2021年12月29日

心はどこにあるのだろう

645Z2516_DxO.jpg
子供のころから抱いていた疑問の一つに、心はどこにあるのだろう?というのがある。
そもそも、この世界のあり方は、ぼく自身の思い込みでしかないのではないかとよく思っていた。
多くの人が考えるのか、考えないのか?
自然主義的には、心という現象が脳で行われる化学反応だとして、その限られた物質による化学反応で、どれだけの複雑で微妙な心の変化というものを作り出せるのだろうか?或いは、電気などの周波数なのか?
これだけでは、やはり、この心という現象を説明する事はできないような気がする。
ぼくの体を通して、”世界を認識するもの”をぼくの体は認識することができない。つまるところ一方通行で、それ自体はあるようでいて無いようでいて、やはりあるという感じのものなのではないかと思うことがある。
その、認識するものそのものは、ぼく自身の自己ではあるが、実のところ、それは、ぼくだけとは限らないのではないか?ということ。自己というものは、実は多くの知覚をもった生物に、ひものように繋がっていて、色々な角度から、世界を認識しているのではないか?という疑問。
なぜ、そのような疑問を抱いたのか?といえば、人間以外の、例えば数億年前に枝分かれしているような生き物たちの心のあり方が、あまりにも人間に似ているから思った事だ。昆虫に至るまでだが、ぼくたちの苦しみ方や、行動のあり方、何らかの心らしきもののあり方は、あまりにも似ている。例えば、鳥類などは似すぎているぐらい似ている。
元は、同時にある、自己というものから現れた現象だからではないのか?
それが、脳などを通した、知覚的機能性の違いから、自我というか、性格の違いとして、この世に現れているのではないか?
宇宙には、ダークマターという、人間の知覚や測定手法、計算手法では確認できない物質が確実にあると言われているが、そこに心の元になる、自己という存在があるのではないか?と数十年前に思ったことを、今思い返している。
posted by 超画伯 at 01:14| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記