2022年02月11日

写真作品 "ヤドカリの家" A Home for the Hermit Crab が、LensCulture Art Photography Awards 2022にて Jurors’ Picks に選出されました

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昨年、入院を契機に細々と制作し、昨年末に完成しておりました。半分はスマホ写真(アンドロイド)です。写真新世紀2019以来、久々に写真コンペに応募ですが、コンテンポラリー写真アートにおいて、最も名高い賞と言われる LensCulture アートフォトグラフィーアワードにて、シリーズ写真部門で、世界150ヶ国から、25人選出され、その中からJurors’ Picksに選出されました。選者は、イギリスのThe Photographers’ Gallery の ANNA DANNEMANN氏 邦題は「ヤドカリの家」となります。よろしくお願いいたします。

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2022年02月05日

ネガティブなものを無かった事にする行為

ぼく自身は、ネガティブな感情などを無かった事にする、或いは見過ごす行為は、愚かな事だと考えている。そこを見つめないと、人間はいつまでも成長できない。更には、溜まりに溜まったネガティブなものによって押し潰されてしまうかもしれない。
最近の風潮として、ネガティブな事は考えない、それは無かったことにする、蓋をするというのがある。これによって、社会のストレスは増すばかりだし、もはや関係ない多くの人にまで被害を及ぼす状態になっている。この事に気がついている人もいるかもしれないが、世の中に蔓延する、今で言うところのポジティブ思考というものによって、あらゆるネガティブな側面は無いことにされる、或いは同調圧力によって社会から追いやられている状態だと言えると思う。
ぼくは、そういうのをポジティブというものなのか?と疑問に思うわけだが、どうだろう?怒ることも、悲しむことも、人間にとっては、生きる上で大切な感情だ。自分の中にあるネガティブなものも含め、それを見つめ直した上で、解決しようとし、考えて、そして進むというのが、本来のポジティブではないのか?考えることは、人間にとって、とても重要な行為だ。
ポジティブの中には、ネガティブなものも含まれていなければならない。というか、それが正常な状態だ。
例えば、もっと広く見て地球規模で考えてみよう。もし、その中にあるネガティブなものを見ない、そして蓋をして、無かったことにして進む行為というのは、いずれ自分達に帰ってくるのだと思う。
ぼく自身は、今一度、自分を見つめ直す必要を感じている、その上で、この先どう進むのか?を考えようと思っている。今は忘れているが、この一年は、何度も死にたいと思ったのだ。自分の病気の事、学習障害のこと、世の中に蔓延する排除行動のこと、他者に迷惑をかけたこと、入院したこと、他にも色々とある。

2022年02月04日

バルプロ酸ナトリウム徐放錠

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双極性障害の躁のほうを抑えるということで、バルプロ酸ナトリウム徐放錠を飲むことにした。これは、てんかんの薬でもあるが、ぼくにはてんかんもあるので、以前から飲もうか飲むまいか?と悩んでいたわけだが、試してみる価値はあった。
3年ほど拒んでいた理由は、双極性障害の躁が無くなると、ぼくの創作意欲は低下するのではないか?という懸念があったわけだが、考えてみれば、躁の部分を抑えれば、うつ状態のところも長期間続くのを避けられそうなので、トータルで意欲が低下するわけでもないだろう。躁は、ターボチャージャーみたいなものだ。一時的に頭の回転が大きく上がるのも確かだし、無敵状態にもなる。だが、それによって苦労するのは周りだし、平常時やうつ状態のぼく自身に更なるダメージを与える事になる。
飲んでみた感想だが、なにかイライラ感が収まり、穏やかになったのではないかと感じる。これは、なかなか良いのではないだろうか?ストレス状態は、少なくとも抑えられたのだ。睡眠も以前よりコントロールしやくすなった。
ぼくの躁の部分が、ぼくの才能なのだとしたら、それは無くなるかもしれないとの話もあったが、そうなっていないような気がする。というか、ぼくの才能らしきものは、人生経験そのものによるものだと、うすうす気がついているので、この薬を受け入れた。つまり、ぼくに特別な才能は無い。むしろほとんどの点で劣っている。その境遇から、見つめざるをえない事実、多くの人からすれば、見る必要の無い事実を知ることになった事が、才能というか財産になったのかもしれない。
ほとんどの点で劣っていることは、受け入れがたい事実ではあったが、最近は楽になってきて、もうそれを受け入れるべきときが来たのだと感じるようになった。

2022年02月03日

覚書 自己愛性パーソナリティー障害

自分が重要であるという誇大妄想(常に称賛されていないと気がすまない)
成功や権力や美しさなどの妄想に捉われている(自分はそういう人間だと思っている)
自分は特別で、特別な人だけが自分を理解できると思っている(凡人には理解不能だと思っている)
過剰な賛美を求める(自分で自己賛美もする)
特権意識を期待している
対人関係で相手を不当に利用する(言葉の部分をとらえて情報を操作したりする)
共感性が欠如しており、相手の気持ちが分からない
嫉妬心が強く、更に自分が嫉妬されていると思い込んでいる(事実は、相手はただ怒っているだけ)
尊大で傲慢な態度
この9項目

他に、マウンテイングしてくるが、相手が上だと思うとそれをしない、嘘を言ってでも自分を良く見せようとするなど

なんか、思い当たる人いるな・・

なんか気になって、パーソナリティー障害についてチェックしてみたら、ぼくは境界性パーソナリティー障害の疑いとのこと。
まぁ、ネットでは当てにならないけど、そういうところはあるかもしれないと思った。口癖的にも、文面的にもそうかな?まぁ、自信が無いとか空虚感があるのは確かだ。
しかし、双極性障害の人間は、このチェックに引っかかりやすいとのこと、これだろうかな?

ちなみに、有名人で言えば、自己愛生パーソナリティー障害だと
三島由紀夫
ヘルベルト フォン カラヤン
サルバドール・ダリ
など
カラヤンは、貴族の称号であるフォンが入っているが、実はそうではないとか。そのように自分を大きく見せるための嘘をつくことは珍しくないようだ。

境界性パーソナリティー障害だと
太宰治
マリリン・モンロー
アンジェリーナ・ジョリー
ロバート・キャパ
ヒトラー
などだそうな。こちらは現代では多い障害なので、有名人はわんさか出る感じだ。文学者や芸能人にも多い。ゴッホもこの症例に近いそうだが、双極性障害かもしれない事と、一次障害としてはASDである事が指摘されている。個人的には、ガンダムシリーズ等、作品の主人公でも、このタイプは使われる事が多いのではないかと思うところ。何故かライバルには自己愛性パーソナリティー障害っぽい人(シャアとか)が多い気がするのは気のせいだろうか?
posted by 超画伯 at 23:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

覚書 受動攻撃

SNSでもよくある事なんだけど、ただのメシとかにはやたらと”いいね”とか入れるけど、こちらに何か大きな良い事があると、そこは避ける。例えばだけど、その両者の投稿が近い場合、メシだけに”いいね”とか入れる連中に関しては気をつけたほうが良いのかもしれない。もちろん、SNSなどは、ただ流れているので、見落としもあるだろうし、実際見えない事もあるかもしれないが、続く場合は、意図的な事は多いだろう。さらに言えば、こちらの状態が悪い時だけ反応する人にも気をつけたほうが良いのかもしれない。
考えてみれば分かることだが、そういう行動の裏にあるのは、「お前に特別に良い事があってはならない」「ささやかな事ぐらいならば許してやる」というような事を言っているということになる可能性がある。
まぁ、SNSなんてのは、しょうもない空間なので、そこに重きを置くべきではないだろう。合わせるとえらい事になる。
実経験でいえば、ぼくが海外発表を初めてした時、それまで良いの良いの言ってた人は、誰も来なかったということだ。つまるところ、ぼくは成長してはいけないのだし、そうなれば、仲間でいてやらないというような事を言っているのと同じなのだと思う。これは地方においては、特に顕著な問題だろう。何故ならコミュニティーは狭く、他に行き場が無いケースが多いからだ。その輪のようなものもできている。
しかし、そういう人からは、静かに離れた方が良いのかもしれないというのが、ぼくの感想だ。
そういえばなんだが、相手が大きく出世した時に、ぼくも喜んだ、そしてぼくに良い事があれば、相手も喜んでくれるという関係は、長く続くものなのだと感じる。同様に、ずっと良い状態なわけもないのだし、その場合も助け合える相手が、良い友人だと思う。こちらに良い事があれば、顔が曇る相手に関しては、基本良い人だとしても距離を置くべきだろう。
言えることは、無理な人間関係に関しては、長く続けるべきではないということだろうか。
posted by 超画伯 at 19:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記