一般的に、アウトサイダーと言われている集団というのは、あくまでも集団なのであって、実のところアウトサイダーではないと思えます。
例えば、障害者アートと言えば、そういうジャンルだと捉われがちですが、現代では制度的にそういうものは扱われていて、すでに用意されているのだし、それを一くくりにアウトサイダーとするのは実のところ言葉そのものが一人歩きしている状態で、現状では「ゆとり教育」にも似た問題を感じることもあります。というのも、実のところ、そのジャンルでしか輝けない人は存在するのだし、一つの特定集団を一くくりに「才能」としてみるのは、本当は存在する才能を埋没させることにもなりうるのだと思えます。結局のところ、そういったものはテーマでくくられているのにすぎないように思います。
ぼくの場合は、大人になってからも、これといった居場所が無くて、結局のところ、どの制度にも合うことはなく、常に浮いた存在だったのかもしれません。社会でも、これといった居場所は無く、結果としては自分の居場所を作る必要がありました。唯一、自分の安心できる空間としての家はありましたから、その点では恵まれていたかもしれません。元々、字もあまり書けませんでしたし、PCのおかげで、やっと文章も記入できるようになりました。
ぼく本人は、実のところ、一般的な社会に当てはまることそのものが願望ではありましたが、その場に長くいることは出来ず、何度も追放されてきたことから、結果としては社会を見るようになりました。そして、ぼく自身も生きなければならないということです。だから、その社会を作る真似事としての作品が誕生してきました。これが、ぼくにとってのアートということになります。
例えば、障害者アートと言えば、そういうジャンルだと捉われがちですが、現代では制度的にそういうものは扱われていて、すでに用意されているのだし、それを一くくりにアウトサイダーとするのは実のところ言葉そのものが一人歩きしている状態で、現状では「ゆとり教育」にも似た問題を感じることもあります。というのも、実のところ、そのジャンルでしか輝けない人は存在するのだし、一つの特定集団を一くくりに「才能」としてみるのは、本当は存在する才能を埋没させることにもなりうるのだと思えます。結局のところ、そういったものはテーマでくくられているのにすぎないように思います。
ぼくの場合は、大人になってからも、これといった居場所が無くて、結局のところ、どの制度にも合うことはなく、常に浮いた存在だったのかもしれません。社会でも、これといった居場所は無く、結果としては自分の居場所を作る必要がありました。唯一、自分の安心できる空間としての家はありましたから、その点では恵まれていたかもしれません。元々、字もあまり書けませんでしたし、PCのおかげで、やっと文章も記入できるようになりました。
ぼく本人は、実のところ、一般的な社会に当てはまることそのものが願望ではありましたが、その場に長くいることは出来ず、何度も追放されてきたことから、結果としては社会を見るようになりました。そして、ぼく自身も生きなければならないということです。だから、その社会を作る真似事としての作品が誕生してきました。これが、ぼくにとってのアートということになります。
ぼくが物を作ることは、けっこう切実な問題でもありますし、対立軸としては、常に一般社会というものがありました。それは、自分の居場所を押し広げることでもありますし、諸制度に乗れなかった自分が、その諸制度とそれに乗る人たちから自分の領域を防衛する闘いでもありますし、その中には、明らかに周辺の社会をも巻き添えにして悪しき社会に導くようなものもありました。現在では社会を堕落に導くような考え方の蔓延そのものです。これによって、社会は多様性を失いますし、そうなれば、ぼく自身は確実に居場所を失うことになりますし、ぼく同様、社会に適合しにくい人たちは生き場を無くすか、強制的にその社会に劣等生として組み込まれることになるでしょう。しかしながら本来は、そういった人たちがいなければ、社会は現在とは違う道を見出すことはできず、低迷して、結果としては何らかの破滅に向かうのではないかと思えます。ある種の異なる性質の存在は、自然界の耐性菌の生存方法などと同じで活路なのですが、現在の社会は、そういったものを存在しにくくしていっている傾向があるように見えたので、ぼくは、何らかの覚悟を決める必要がありました。なぜそのように思えるのかは簡単なことで、それは、ぼくの生い立ちと関係があるでしょう。ここまで説明してきた通りです。ぼく自身の存在の危機だからです。
多くの場合、人は到達点を求めます。それを成功と言ったりして夢を見るのですが、ぼくはそういう大そうなものに到達したことがありません。あったのは、通過点だけで、それだけならば、すぐに崩れるような危ういものしか無かったように思います。そういうもので、今後、ずっと幸せになれることなど無かったのです。
今回の展覧会で言えば、新自由主義等・・これはもともと理想主義的な運動でもありますし、市場ユートピアの考えそのものです。これが叶ったときは、そういうものが実現するという考えのもとに行われたものでした。政治領域が縮小すれば、個人の自由は拡大されるという考え方は、けっこう納得できるものですし、そういう考えが社会にアピールする力は大きかったのだと思います。不幸なのは、これがまともな対立軸を持ち合わせない状況が現在起きていることだと思います。もちろん、そういう対立軸がある世界は、ある種の道徳的には理想ではありませんが、残念ながらこの自然界は、対立軸の存在が無ければ存続ができないように出来ているということです。捕食者と被捕食者の関係等・・
結果としては、世界的に同じような考え方が蔓延して、そもそも社会というのは不安なものという事実を払拭したい考えが蔓延しています。社会は多様性を失い、暴走を止めることが出来ない・・ぼく自身も多数派社会と同じような考えを持たないと生きていけないと思えるような風潮もありますし、理想主義的思想から出てくる言葉というものには、そもそもそういう傾向があるように思います。そういう事自体が既に矛盾になりつつありますし、到達点はディストピアになることは目に見えている状況です。
実のところ、分かりにくくはありますが、対立する存在があるがゆえに到達点は無いながらも、進んでいける社会でなければ、持続はしないと思えるのですが、人は分かりやすい回答を求めます。
プロセスというのは、しんどいことでもありますし、分かりにくいことでもあるのでしょう。
このことは、また別の機会にでも書きます。
ぼくは、そもそも、作品を作りたかったわけではなかったですし、実際は、公務員や学校の先生のようなものになりたい人だったわけで、結果としては、作品の出力の方法も、他者とは大きく異なるのだと最近気が付きました。ぼくの対立軸は一般的な社会の中の、ぼくの領域を狭めるもので、それを軸に作品を出力します。なので、明らかに思考が先行しているのであって他者のイメージの踏襲も不要なことから、アートや映像の知識も、ほとんど持たなかったことが実情です。見るべきものは、常に世の中にありました。そして、その中で生きるために組み立てていったプロセスそのものが、ぼくの力のすべてということになります。失敗は非常に多く、ショートカットとしての回答を学習する能力も持ち合わせなかったので、回答にたどり着くためのプロセスは物凄く踏んできたのではないかと思っています。結果としては、これは良いことで、その過程で非常に複雑な組み合わせを経験することになって、おそらく、これから初めて作る技術でさえも、すばやくイメージして作れるようになりました。ここ一年でやったことは、これまでに経験のない事ばかりでしたが、これが更に力を与えてくれるものだと思っています。