2022年04月30日

ワクチン副反応

打ったときはなんともなかったわけだが、とんでもなくしんどくなった。熱も38℃ぐらいあるし、本当に今までと同じワクチンなのか疑うレベルだ。
猛烈に寒くなったと思ったら、突然暑くなるし、全身痛いし、飯も気持ち悪くて食えない。足も痛いから立つのもしんどい。トイレも一苦労だ。
いつまで続くのか。。
posted by 超画伯 at 20:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2022年04月29日

ワクチン三回目

先ほどですが、三度目のワクチンを打ちました。
相変わらず、打ったほうの腕がだるいですが、今のところ特別にしんどくなるということもなく、だるいだけですね。
もう既に古いワクチンではあると思いますが、少しは予防効果あるんでしょうかね?
コロナだから、完全なワクチンともいかないとは思いますが、今年はそろそろ行動できるようにしたいものです。
posted by 超画伯 at 11:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

深い地下水脈

ラッパーのFUNIさんからのメッセージなのだけど、ぼくが探している人は、深い地下水脈の中にいるのかもしれないということだった。
なかなか面白い表現だと思う。
正直、表の周知の出来事にそのまま乗ってそれを表すことには興味がない。そもそも、表さなくても既に表れているし、ぼくが知りたいことはそれではない。そういうのを強く表すのは独裁国家の類いだろう。
世の中には、ゆるふわでは済まされない出来事は多くあるが、場合によれば、戦争ですら無いことにできる。実は、社会というものは、そのテクニックに長けており、それがアンバランスに加速しすぎているのが現在だと思う。想像しなくて済む分には、すべては社会の都合、或いは政治的都合としか言いようがない。これが加速したことの要因の一つとしてあるのはインターネットだろう。分かると思うが、当初はまだ個というものが重視されていたが、それは集団というものに置き換わることになり、共通の認識以外は、打ち消されるという状態に今はなってきている。
ぼくが関心を示すものとして、その打ち消される側というものがある。もはや、マジョリティーに特段面白いアイデアがあるわけでもなく、多数派ゆえに珍しくもなく、結果として打ち消しの側であり、そうなると行き着く先は、マイノリティーの世界なのかもしれない。ぼくは、相互作用として、その打ち消しのようなものに対しての反作用を起こす事を考えている。ただ、その内容として考えている事は、最も当たり前の事だったりもする。周知かどうかも分からなくなっているかしれないが。
強度が必要だが、今はそれほど意識しないように心がける事にする。
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2022年04月28日

まったく実力が足りない

正直、作家としての実力が足りないとしか言いようがない。
実力にも色々な要素があるかもしれないが、ぼくに一番足りないのは体力、そしてメンタル、あと運だろう。
これらをどうにかできるものではないらしいが、トータルで見るならば、他にも改善点はあるかもしれない。
実力が無い事で良いことなど何もない。そのおかげで苦労ばかりしている。もう少し自分の事が見えないといけないな。何か伸ばせるところがあるかもしれない。

ASD覚え書き

ASDというものに関して、多くの人は理解不能だと思う。何故そうなっているのか?など他人に理解してもらおうとしても、それは時間の無駄に終わるかもしれない。一つ言えば、下手に他人の価値観に合わせるよりは、我が道を進んだほうが良いというのがある。これは個人の判断次第だし、その人の特性にもよるかもしれないが、ぼくのケースで言えば、他人に価値観を合わせることは、大きくハンデを負うことになる。つまるところ、一般的価値観の元では、人並みの事はほとんどできないということになる。
できない事に関して、そこは努力するべきだという事を言われることがあるかもしれないが、これだけははっきりしておく。努力していても、間違いなく人並みにできることは無いということだ。人が1年でできる事だとしても、20年も30年もできることは無い。努力は重要かもしれないが、できないことは最低限でおさえておかないと、すべての面で遅れをとることになる。ASDというものの認識が低い時代の人間は、それで人生を棒にふることがあると思う。できる部分で努力したほうが、トータルとして能力を発揮できることになると思う。逆に、何故ぼくに特別にできることがあるのか?に関しても、他人には理解不能だし、そのような反応しか帰ってこないかもしれない。
もし、努力で何かが人並みに、それもわりと短期間でできたとするならば、それは障害とは言えない。そういう話をあてにしても、自分には当てはまらないと認識したほうが良いかもしれない。
努力という言葉は罠にもなり得るし、下手をすれば入院するはめになるぐらいのダメージを負うことがある。複合的な理由から、死ぬこともあるかもしれない。

ちなみに、ぼくがこの程度に文章を書けるようになるには40年以上かかった。それも、PCの補助無しでは不可能だし、文章として間違っているところがあったとしても、認識することは不可能だ。
もし、文章として何か間違っていたとしても、伝わればそれでOKぐらいに考えたほうが良い。自分が読んで理解できるか?というのは良い方法かもしれない。