぼくのような人間が、生きることが出来る社会を創り出す事だと思っている。

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