2018年11月24日

人は格言を好む

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以前から思う事ですが、ぼくが話をするとして、人は格言を求めていると思います。
何かをするとして、その行動の大義名分も必要らしい。
例えば、作品トークの時に、永瀬清子は根っからの平和主義者であると断定する発言を求められたときに、ぼくは、分かりませんと答えました。
人には側面がありますし、永瀬清子が戦争当時に戦争を反対しなかった事は事実で、肯定するような詩もあったらしい。戦後の戦争反対というのは、それが許された世の中でのものです。だからと言って、平和主義者ではないとも断定はできません。その時代によって、平和の概念というものは異なるわけで、現在の価値観のみで、本人が平和を求めていたか否かは分からないのです。当然ながら、ある程度生きている方ならば、ある時代、良いとされていたことが、実は悪いことだったという出来事の経験ぐらいはあると思います。それも、また逆転するかもしれません。
なので、「永瀬清子は根っからの平和主義者だ!」「平和とは、このような行動をすることだ!」とは言う事はできませんでした。そういうことは断定せず、何かをつくるという意味でも、常に考えていたいとも思います。
基本的に嘘は綻びが生じるので、作品については極力言わないようにしていますが、個人的に格言らしきものは持っておらず、そのような発言は出来ないわけです。
ですが、格言が重要な事は分からないでもなく、その格言を聞いたところで、人は物事を考えなくてもすむようになります。ある種の出来事や、人物像、思想的なものは、そこで固めることが出来ます。
最も重要な事は、そこで何かを考えなくても良くなることだと思います。
善悪の概念もしかりで、その善悪の定義が固まっていれば、そこからは何も考えなくても、それに従えば良いわけです。事実として起こりうる弊害については、誰も考えなくても良いわけです。
常に物事を考えることは不安が付きまといますので、そこで思考を停止させてくれる発言があれば、問題は解決された気分になれます。格言にはそういった意味もあるように思いますし、故に権威ある、もしくはありそうな人が言う事に意味があるのでしょう。
ですが、問題としては、それでは破壊と創造というものは出来ないわけで、新たな考えを導きだすこともできません。
思うことは、この格言でガチガチに固められた世の中というものは、変化よりも維持する力のほうがはるかに強いということ。
流れとしては、現在の格言の力として、商業の力が圧倒的に強いということ。そして、彼らの格言によって、実は、ほとんどの人たちが生きにくい世の中が維持されているということでしょうか。
しかしながら、その格言は多くの人たちを救うことは、おそらくは無いということは、薄々知られていくことのように思います。
格言の主を支えるために、その格言に乗っているだけであり、馬車馬のように働いても、ほとんどの場合、その対価はいつになっても帰ってはこないでしょう。
そういうピラミッドを形成して、現在の形を維持しているように見えます。その維持しているものとはトップの安泰であり、搾取のテクニックのようにも思えたりします。

posted by 超画伯 at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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