ぼく、写真論とか読んでも、さっぱり意味が分からないのですが、冷静に考えると、ぼくは絵画論のほうを使って写真を撮ってるのかもしれません。基本的にあるのが、視覚的に考えれば、一生の中で二度と同じものを見ることが無いという感じで、画像処理をするとしても、同じパターンを複数個所に使うことを避けております。これは手間はかかるのかもしれませんが、視覚情報を自然に伝えるという意味では正しいと思っております。見れば分かるのですが、明らかに情報量が多いです。
絵画というもの、例えば具象で描く場合、ぼくの場合は過去のパターンの踏襲というものを避けます。こうすれば感じが良かったということは除外するということです。そのほうが、右脳は意外にも活発に動き、むしろ楽に制作することができます。
あとですが、光のパターンというものは無限にあるのですが、その中でなにを美しいと見ているのか?は重要な点でしょうか?これを物体として捉えると「花」とかそういったものになるのでしょうが、それは言葉の定義のようなもので、「花」=美しいものという刷り込み、或いはそう教わった記憶だったりで、光の美しさとは、実のところまた異なるものだったりします。
では、どうみれば美しい部分を見分けることができるのか?に関しては、直観によるところが多いかと思いますが、例えばその直観力が乏しい場合は、それを見分ける理論というものも存在すると思います。まぁ、そこは秘密なんですけどね。