2022年04月15日

明日はアーティストトークなんですが

明日は、奈義町現代美術館でアーティストトークなんですが、とくに話す事は考えていません。というか考えても無駄というか、そういうものは都合良く話せないので、流れのなかで話をできたほうが良いと思っています。
とりあえずは本当の事しか話しませんので、聞かれれば本当の事を話す予定。
写真に関してのうんちくは出てこないと思います。蓄積がありません。
年齢的にも、誰かの影響を受けるという感じでもなく、何かを聞けば、そういう事実があるんだなという程度でしょうか。鈍くなって、何が凄いのか分からないというのもあります。30代までは、衝撃の連続でしたが、そういうのは慣れてしまいます。下手をすれば、癖になり、勝てないほうに慣れてしまいます。あと、衝撃は良いこともありますが、脱線して表現が悪化する事のほうが多いというのが経験上感じることです。
ぼくは、コンペでも、傾向と対策をしません。作った後に、自分に合いそうなところを探すタイプです。映像時代は、一度は目指したところもありますが、そういうのは良い結果になりません。ほどほどの結果は出せますが。。これが参考になるかどうかは分かりませんが、合わない事に関しては、少々頑張っても結果は出ないということです。最近は、そういう研究結果も出てますし、今は物事が多すぎて、努力でどうやってでもできるようにするという時代でもないでしょう。例えば、成績2の人が努力しても、3にはなっても、ほとんどの場合は5にはならないとか。。そうあるべきという人はいるでしょうが、ここに破綻した人がいるわけですし。そもそも、そうあるべきと言ったところで、そうなることもできず、他者にはそれを要求して、下手をすれば正義マンになってしまって個人攻撃ばかりしている知り合いも、この年齢になると増えている状況です。要は粗探しですが、粗にも可能性がある場合もあって、それをすることは、自分の選択肢を減らすことにもなりかねないわけです。
比較的楽にできることというのは、自分に向いているということ。そこにほどほどの努力という感じでしょうか?
posted by 超画伯 at 21:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 展覧会

2022年04月13日

多動が酷い

一応、多動を抑える薬を飲んでいるわけですが、多動が酷い。。現在は多動だと、持病と化した頭の左側の片頭痛に悩まされるわけですが、このままでは数日頭痛というコースもあり得ます。。
ですが、頭の中の思考回路が止まらずで、もはやどうにもならない状態です。せっかく静かに過ごしていたわけで、刺激も避けていたのですが、残念なことに、ここ最近の多忙で、躁状態が覚醒してしまったようです。
この状態の時の知能は、平常時に比べて明らかに高い気がしますが、弊害のほうが多く、作品制作をするにも冷静さを欠きます。今までは制作で負荷をかけて抑えてきたわけですがそれはもはやできません。
ろくなことにならないので、早く収まってほしいのですがどうしたもんでしょうかね。

撮影できない

なんというか、撮影準備はするものの、撮影はできないという。ネタとしては盛りだくさんながら、やはり時と場所を選んだりするものなわけだ。
そういえば、レンズカルチャーから出品の催促が来るわけだが、そんなにぼくに撮影の歴史があるわけでもなく、はい出しますよと簡単に言えたものではない。いや、乗せられても無いものは無い。その昔、映像時代に催促に応じて痛い目を見たことがある。ボツ写真という方法もあるが、それも大してあるわけではない。ぼくの場合は、最初から撮るものを決めているのであり、だいたい失敗もしない。イメージできているなら、そういうことはあまり起こらないのだ。これは、アニメーションをやっていたことによる癖かもしれない。失敗すれば、下手をすれば数ヶ月の損失なのだ。一つあるのは微ブレ写真だが、そういうのは論外だ。
そういえば、ヤドカリの家の補足写真を撮りたいと思いながら数ヶ月。。何故かやる気が起きない。それよりベターなアイデアがあるからだが、一応完成させておいて良いものかもしれない。
あれは、ぼくの哲学的な背景を作品にしたものだが、出来としてはこれまでの作品より良いと思っている。ただ、地味かもしれないとも思っていた。
写真は、全体として、アートのようなものとしては、わりとデザイン的で商業主義的だと思ったが、地味かもと思ったのはそういう意味合いからだ。もの申したい事もけっこうあるが、仕方がない。そうではないものもあるのかもしれないが今のところ分からない。自分を曲げないためにも、それに合わせない事を心がけるだけである。実のところ、合わせない事は、非常に重要な要素だと思う。自分の物差しをフルに発揮すれば良いのだ。アートのようなものだとすれば破壊は重要な要素だ。それを行った人物こそが偉大と言われているのには意味がある。それがイメージの更新に繋がるからだ。批判はされてナンボの世界だろう。それが当たり前で無いほうがおかしい。チンケな成長にも繋がらないものはいらないが。
補足としては、あと数点あったほうが良いのは確かだ。複数枚で意味を循環させている作品なので10枚では意味が希薄だ。世界観の構築にはあと何枚か必要だ。ただそれはフィルムを使うので面倒くさがっているわけで、どうしたものかと悩んでいたりする。
posted by 超画伯 at 00:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 写真日記

2022年04月11日

絵を描く能力

軽く1時間程度絵を描くことはできるのだが、それ以上描くことに問題がある。頭の左側に異様な頭痛が起こるからだが、今一度まともに長時間絵を描く能力がほしいと思っている。
ぼくは元々そちらの側の人だし、それで満たされていた部分もある。
写真を写真のように撮る事に関心が薄い。それは良いのだが、カメラに関心が無くなれば、撮ることはけっこう辛い事だ。ただ、車に飽きたようにカメラは飽きるだろう。
元々写真に興味があったわけではなく、そこに絵としての側面や、何らかの意味がなければ退屈だ。映画とかにしてもそうだが意味の薄いものを見るのは辛い。同様に綺麗なだけの絵にも関心がない。
ぼくは、思われているほど、作業に興味がない。興味のあるビジュアルが浮かんだら視覚化して眺めている。それも苦痛が伴うが、興味がないビジュアルを起こすのは苦痛でしかない。思いついたものを、すぐに視覚化できるツールが欲しいが、それはドラえもんの世界だろう。
けっこう人生は時間が無い。関心があることを最短で行うような手法があったらなと思う。
蟻の種類を増やしている事には意味がある。実際に、これにより何かができるのは来年だろうが、物事には時間がかかるというのが残念だ。

2022年04月06日

蟻のような+ 山陽新聞に掲載されました

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山陽新聞に、個展、蟻のような+の記事が掲載されました。
記者は山本恭子さんです。
ありがとうございます。

山陽新聞による記事が更に書かれました。
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ありがとうございます。

posted by 超画伯 at 22:51| Comment(2) | TrackBack(0) | 記事