2022年08月02日

テンプレ文ウザい

殺しは良くない、事情があったとはいえ許されるものではない。言論で行うべき。
などなどのテンプレ文ばかり見るのだが、ため息しかでない。
事実は、言論の敗北でしかないのに?という感じだ。
もし、言論が生きていたならば、統一協会を裁けたのだし、安倍晋三を裁くこともできた。しかしそれは無かったのだ。
少なくとも、安倍晋三を裁ける世の中であれば、今回の事件は起こっていなかったと言える。
ごまかせば、また暴力はあり得る。言論を復帰させ、それが生きている状態でなければ、言葉にそれほどの力は無い。
それ以外の手段は、諦めるか、実力行使しかないのだから。
民主主義に対する挑戦どころか、すでに民主主義は死んでいたということ。
とりもどさなければ次は無い。
posted by 超画伯 at 04:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

色々と失望

もうそろそろ書いても良いかと思うが、ぼくは写真文化というものに対して失望している。もはや隠そうとも思わないが、メディアとしての写真の可能性もあることから、写真を扱うことそのものは続けるだろう。
ぼくが、その写真というものに対して最初に失望したのは、初めて東京都写真美術館に入った時の事だ。弱弱しい報道写真を崇めているのだ。「なめてんのか?」事実は、もっと優れた写真はあるのかもしれない。しかし、チョイスはどうしようもないと感じるものだった。
写真に未来はあるか?という問いに答えなければならないが、いわゆる今日的な写真村でいうところの写真などはとっくに終わっているという認識だ。これが認識できないとしたら重症だと思う。いわゆる言論や表現として終わっているということだ。
もし表現としての誇りを少しでも持っているのならば、くだらない村とかそういうものに対しての忖度をやめ、そこから他の世界を目指すべきとしか言いようがない。内部でのロンダリングに他ならず、そういうものをオタクイズムと言うのだ。思考停止のキモいカルト、うちでは写真宗と言うようになった。もっと社会と向き合えということだ。それが出来ないのであれば忌むべき文化であり、表現の敵だと言ってもよい。作品の価格を第一義にしてしまったアートしかり、このようなものは、文化に腐敗しかもたらさない。いや、このルールこそが世の中を滅ぼすだろう。価格そのものが悪いと言っているのではない、そこにしか価値を見出せないことを指して言っている。 そのようなものを崇めている評論家も糞である。知人だろうが、大好きな「言葉」とやらで正面から叩き潰してやる。
この腐った世の中を見てみろ。ごたくはいいから、今の世の中を見ろと言ってるんだ。
この数十年は、言論・表現の敗北でしかなかった。その結果として、世の中は暴力でしか変わらないということを証明してしまった。そのラインまで後退してはならなかったのだ。
言論。表現を取り戻すべし。それが通用しない世界では、世の中は暴力によってしか変化しないということだ。法(言葉)になど、何の力も無いことを証明してしまう世の中ということだ。        
なぜ、ぼくが多くの表現手法を扱うようになっているのか?に関しては、その表現そのものに忖度しないという意思の表れでもある。ぼくがただひょうひょうとそれをやっていると思ったら大きな間違いだ。
今時こういうことを言うのはダサいと言われるが、ダサくて良い。物事の本質をいつまでもごまかせると思うな。
パートナーに、攻撃内容を聞いた。ぼくは攻撃されていたようだ。差別主義者、言論封じ許すまじ。完膚なきまで叩き潰す。それは結果を持ってしてだ。芯無き者が、芯のあるものと同列に戦えると思うな、卑怯者め。
posted by 超画伯 at 02:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 写真日記

2022年08月01日

偽旗

日本の保守っぽいものは、だいたい偽旗だったりする。そんなことは知ってたし、だから、これは危険だからと言ったところで、誰も信用しない世の中だった。それどころか、こちらが幼稚な陰謀論者扱いになるだけだ。
物事の構造を見れない人たちには、偽旗は有効だ。知識だけでは、それを理解することができないため、高学歴者でも簡単に騙すことができる。オウムの事件からも明らかな事だ。

カルトを許すな!→事実はカルトがそう言っていた。他のカルトを抑制し、自分達だけが利益を得る状態を作れる。

あいつは朝鮮だ!→差別意識を利用した、自らは愛国者なのだと見せかけた偽旗。言っているのは韓国のカルトだったりする。差別意識で思考回路を失った人々に有効だと思う。より効果を増すため、朝鮮、韓国人がどれだけ酷いかを啓蒙する。例えば、自らの非道をまるで他人事のように言いふらし、それを一般化する。つまり韓国人はすべてそういう人間なのだと啓蒙する。他人の憎悪から得た利益は、カルトに還元され、世界的活動の資金になる。
一つ言わせてもらえば、差別意識が続く限り、この方法はいつまでも有効だ。少なくとも冷静さを失った時点で危険と言えるかもしれない。

愛国→我々は愛国者であり、それ以外は売国奴だと罵る。こうすることで、まさかこう言っている人が売国奴なわけが無いと信じることになる。そこで得た利益もまた、売国行為に使われる。事実としては、野党が今行われているような酷い売国行為をしているのを見ないが、売国と罵り続ける事でそういう印象がついていき、多くの人が信じることになる。
野党の中の例外としては維新があり、これは清和会とほとんど同じような教義で動いている。満州人脈を理解していれば、おのずとそれは見えてくる。それ以前に言っている事が同じに見える。

反共、勝共→事実は、金日成と文鮮明は義兄弟の契りを結んでいる。


数えればきりがないが、そういうことが行われてきたわけだ。
こういう道徳観からかけはなれた行いは、悪魔崇拝に通じるものがある。他者には道徳観を強要し、裏で自らはそれとかけはなれた行為を行う。それにより、悪魔崇拝者だけに利益が誘導されることになる。
現在のマスコミ言論における言論人の面々を見る限り、その知性はおそろしく低下していると思うが、その道徳観の欠如からも、そういう面々が多いのだと理解している。魂を売った人間は優遇されるのかもしれない。




posted by 超画伯 at 00:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記