2017年06月17日

長島インタビューおよび撮影

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14日から長島に入っての取材と撮影でした。
その日は、翌日の朝日が昇る場所を探しての移動、あと時間的に追われている仕事を、宿泊先で行いました。
写真に関しては14日15日ともに夕方しか撮影できる時間が無いため、その時間帯に撮影したものです。
島を回ったのは前回を含めて2回目(正確には過去を含めれば何度かある)ですが、海を回ると印象的な壊れた桟橋がところどころにあります。
これらは、長島の歴史と深く関係があるものなので残っていますが、説明が長くなるため、ここでは割愛します。

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それとは関係がなく、海や自然は美しい島です。

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船を引き上げるものみたいですが、何でしょうか?


14日睡眠が出来ないため、睡眠導入剤を通常の倍以上飲むことに。
現在の自分は、寝転んでも寝ることができないため、薬に頼っています。
15日は早朝4時から海岸に待機するため、どうしても寝る必要がありました。
あと寝てなければ、インタビューで何を言えば良いのか分からなくなるのも問題です。
その前日というか、2か月以上睡眠不足であるため、ある種の焦りから、余計に寝れなくなっているのも問題がありました。

そして、15日は、早朝から朝日を撮影。これは作品の中で意味のあるものです。
撮影終了後は、中学生が二百数十人ほど社会見学で島を回るため、それに同行しました。
ざっとですが、長島がどういう島なのかが分かるような構成になっていました。
その後、教会の会場で、80歳の住民の方の長島愛生園での体験談を聞くことになります。
10歳のころから80歳になるまでの、島での70年間の体験を聞くことができました。
内容は、移住の経緯から、ハンセン病治療薬プロミンの開発、それと同時期にやってきた人権回復のための運動、長島大橋の開通・・最後に、自分の人生をどのように納得したのかという話・・

現在、自分自身としては、自分の境遇や人生に納得していないといいますか、自分の悲しいまでの学習力の無さ・・小学校時代の特別教室の思い出、一般社会での生きづらさや、色々な問題から仕方なく始めた映像作家・・
これを自分はどのように納得させるのか考えることになります。
他者を見ながら悲しく思うのは、それが自分の体験と重なるところがあるからとか、結論としては、自分が悲しいから悲しくなるという、何かの専門家だったような気がしますが、そういう言葉を思い出します。

考えてみれば、何らかの意味で、多くの人はマジョリティーの部分とマイノリティーの部分を重ねて何層にももっているように思えます。

前日の話に戻りますが、以前来た時にお会いした、島民のおばあさんと、けっこう長々と話をしました。
こちらから聞いたわけでもありませんが、島の歴史の話を色々と教えていただいていたので、15日の話は、けっこう重なる部分がありました。

人への感謝の話ですが、おばあさんに再開したとき、「こちらから以前お会いした者です」と声をかけると、「覚えてくれていて、ありがとう」という返事が返ってきたことが印象的です。
差別はされたが、橋が開通したとき、島の外から来る人を精一杯歓迎したという会場で聞いたエピソードと重なります。
ぼく自身は、余裕の無さもありますし、なかなか言えないというか、とっさに出ない言葉ではあります。
別れる時は、「また会いにきてください」と言われましたし、「仕事が終わったら来ます」と言いましたので、この仕事が終わったら、また会いに行こうかと思っています。

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その後、長島を通した永瀬清子という観点から、島に行き来して研究されている、永瀬清子生家保存会の会員でもある疋田邦男さんのインタビュー。この長島では”ゆいの会”のメンバーとして活動されているようです。
この場所を希望されたので、ここになりましたが、長時間のインタビューを受けてくれました。
これは、中学生と回った島の遺産の一つですが、長島に連れてこられたハンセン病患者が最初に検査を受ける収容所とのことです。

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ここには電源が無いため、外から廊下を通してコードを引っ張りました。

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これは、消毒風呂のようです。薬品はクレゾールと書いていたような気がします。
ここが機能していた時代は、ハンセン病患者を消毒するために使っていたようです。

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これは、収容所の電話があった所に書かれた落書きだそうです。

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ある意味、この生々しい場所を希望された意図を感じたので、なんとかこの収容所で撮影することになりましたが、何分古い建物で、物音が絶えない場所でもあります。

ここで聞いた永瀬清子のエピソードは、以前も聞いたことと重なるのですが、ものすごく自然体だった印象があるようです。
ぼく自身は、こういった永瀬清子というものを薄々感じ取っていたので、「籟について」という詩を二階堂和美さんに朗読してもらって収録しています。
詩の朗読そのものは、編成上問題で、全部使うのか部分を使うのかは、全体のバランスを考えてからだと思っていますが、基本的には、この詩は現代においては使うべきではないという声があるかもしれません。つまるところ、表現の壁のようなものだとは思うのですが、結論として永瀬清子の詩には”現代では差別用語”というものが多くあるということです。ただし、それは時代性を考慮するべきものでもありますし、過去を現代の価値観で語ることの危うさといいますか、それをもって表現を封鎖してしまう危険性を含んでいると思います。
更には、そういった言葉が強い意味やメッセージ性を帯びているということを忘れるべきではないでしょう。
差別的であるとして、失われた表現は数多くあり、その考えは結論として、ある歴史そのものを封印しかねないものです。おそらく、差別を無くすために言葉や物を隠したり、すり替えたりしているのだとは思いますが、それは同時に、それを行う彼らが願っている、伝えることや物が無いことになってしまい、風化させてしまう危険性もあるということです。
これは、誰もが抱える矛盾というものの一つの現れだとも思います。

「籟について」ですが、最初に読んだときのイメージは「グレンデルの母親」という若き日の永瀬清子の詩と重なるものです。
永瀬清子にとってのグレンデルの母親というのは、怪物というイメージは感じません。その息子に対する愛情のようなものを持った、あくまでも母親というイメージです。
イギリスの叙事詩”ベオウルフ”に出てくる人を食らう異形の巨人のような怪物がグレンデルですが、それでも、その母親は母性を持ち、人間性のようなものを持っていて、ある種、生きるという意味を考えさせられます。人を食う者として生きているだけなのであって、それが彼らにとっての糧だということでしょう。
物事は言いようだとは思いますが、人を犠牲にせずに生きていける人がいるのでしょうか・・これは、表現としては「人を食う」と言ったほうがより強固だと思えます。人を食うというのは、心を食うのであり、他者の人生を食うのであり、取り巻くあらゆるものを食うという例えでもあるでしょう。
結論としては”ベオウルフ”の物語の中で、グレンデルは殺され、その復讐をしようとした母親も殺されています。

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インタビューを終えて、撮影が終わった頃、ちょうど夕暮れになっていました。これは収容所の外から見た桟橋で、歴史的遺産の一つです。

ここでのインタビュー内容の核になる部分をここで言う事はできませんので、それは映像の中に出てくるかと思います。
映像作品というものは短いので、その多くはカットされてしまうものでもありますが、それに協力してくれている方々には、ぼくは感謝するべきでしょう。
忙しさのあまり、そういった余裕もないですし、殴り書きのように日記も書いているわけですが、色々な話を聞いて、それを思い出したとき、一瞬ですが、そう思ったりします。

現在、長時間労働で、自分は自分を守らなければならない状況にあって、更に上乗せになるような事柄に関してはシャットしなければならない事に関してはご了承ください。この件に関しては、文字通り聞く耳を持てない状態だということです。

posted by 超画伯 at 00:52| Comment(2) | TrackBack(0) | きよこのくら関連
この記事へのコメント
深いところまで届いている写真です。私は、今まで沢山の長島の写真を観てきましたが、こんなに細部まで映りこんだ写真を知りません。この中に、沢山のものがあります。特に収容所内部の全体写真です。この床あたりに、なにか蠢くものがあります。自分の体で感じた長島が確かに撮られています。その長島は、隔離の島という、言葉の遥か彼方に届いている写真です。大変な状況での撮影行動、ご苦労様でした。今日又、長島に行って、帰ってきました。
Posted by 疋田邦男 at 2017年06月17日 21:51
疋田さま
コメントありがとうございます。
現在2日ぶりにネットを見ました。
ご感想ありがとうございます。
これも小さな仕事ではありますが、仕事を終えたら、この写真を寄贈します。

長島のたびたびの訪問お疲れ様です。
Posted by 中村 at 2017年06月19日 19:08
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