2018年09月03日

めっきり写真を撮らなくなった・・カメラつまらないかも

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色々と遊べるものだと思っていたカメラなんですが、最近あまり面白いと思わなくなってしまいました。
まぁ、言うなれば、正直検索とかにかかる写真とかもつまらないですし、アイデアらしいアイデアも無い感じで、要は何を見ても感動しないということにつきるかと思います。
自分が何を撮りたかったのかは、未だに分かりませんが、風景とか街のスナップを撮るにしても、もはや既に見た感じの風景ばかりで、何を撮って面白いとも思わなくなったわけです。
綺麗な夕日やら咲き乱れる花とか、他人の子供やペットとか、お姉さんのイケてると思ってるような写真、毎日のように怒涛のようにネットに上がってくるわけで、まぁ、皆同じような写真ばかり撮っているわけです。
これを人より綺麗に撮れたからといって、それがどうというほどのものでは無いですし、それをもって、世界が素晴らしいだろ?とか、とても思えないわけですよ。。そもそも画像処理して捏造してますしね。
要は世の中が同じような価値観ばかりで動いていて、情報としてはとても単調・・もちろん見る側の需要があるから似たような写真が多くあるわけですし、自己承認を満たす意味でも見る側に合わせた写真を撮ることが素晴らしいという暗黙の了解。。それを見て安心する人もいるのでしょうが、正直毎日同じおかずを食べてるような感じで、飽き飽きしているわけです。

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あと、何だか面白くなくなった原因の一つとしてあるのが、このPENTAX K-5Us・・
誤解を招くようですが、K-5Usは良いカメラですよ?なんですが、この機種を手にした時点で、だいたい自分が撮る対象は撮れてしまうということに気がついたわけです。(一番上の写真はこれで撮っています。岡山県の事業の撮影の仕事で使いました。-3EVのフォーカスとある程度の暗所性能で、記録としては残せるようになりました。)
その後、K-1とかも導入しましたが、これによって何かが変わるわけではありませんし、ミラーレスのα7シリーズとかも数年前から導入しましたが、特に自分に変化をもたらすものではなかったわけです・・まぁ無駄骨ですね、機材が変われば何かが変わるという希望は無くなったわけです。諧調や精細さが変わった?いや、冷静に考えると、自分が変わったわけでもなし、かなりどうでも良いですね・・あと、金も無いのに過ぎた道楽でもありますね・・何か結果残したほうが良いのかな??
とりあえず無駄骨にしないためにも、周りを見てみるわけですが、最近、世の中の層みたいなものが見えなくなってきています。
正確に言えば、現実が酷すぎるから見えないように隠してしまったという感じでしょうか・・
綺麗なものだけを見なさいという同調圧力みたいなものもありますし、ある意味良い写真というものをメーカーやら取り巻きプロ、それを真似る面々が決めてしまっている感じも否めません。要は商業なわけで、結果としては最新機種で撮った写真が良いものという扱いを受けやすいように出来上がっているように思えます。例外もあるでしょうが、比率ではそうなっているように感じます。
要は、高精細とか色が綺麗とか今までにない諧調とかで、似たような風景を撮れば、それが一時の価値になるといった感じでしょうか?
もし、これを芸術というならば、実にくだらないと思いますし、だからこそ写真は相対的に他の芸術に劣ると思っていたわけですが、まぁ、ぼくも一応映像作家のはしくれなわけで、一応世界の有名どころの映画祭や芸術祭で活動してきた体験から言えば、動くほうの映像は、ただの鉛筆の線画だけで書かれ非常に安価な装置で作られた、アイデアだけのものから、何億円のような莫大な装置と人員で作られたものもあって、一人だけで制作する人も数百人で制作する人も同じ舞台に立ちます。
ぼくは基本的に自分と音の人だけの構成で、おそらくそういう舞台の中では最貧の部類になるわけですが、とくに機材がどうとか、そんなことは田舎の映像屋か機材自慢の爺さんぐらいからしか聞いたことがないというのが実情です。要はアイデアと感性が世界的な有名プロダクションを上回ることが可能な世界なわけです。

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おそらく、そういったことは写真でも可能なのかもしれませんが、妙な共有意識がそれをやりにくくしているのは間違いないだろうとおもいます・・金さえあれば、やたらと敷居が低く、多くの定年退職者が老後の趣味で始めても、それなりに出来るようになるというのも、良い点ではあるとは思いますが、その敷居の低さが、ある種の押さえつけを生んでいるのかもしれません。要は人と違うことをしている人に対して、少々かじったことで、非常によく分かっている面々による「なんでこんな写真とるの?」とかいう雑音が絶対数として非常に大きいのではないかと想像します。
これはSNS等がさらにその様相を強くしている感もありますね・・要は保守的題材であり、皆が一様に良いということにしていて、だれもが見ても良い写真というのは、こういうもの・・と、お約束になっているわけです。そうでないものは、もし見えて、仮にすごいなと思っても、見ぬふりを多くの人がするでしょう。誰もが監視者でもあり、ルールを破壊するものは基本的に許されません。それは心の中では賛同する者も多数決に勝てないのだから見ぬふりをするのです。
要は人と違う写真を撮るとして、それが古いコンデジだったとします。細部の写り込みや、諧調差は乏しく、保守的題材の要素がないとなれば、多くの場合否定されてしまうのではないかと思えてしまうのです。そして保守的題材を撮っている人は圧倒的に多いわけですから・・
保守的題材を保守的に撮る場合は、つまりは決定的変化がないわけで、それを機械力で徐々に向上させる・・それをメーカーや、その息のかかったプロが評価・・まぁ売りにつながりますよね。つまるところ、メーカーの手のひらの上といった感じなんだと思います。
もっとも、今はスマホ屋のほうが力も金もあるかと思いますが・・

posted by 超画伯 at 20:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 写真日記
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