2018年06月09日

鬱は心の風邪なんかじゃないだろう

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なんとか立ち上がらなければと思うのですが、立ち上がる気力がありません・・
といいますか、手が震えて絵が描けません。

鬱は心の風邪とか言われているようだけど、そんな生易しいものじゃないだろう。人にもよるかもしれませんが、とにかく治らない。この世から去りたいと思ってしまう。なんとか生きる理由を探そうとしても、生きることの意味の無さを頭が語りかけてくる。体重もどんどん減っていくし、いさつ起こるか分からない発作におびえる日々。発作は、ぼくの場合頻尿が起こって、一日に何十回もトイレにいってしまう。そして脱水症状を起こして、死ぬような苦しみを味わう。考える能力が著しく低下するものの、この世の意味の無さを的確に心に教えこまされる。

なんとか、普通の状態を意識しているものの、実のところ、あらゆるものの興味を失っています。
もしかしたら、回復の手助けになるかもと、写真を撮りながら散歩と考えていたのですが、実のところ、あまりシャッターを押していません。
この世に見える、あらゆるものがつまらないからです。
震えるファインダー像を見て、今の自分の状況を把握して、自分はもう終わっていると、頭が語りかけてきます。

今年になって、何度死のうと思ったか・・この病気は、明らかに死と隣り合わせです。

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もう少しマシに絵を描けるようになると、世の中が好転しているように見えるのでしょうか?
写真はくだらない・・色々と見ても目新しいものがない。
セットを作って創作しているようなものもありますが、こんなのは映像の世界では当たり前のことで、動画も含めれば珍しいものではないし、映画を作るのなら当たり前のように見るでしょう。1作のコストと時間のかけ方が違うからです。それを写真で撮影してみると良い。照明も完成していて、驚くほど綺麗に撮れることが分るでしょう。
風景?劣化風景のどこが楽しいのでしょう?そもそも、あまりにも嘘くさい。
物事をありのままに捉えるという方向で、レンズが進化していることは理屈を聞いていれば明らかだけど、本当にそんな感じに見えるのか?本当は中央の限られた範囲しか解像してないのが、現実の目じゃないか。色も嘘くさいし、周辺減光など、あるのも無いのも虚偽じゃないか。そもそも、人間は視覚を理解するほどの知能が無いのが現実でしょう?

手が震えなければ自分は動くのでしょうか?やはり動かないんじゃないでしょうか?それでも震えないほうが良いです。可能性がありますから。
毎日焦るのに、心に動力がありません。
作品を創る?「創る」などという言葉は人間にはふさわしくない。「作る」が限界だから「創る」は使いたくない。

一つ良いことを言えば、鬱には波があって、今現在、悪い中でも比較的良いということです。今、これを書いているのもそういうことです。

posted by 超画伯 at 20:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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