この事業になぜ行き着いたかについてですが、2015年は、まず作品「天使モドキ」のタンペレ映画祭インターナショナルコンペティションノミネートから始まることになりました。それ以前に2014年秋に行われた岡山県の事業の「まちアートマネジメント講座」というイベントがあって、そこで初めてスピリッツシリーズがお目見えすることになりました。基本的には、現代の、誰にでもOKでなければ存在してはいけないような風潮にある各分野に対するアンチテーゼのような内容で、その状況の認知と打破を目指すような内容の作品でした。翌年「天使モドキ」は岡山芸術文化賞で準グランプリを受賞し、それらの評価が同じく県の事業である今回のイベントに繋がったのだと認識しております。当イベントのメインの展示となる「スピリッツ零三」に関しては、タンペレ映画祭の後に、広島県福山市の”サロン薔薇の迷宮”で行った「薔薇と祭壇」展に続くスピリッツシリーズ第三弾となり、素直にその題名を命名しました。この、「スピリッツ零三」を軸に今回のイベントは構築され、地元の”自主性”と、”他とは違う価値観”の発信、持続性を持つための”教育”を柱にイベントを構成することになりました。
湯原に入るのは10月であり、非常に短期間でこれを行う必要があり、これといった休養もなく作品制作を行いながら、チラシ制作、宣伝活動、全体のプロデュースを行う必要がありました。多くのスタッフを入れれば、意見の純度は薄まるため、そういったものは最小限に抑え、この中で宣伝の軸になる音楽祭「湯原音泉AIR」のプロデューサーに「薔薇と祭壇」展でお世話になった。月影詩歩氏を起用、地元の濱子さん、湯原支局の杉村さん、県の川崎さんとの仕事になりました。大変な状況の中、尽力していただいたことは、この場を使って感謝したいと思います。
イベントの中期に制作された、坂本弘道さん演奏のネット用宣伝動画
当初は、いきなり湯原支局にて喧嘩を売るような態度でもあり、戸惑われることもあったかもしれませんが、作品の純度を維持するためには、現代においては不可欠で、いわゆるコミュニティーにおける最大公約数的な作品制作を避けるためには必要なことでした。個人的には、アートにおいては現代的な企業におけるようなプロ意識のようなものを安易に当てはめるべきではないと思っていて、これを行うことは、他ジャンルに対して異なった価値を提示できないですし、知的多様性を失う行為に繋がるものとみていますし、文化における知的アイデア的なものは源泉を失い、循環しない水がそうなるように”腐敗”に繋がるのではないかと思っているからです。コピーのコピー等が乱立し、それが内輪の中で認められてまかり通るような状況もその一つでしょうか?コミュニティー等、集団の意見の平均値等はどこも似通っており、一人よりは二人、それよりも多数になるほど意見は一般的なものになりがちです。そういうものはいわゆる「デザイン」の役割であって、アートと名乗るものが、セミナー等でよく聞かれるような企業理念のような意見に洗脳され全国で乱立している状況に関しては非常に違和感を覚えるものでした。そういった中で失われた魂”スピリッツ”そのものが、この作品の主題になるものでした。
ハンザキとビスコ from Tomomichi Nakamura on Vimeo.
ワークショップで完成した9作品の中の一つ
教育についてですが、なぜその必要性を感じたかと言いますと、レジデンスにおける、ぼくの滞在の持続性は3か月しかないということにあります。その間で何ができるかの話でしたが、当初、湯原の名物である天然記念物の”ハンザキ”(オオサンショウウオ)に関する作品の制作の要望がコミュニティーからありましたが、これはアートではないと判断し、お断りすることになりました。まず、作家がコミュニティーのために、名物のモニュメントを作ることに関しては何ら珍しいことでもなく、注目も集めないでしょうし、美談に終わるという判断もありました。
それを打開する方法としては、きちんと形になった作品で、地元の方が”ハンザキ”をアピールしたほうが道理としてもかなっているしインパクトもあるでしょうということでアニメーションワークショップを地元小中学生に対して実施しました。制作方法を知れば、持続的アピールが可能であるだけでなく、自主性の有無をそのコミュニティーに見ることも可能でしょう。
どんなに施し系のイベントをしたところで、当の地元に自主性が無ければ何ら効果はないでしょうし、ぼくは、そういうのを「搾取」と呼んでいます。無駄な税金等はこういうところにも送られているのでもありますし、ブラックホールのように無尽蔵にエネルギーを食い尽くすものだとみています。
そういった中での自主性の重要性ですが、ぼくが、現地入りして挨拶のようなものとして撮影した”湯本神社大祭”の写真を使った地元有志による写真展が、ぼくの展覧会のプレイベントとして行われました。そして、写真に関しては、ぼくは挨拶なので無償提供したものでしたが、それに対する対価としての謝礼もいただきました。その謝礼は、湯原温泉AIRの宣伝費として使わせていただきました。この写真展は写真も販売され、これによって得た収益は、翌年からの大祭運営のための資金になるとのことになったのは、ぼくの予想以上の現象で大変に感動したことを覚えております。
イベント開催初日は、展示および夜の上映会ということになりました。ここでは既に岡山では上映が数か所で行われていることもあり、それほど宣伝活動をすることもなく、翌週の音楽祭の客を取らないように調整した結果、予定の20人付近の21人の集客でした。上映料金は1000円14歳未満は入場禁止の構成でした。一般的に、こういった公的なイベントの年齢制限に関して違和感を持つ方もいるかもしれませんが、これはあえて実施することで守られる領域もあると思います。こういうものに対して意識の高い海外の映画祭でも普通に行われていることでもありますし、大人も子供もというものには大きな制限がかかるため、ある部分にはあるべき構成だと思っております。
内容に関しては、タンペレ映画祭以降に各地で上映された構成のままで、「ぼくのまち」「蟻」「天使モドキ」という内容となりました。この日の遠方からの来客は意外に多く、県外の比率が大きかったことは個人的には驚きがありました。
遅いので、地元に滞在するという形をとる方が比較的いたのは、有料イベントに多い現象ではないかと思います。
湯原音泉AIRより、倉地久美夫さんの朗読+同、倉地さん、波多野敦子さんによるライブ
イベントから一週間、今回のイベントで一番宣伝に力を入れた音楽イベント「湯原音泉AIR」の開催となりました。ここで宣伝に力を入れたのは、「湯原」の認知を広めるという目的もありました。
(湯原音泉専用のチラシ)
湯原温泉ミュージアムでは、こういった現代音楽のイベントは今までになく、近いイベントでも集客はなかなか難しく、多くの人から「湯原は難しい」と聞いていたものでした。県南部からの距離はそれなりにあり、それ以上に南部では不慣れな雪が警戒されて非常に困難な宣伝活動となりました。そんな中で、イベントプロデューサーの人脈から、広島県および鳥取県での宣伝活動を展開。基本的には内輪で終わりがちなイベントが多い中、関東地方からもイベントに興味があると声がかかり県外から多くのお客さんが来ることになりました。外貨というわけではありませんが、こういったイベントには必ず遠方のお客も必要と思っていたことから、県外にも実際に行って宣伝活動を行ったことは大きかったのではないかと思っております。結果としては、50人がラインでしたが、それを上回る56人の集客を達成して、現代音楽としてだけではなく、音楽イベントとしては湯原温泉ミュージアム歴最高の集客となりました。
参加した音楽家は、左から倉地久美夫さん、波多野敦子さん、坂本弘道さんの三名。
最後に展示作品である「スピリッツ零三」についてですが、このアイデアは、さかのぼること1年、小口容子氏によるイベント「変態まつり」に行くために高速バスに乗ったところ、寝ることができず、その中で何もできない状況から色々考えている中で突然脳裏にアイデアが浮かんだものでした。この中で中心になるオブジェは巨大な眼球を記すものであり、ある意味心の中の目線を表すものでした。床には、ネットなどでよく見られる手のマークに目がついたイメージが散乱し、これを現代の支配者とし、その中で失った魂という位置づけで絵画「スピリッツパーツ」群を展示しました。
ちなみに、手のマークに目が付いたイメージ群のプリントは、湯原音泉AIRのチラシの裏にプリントされたもので、大量にこのイメージを世の中にばらまくことと、この展覧会で使うことを目的としたものでもありました。
ぼくが思う現代の支配者というのは、ぼくたちそのものの目線であり、その中で起こる同調圧力に他ならないということです。現代の社会は、互いによる完全監視社会といっても過言ではないレベルで、一部の苦情にも応じるものでなければ存在しにくい状況にあると思っています。そういった中で作られていく角のとれた表現?は、ある意味思考を失わせるものでもあり、ぼくが知る限りTVのバラエティー番組等にも起こっている現象をコミュニティーという集団の中で行うことで、アートと名乗るものにも再現させるものという認識がありました。人目を気にする日本人にはこの状況は最悪とも言える状況で、ある意味、思考停止による統治に参加するような、非常に保守的なイベント群が各地で開催される状況に陥りました。この状況に気が付いている以上、ぼくがそれに応じるわけにもいかず、展示としては、いわゆるコミュニティーとしてはふさわしくないとされるような表現ということになりました。言うなれば「悪」のようなイメージもこの作品から感じ取れる要素があるということです。なぜこういったイメージを悪いと感じる人がいるのかは、昔から統治の打破は思考によって起こっていることと関係があるのではないかと思っています。
聖書などでもそうですが、蛇に知恵を与えられた人間は、楽園を追放されることになります。信仰をたぶらかすような働きも、昔からサタンの所業とみなされ、サタンおよびその考えにそそのかされた者は統治のために追放されてきたという事実が昔からあって、そういったものが書かれていたのだろうと思われます。個人的に思うのは、その知恵が無ければ世の中の循環がなくなり、社会が停滞して立ち行かなくなるという現実にぶちあたり、その現象を回避するため、いつの間にかサタンに免罪符を与える必要性が出てきたのではないかと思えます。そして、その中の一つに今日的なアートがあると。