2018年12月26日

自閉症 自分の中と外の差

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個人的には、それほど動いた記憶もありませんし、動いていたとして、いったい何をしていたのか?という形跡を見ることも出来ません。
残っているのは、異様な体の疲れだけで、目も非常にチックな状態になっています。
この間、ぼくは非常に過集中をしているらしいですが、記憶に無いのだから、自分の中では何もやっていないという感覚にしかなりません。
分かっていることは、この一年まともに動けなかったこと。
それでも、ぼくは動いていたらしいですが、これといって何も残せていません。
時間そのものが無かったのではないか?と疑いたくなります。

先日は、知り合いから、社会学の話を聞きました。
その後、ぼくは、ひたすら喋っていたらしい。
相手も自分も疲れるのだし、先日までうつ状態だったのだから止めたほうが良いと促されたのですが、自分がそんなに喋っていたのか、よく分かりません。
だいたいですが、世の中の構造や、日本人とは何かとか、バランスと美的感覚を失った芸術の話とか、そんな話だったように思います。
これらの話は、自分の脳内で構築されているらしく、延々と話すことが出来るようになっているらしいのですが、きっかけが無いと出てこないのも事実で、今このように書いていても、何も出てこないわけです。

とりあえず、軸について、ぼくの頭は動いている間、目まぐるしく思考しているようです。
ある部分に軸があって、その両側のバランスがとれているものは健全であったり美しかったりすると考えていて、それを欠いているものは美しくないという感じで。
どこに軸を置くのか?で、物事の姿はおのずと変わってきます。
その時のバランスがどうなのか?が、重要な問題なわけです。
断定形の言語を使うと、思考が止まるので、そこは慎重に考えている感じです。
世の中が常に動いているように、軸も常に動いているわけで・・
断定形の言葉に、多くの人が乗るのは、思考しなくても良いという安易さと引き換えに、美しくないような気がします。皆がそれに乗れば、それはバランスを欠くわけです。
色々な自然界の事象における、左右を見てみると分かりますが・・例えば、赤道を軸にした左右では、気圧がそれぞれ逆回転だったりで。

自分の中と外の間に軸を置いたらどうなんでしょうね。

posted by 超画伯 at 21:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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