2018年11月16日

リストカットシンデレラ

PK1N0026_.jpg
今日は体を動かすことができず、たまたま置いてあった本を読んでみた。
春崎代さんの”リストカットシンデレラ”という本だ。
関係ないことだが、ぼくは、この作者が描いた絵のTシャツを時々着ている。
まだ、全部は読んでいないが、主人公の記憶のある限りの幼少時代〜青年期のことを前半は描いている。
いくらかの家庭ならばむかえるであろう、家庭の問題、とか自分の嘘のこととか、色々と書いている。

時系列が突然飛ぶので、家族が突然離れていたり、仲良くしていたりなんだが、とても素直な文体で胸を打つ。
個人的に驚くのは、幼少の記憶だ。
ぼくには、そのようなものは、ほとんど残っていないのだ。
おそらく、ぼくは幼いころは家族に恵まれていて、普通の日々を生きていた。しかし、それは自分の脳内でだけそうだったのであって、偽の記憶かもしれない。事実としては、普通の教室と特別教室を行き来していた。知的障害ではなかったが、普通ではないと学校から認識されていたからだ。
幼稚園時代の先生も、今まで見てきた中でも一番変わっていたと言っている。やることが、ことごとく他人と異なっていたらしい。
ぼくは2016年に自閉症であることを検査で知った。あと、聴力による重度の学習障害を持っていて視覚に関しても、ある程度そうだ。その前の診断では双極性障害の診断を受けていて、それよりずっと前は適応障害の診断で、ADHDを告げられていた。
個人的には、2017年を最後に躁状態にはなっていないと思う。その年の秋ごろに倒れ、それまでは頻繁だった。今では疲れてしまって、チックに悩まされている。

それは、まぁよい
主人公は、作者である本人だ、若いころにある色々な家族の問題や色々な感情は多くの人が共感できるというか、多かれ少なかれ、生きていく上では色々とある。
ここで重要な事は、主人公の恋愛対象は同姓だということ。
多くの人は、自分と違うものに感しては、おそらく共感はしない、というか奇異の目で見るか、関りを持ちたくないか、或いは見えないふりをするか・・その事は、よく知っている。
ぼくの場合は、恋愛対象は異性なので、その点では多数派なのだ。当然ながら、男に告白されても、すぐに断るだろう。
一つ分かることがあるとすれば自分にとっての世界というのは、自分を通して見えた世界であること。これは誰だってそうだ。同性が好きだということは、その体と脳が、そうだと判断しているし、それが正しい事実だということだ。体感する世界というものは、平均はどうであれ、それぞれに異なっている。
世の中というものは、基本的に多数派のために出来ている。例えば少数派の左利きのための機材がほとんど売られていない事からしてもそう。
その多数派の世界と、自分から見た世界のギャップだろう。
そこで、一人の少女が悩んでいるところまで、今のところ読んでいる。
感じたことは、主人公の感性は非常に女性的なこと。自分は男だが、その感性は男には見えず、明らかに女性に見える。つまるところ、女性として女性が恋愛対象という感じに見える。
その感情表現が女性的で、理屈や予定調和などではなく、ダイレクトに心を打つ。

表現というのは、やむにやまれず、身から出てくるものだと思っている。それは、排泄のようなもので、ある意味仕方のないことだ。そうしないと、生きていけないし、どうにもならないから。
何かにカッコいい目標を立てて、未来を指標し、「世の中のために作ります!」というのは、今の世相だと思うし、そういったスマートなものを多くの人は好むし。ある種、企業セミナーに近いような事を言っていれば、自分もそういう意識の高いカッコいい人間なんだよ!と多くの人は称賛するかもしれない。TVやネットや本で垂れ流され、そう洗脳されているし、そういうアンテナに引っかかる。その中で、笑いや、お涙頂戴のテクニックをマニュアル通りに使い、それを笑ったり泣いたりする。それも成功の道しるべだと信じている。普遍ではなくブームだと気が付いていない。約束なんか守らなくていいし、皆次のブームに行くのだから何かの達成など嘘でも良いのだ。本気ではないから、皆すぐに忘れる。

ぼくのマイノリティー要素があるとすれば、自閉症だろう。この体から見た世界は、そういったものは虚構の世界に見える。世の中はそんな善意で動いていない。多くの人は、ぼくに近寄ろうとはしない。奇異の目で見ている。
近寄ってきてくれる人は、排泄物を垂れ流している。ぼくの仲間は排泄物を垂れ流している。臭いものに蓋などさせたくない。
承認欲求があるとして、そんな嘘で良いのか?嘘偽りがそれほどカッコいいだろうか?虚像を自己に投影しているならば、そういう嘘体質こそが自分だという事なのか?自分は正しい良い人だと演出すれば、人はそう信じるのかもしれない。
所詮、この世は馬子にも衣裳の世界だ。そうなのかもしれない。
しかし、ぼくは排泄物のほうが好きなのだ。そして、その排泄物の多い世界こそが豊かな世界だと思っている。

posted by 超画伯 at 23:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/184972992

この記事へのトラックバック
リンク集