2019年04月11日

長年体にダメージをあたえすぎた

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リハビリのために10日間ほどバイトに行ってみましたが、1日三時間の軽い仕事にもかかわらず、酷いダメージを受けてしまいました。
ここ最近は、1日12時間も寝ていて、まず一番気合いを入れないと出来ないことは、立ち上がることです。
今日は、病院に行くために、午前中に起き上がりましたが、病院に行くだけで疲弊してしまい、帰宅後すぐに倒れてしまいました。
昨年は、死にかけたこともありますが、そのダメージは1年やそこらで回復するものではなかったようです。
内臓や脳に、回復不可能なダメージを負ってしまったのかもしれません。
立ち上がれないのは、悔しいですが、もはや精神論の限界を超えてしまっていて、どうにもならないというか、立ち上がればダイレクトにダメージを食うことになってしまいます。
歩くだけで200に達する血圧、ボロボロの血液数値、頭を回転させるだけで酔ってしまう自律神経。。階段を無理に上がると嘔吐。

考えてみれば、ぼくには学習障害があって、人並みに物事を出来るようにするために、人の何倍も努力する必要がありました。
学習障害そのものが分かったのは最近で、以前から多くの人からは、「出来ないのは努力が足りないから」と言われ続けていました。
古い考え方ですが、苦しいのは皆一緒、同じように出来ないのは、怠け者の証拠と言われて育ってきたわけです。
事実は、苦しさには個人差があって、弱い体で同じような仕事をする事そのものが無謀というもの。。残念ながら、そういう理解が無い時代に生まれたわけで、自分の障害による症状は、単純に怠け者の特徴と位置付けられてきました。
小学生のとき、特別教室に入ったとき、知能検査もしましたが、ぼくの知能はいたって正常で、むしろ良いぐらいだったようで、その事で怠け者は確定してしまいました。
学習障害などという概念は当時無かったのかもしれません。
ぼく自身も、結果としては、怠け者であることを受け入れたわけですが、それでも人並みに出来るようになるために、それなりに努力もしていたようです。
ただ、それによって与えられたものが、体の破綻という結果なんだとしたら、悔しいというか残念でなりません。
パートナーに聞いたことですが、ぼくは、恐ろしいほどに努力をしていて、それは誰でも体を壊すレベルなのだと聞きました。
学習障害のせいなのか、その事すら、ぼくは覚えて、いなかったようです。

何が言いたかったかといえば、人の体には、それぞれ制約があって、皆同じではないということ。もし体がしんどいと思うのならば、それを回避することも必要ということです。「皆同じようにしんどい」というのは嘘です。与えられる体は平等ではなく、格差があるということです。
そのことを理解出来る世の中であれば良いのですが、今の状況を考えると、まだまだ遠い未来のように感じます。

posted by 超画伯 at 00:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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