2016年05月18日

白い闇

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前から言っていたことではあるのですが、美しい言葉で世界を埋め尽くせば、世界は変わる(良い方向に)というニュアンスの言葉が横行し始めたのは、ぼくの記憶では90年代ごろからで、グローバル社会とか言われ始めたころ・・これについて長年違和感を感じてきたことが、現在の作品に繋がっているかもしれません。
直感的に感じたことは、これが実現すれば、人々は思考を失い、現実世界は腐敗の温床になるということでした。理由は簡単なことで、仮に光が当たりそうな話ばかりをすれば、多数派に流されやすい日本人の多くは、それを行うことになって、闇の部分は語られなくなってしまいます。
この流れは、ネット社会になってより顕著になって、互いの監視の中、実名では闇を語りにくくなったこととも関係が深いと思います。
そして、そういうものは、匿名でのみ行われる社会になりましたが、信頼性は低く、実社会では語られにくい内容とされる感じで、噂等でも操作され、ある事無い事語られるようになる事に至り、ジャーナリズムや、こういう作品による指摘のような、本来芸術ジャンルでも行われるべき行為は何らかの形で攻撃されることになり消えていったように感じます。
その中で、以前の日記にも書きましたが、旧価値ともとれる古い価値観の中でのみ世の中が語られるようになって久しいのではないかと思えます。

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ぼくが日常的に言っていることですが、光だけの世界もまた何も見えない世界なのです。ものには影が無いと見ることはできません。
以前、目が見えない方に、それはどういう感じの世界なのかを聞いてみましたが、「真っ白だ」と言われていたことを思い出します。仮にそこに影が見えれば、何らかの形で世界は見えるだろうということです。
残念なことに、この見えない世界は多くの善人を装う人々に利用されたように思えます。綺麗な事を言う人=良い人なわけですから、誰もがそれに乗るでしょう。そして、悪い面は”癒着→繋がり”のような感じに言い換えられ、語られない世界では、腐敗も当たり前となり現在に至ったのではないかと思います。
それを更に利用して、例えばメディアを使って共通の意識にすれば、仮に事実としては悪化している場所ですら、良いことになっていると書き換えることも可能だということです。当然ながらメディアには自浄能力が問われるところですが、癒着世界の中で独立性を保つことは難しく、更には自ら洗脳した民からも監視され、鎖に繋がれ共犯である以上、闇は国内においてのみ隠蔽されて、この国の腐敗を世界にさらけ出す結果となるでしょう。
白い光だけの世界もまた闇ということです。

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posted by 超画伯 at 13:55| Comment(0) | TrackBack(0) | マウス画伯関連
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