2022年01月31日

ぼく自身のストーリーを想像してみる

人の行列.jpg
ぼくは、最近、自分自身のストーリーのようなことを考える。
今、ぼくがやっている事は、ぼく自身の自己紹介だが、その後のストーリーというものも考えるようになった。それが、長い話になるのか、短い話になるのかは分からないが、たぶん重要な事だ。
今は、それをやることで、ぼくは上手くいくのかもしれないと思っている。

ぼく自身は、写真作品を作りながらも「写真」という世界から、ある程度独立した存在である必要があるような気がしている。

posted by 超画伯 at 15:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2022年01月21日

衝動性が抑えられる

ここ最近、なんとなく淡々としているような気がする。
というのも、先週の金曜日に新薬を貰ったからかもしれない。ちなみに、この薬、長年飲むのを断ってきた薬なんだが、理由は、衝動性や突発的な行動を抑えるものだったからだ。それが消えれば、ぼくには何も作れないと思っていたこともある。それによって、学習障害や、失読症のようなものが無くなるわけでもないので、それで衝動性も無いのであれば、ただの大人しい何もできない人になるのではないか?と怖れていたのだ。
ただ、試してみる価値はあると言われてはいた。
今年の正月付近は酷く、3時間ほど起きては、ほぼ寝ていた。その後も眠気が続き、副交感神経らしきものの優位が続くようなので、何かを変える必要があった。
それから数日経つわけだが、睡眠と起きている時間が安定したかもしれない。あと、それほどこのように日記などを書きたいとも思わないし、焦りのようなものも抑えられているのか、世の中の雑音も以前ほど気にならない。つまるところ、今のところ落ち着いていると言えると思う。
副作用である眠気のようなものも、とくに無く、むしろ以前よりマシになったぐらいだ。
これならば、もう少し前から飲んでいたほうが良かったかもしれない。
主治医からは、以前から、能力の低下は否定できないとも言われていたが、疲れがとりやすくなる分マシだと思うし、ぼくは特に他人が言うほど天才というわけでも無さそうなので、何らかの能力の喪失は無さそうだ。
自律神経が整ったのか、朝型になった。あと、寝たら延々と起きられないというのも無くなった。
ぼくの作品は、他者との知覚的経験の違いによるところが大きいと思うので、特に変わる事は無いのかもしれない。あとは、それを淡々と出力できれば良い。

2022年01月11日

今年は展覧会もやらないとな

先日ですが、展覧会の日程を決めました。
写真展で、基本的に写真新世紀2019と2020の作品を、いくらか再編成という感じです。
コロナのオミクロン株の浪が、おそらく3月上旬あたりで、その後下がる事を見越して、4月ということにしました。
下がりきらないとしても、下がる傾向のところが良いという判断ですね。
沈静化している時に決めたら、だいたい浪が高いところに予定を設定してしまうので、今上がっている最中に決めるのが最良という判断です。
これが吉と出るかは分かりませんが、岡山県の某美術館でやる予定。
posted by 超画伯 at 03:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2022年01月07日

家族 ガチャ?

DSC00241.jpg

最近なんでも運でかたづけてしまうという意味で、若い連中の間では、「ガチャ」という言葉が使われているらしい。
この事に関しては大まかに二つの側面があるように思われますが、一つは”努力ではどうにもならない運のようなもの”という感じでの諦めで、もう一つは”それでも、何も努力しないよりは、努力した方が良いかもしれない”という、それでも努力の意味が無いわけではないという、それでも諦めないという、二つの大まかな選択肢というものが出てくるように思います。

ぼくという存在は、極端な例かもしれませんが、上の二つの側面といのは、どちらも該当するという感じで、外れくじを引いてしまった場合、どのように動けば良いのか?は色々な面から考える必要があるように思います。
何でも諦めれば良いのか?といえば、そうでもないような気もしているわけです。もちろん、ぼくは、世間一般で言うところの、上手くいっている例でも無いので偉そうな事は言えません。

ぼくの場合、興味を持てば、何でも突き進んでいくという特徴を持っているわけですが、そこを如何に生かすかだと思っています。ただ、この点も限界があって、ぼく自身の初期能力は決して高くはないところです。その中でも、自分の優れている面を客観的に分析していく事が重要なのではないかと思っております。
ただ、ぼくは、見ての通り、超悲観的な人なので、そのような分析をしても、自信を失い、台無しにしてしまう事も多々あるわけですが、ところどころで底力を発揮していることも、ぼく自身の過去を見てみると、明らかにある事は理解しております。
ただ、それを持続できないのは、確かに「ガチャ」なのかもしれませんね。こうして文章に書いてみても、なかなか修正はできません。

家族ということになりますが、確かにぼくは、幼少期、家族の理解を得られなかったことで、物凄く苦労しています。
実のところ、小学生のころから、特殊支援学級に入ったり出たりしてたわけで、正直グレーな存在でもなかったのです。ただ、その”出た”理由に、「親」というものが明確にあります。親が、ぼくを特殊支援学級から出したのです。理由は簡単で、単純に世間体でしかなかったのです。そして、ぼくの都合の良い部分だけを編集して、健常者だと思い込もうとしていました。そこからは、できなければ殴るの連続でした。それでも、何を強制したところで、できないものは、何年たってもできるようにはなりませんでした。それでもしつこく、「できない人間は乞食になる」「のたれ死ぬ」と散々脅されたものです。その言葉そのものは、半ばはずれてはいませんが、だからといって、ぼくが健常者として、その世界で普通に生きるのは絶望的でしたが・・
その後というか、ぼくが成人した後、突然、親は「自由に生きて良い」と言い出したわけです。個性としては認められたのか、それとも諦め発言なのか。
その後談ですが、ぼくが幼稚園に行っていたときの先生も、「見てきた子供の中で、一番変わっていた」と言っています。

たぶんですが、ぼくは「ガチャ」という考え方からすれば、遺伝的に外れくじを引いたのでしょう。まぁそこは、ぼくにはどうにもできない問題なわけですから、責められたところでどうにもなりません。
ただ、親が外れだったかどうかは、まだ分からないというか、結果が分かるのには、まだ時間がかかるといったところでしょうか?
少なくとも、健常者との無謀な競争に置かれたわけで、ぼく自身には、かなりの闘争心が必用でした。負けるばかりでしたが、負けず嫌いになったわけです。努力ではどうにもなりませんが、努力をするように刷り込まれた事で、ある分野では競争力を持つに至るかもしれません。
テストで、ぼく自身が、どうやってもできない所は分かりましたので、そこを避けるように自己洗脳し直す必要はあります。なんといっても、「できない事を一番努力しなさい」と教え込まれたわけです。

まぁ、家族に外れはあるのかもしれません。産んでくれてありがとうなんて、口が裂けても言えませんし、そもそも、この世にいることに対する”ありがたみ”なんてのは一種の伝統的な言葉にすぎず、事実は、「この世にいる意味など無い」わけです。ならば、楽しく生きれば良いというような事が実現できるような体でもありませんし、ぼくの自閉症スペクトラム障害は、家族からは危険視されて、事実上家からも追放されている感じです。この点に関しては、違うとは言わせる気もありません。
それでもまぁ、仕方ないじゃないですか?と言うぐらいしかないわけです。
少しばかり境遇が変われば良いかな?という感じです。

2022年01月06日

SDGsのロゴを眺めてみる


持続可能な目標といいますか、SDGsのロゴみたいなものを眺めていて思うのは、これ、ぼくが小学生のころから言われてきたことの焼き直しのような感じで、あのころから考えると、日本においては、むしろ後退感もあって、なんだかなぁ。。という気分にもなります。
ぼくも気がつけば、今は障害者そのもので当事者ですし、色々と世の中変わったものです。

幼い頃は、とくに環境問題には危機感があって、未来はもう無いのでは?というぐらい危機感がありました。あと、世の中は冷戦状態でしたし、人類滅亡というのも、わりと身近な問題だったと記憶しております。
そのあたりは、なんとか乗り越えられた?のか、今も生きておりますが、ぼく自身は、冬の時代という感じです。
というのも、ぼくは、数年前に障害者になったのであって、その時の無意味感というのは半端ではなく、不可能な試みを多くやっていたのであり、これまでの人生の徒労を呪ったものでした。少なくとも、20年前に分かっていれば。
2018年の入院以降、ぼくは、作品の合理化と、ぼくの能力に見合った最適化を目指したのであり、これまでの夢を諦めました。その時の喪失感から、現在でも焦りや病気など色々な形で残っております。もう、この世界で生きていけないと、何度も死にたいとも思いました。

障害者になったというのは、法的にそうなったのであって、それ以前は健常者に他ならず、それ以前に刷り込まれた「常識」というものに苦しんでおりました。いや、今も苦しんでいるのかな?「常識」なのだから、誰でもできて当然というような事でしょうか?「常識」の中には、容易にこなせるものもありますし、いくらやってもダメというものもあって、その境界もはっきりしておりました。未だに、やればできるとか言われるわけで、そこは説明するのもしんどいところです。

ぼくは、SDGsの、このロゴ?のようなものを見て、意味はなんとなく分かりますが、書かれている事は役所的な感じで、言わば書類的でもあって、要は学習できない内容という感じです。これを問われても、ぼくは回答を述べる事はできないでしょう。今だから分かることですが、これを吸収するためには、脳に壁があるということです。
ただ、このままでは、世の中が持続しないということはよく分かります。おそらくは、ぼくの脳内のネットワークのあり方は、普通の人とは異なるのではないか?と思っておりますが、こういう端的なものではなくて、連鎖する世界に対する認識は、人よりもあるのではないか?と思っているというか、気づいているという感じです。

最近、深夜にファミレスに行く機会が増えましたが、昨年よりも、今年のほうが、おそらくホームレスと思われる人は多くなりました。冬は、寒さをしのぐためなのか、ファミレスにそういう人がいることは多いです。
年齢は、ぼくに近い人が多い感じで、食事のあとは、皆うなだれているという感じです。どういう事情があるのかは分かりませんが、今のままでは、こういう人は増えるでしょうね。

未来は明るいのか?暗いのか?はさておき、世界は繋がるのでしょう。これは、どちらかといえばSDGsを推進しようという企業が大企業という感じからも、強者が決めた強者が賛同しやすいイメージでしょうし、言ってることは確かな事ですが、末端は、これについて行くことができないという不安を抱くのではないか?ということも想像できます。
ただ、形がどうであれ、グローバリズムは止まらないのでしょうから、ある意味これを受け入れて世界の端々にある問題を解消していくしかないというのは、多くの人にも理解できる事だろうとは思います。今、SDGsを言われるということは、おそらくは、これはグローバル化とセットなのだと思います。その負の部分を如何に抑えるのかということでしょう。何故なら、その内容は、放置すれば、確実に悪化していく現実についての是正に関してのスローガンだからです。
問題は、グローバリズムを急進的に行うのか、それとも緩やかに行うのか?ということになるでしょうね。反グローバリズムの政権があったとしても、グローバル化が止まるという意味にはならないと思います。個人的には、緩やかでなければ困るというのはありますが。
少なくとも、ぼくの頭では、もう過去のような、今よりローカリズムの進んだ世界などは、ぼくが生きている間は無いでしょうし、当時ですら、グローバル化は進んでいる最中でした。国際化社会とか言ってましたっけ?ならば、その中で生きる方法を考える必要もあります。

どちらにせよ、ぼくは、何らかの形で戦うしかありません。黙っていれば、「誰も置き去りにしない世界」からも置き去りにされかねませんしね。