2021年12月20日

自分が消える

最近、何もかも記憶が消えてしまう。まるで、自分がいなかったかのようだ。
ぼくが生きる事は、非常に困難だ。結局のところ、ぼくは戦うしかない。楽な老後など無く、最後の瞬間まで戦わなければ死だ。勝つしかないのだ。
戦うのは好きではないが、ぼく自身の体が表す症状は、どう考えてもそちらに行かなければならないように出来上がっている。そう追い込まれて、今やっているようなことをやっている。学習力も無い、コミュニケーション能力も無い、ぼく自身の実力そのものも、常に過小評価されてきた。特に地元ではそうだ。
結局のところ、常に戦い続けなければ、ぼく自身の存在がいないことにされてしまう。
仕事に重要なのは、実力ではない、この国が衰退するのは、実のところ実力主義ではないところもある。なんの実力もない人間ばかりが、仕事に採用される事を、横目で見てきた。単純に楽だからだ、誰が楽なのかは、お偉方が楽だからに他ならない。日本という社会は、永遠に自分というものが超えられないよう、或いはプレッシャーを感じないように無能をはべらすのを好む。そして神輿も軽いほうが良いのだから、これが落ちぶれずにしてどうなるというのか?
体がついてこないなど許されない。来年は、絶対に活躍する。それが無ければ死だ。その程度にぼくの人生など軽いものなのだ。


2021年12月13日

FIDBA "Ants"プログラム

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映像作品"Ants"のプログラムが公開されました。
海外のコロナの状況は酷く、上映は、オンラインとなります。

プログラムは、以下


Ants  

Nuevas Narrativas(新しい物語)部門


This work is organized by photos and films illuminates intimate relationships and others in my everyday lives. It attempts to depict the deep empathy of human world by contrasting world of ants and ours. There are multiple perspectives to enter and feel the world of “Ants”. One of them is myself “Tomomichi”, and other one is my partner “Shiho”. They are expressed with fragments of each of their lifetimes of which are connected to the third perspective “All”. “All” implies all others including viewers. By feeling the connection between intimate world and Others, we would be able to reimagine connections among the fragments of lifetimes of all beings. In this way, we would be able to regain imagination about human’s connections with ants. We are like ants, and ants are like us.

この作品”Ants”は、私の日常生活における親密な関係や他者を撮影した写真や映像で構成されています。蟻の世界と私たちの世界を対比させることで、この世界における深い意味での共感を描き出そうとしています。「Ants」の世界に入り、理解するために、複数の視点があります。一人は私「Tomomichi」であり、もう一人はパートナーの「Shiho」です。それぞれの人生の断片が表現され、それらが、第三の視点である「All」つまり”すべて”につながっています。"すべて "とは、視聴者を含む全ての他者を意味します。親密な世界と他者とのつながりを感じることで、すべての存在の生の断片のつながりを再構築することができるでしょう。このようにして、人間と蟻、或いは他者や自然界とのつながりについての想像力を取り戻すことができるのではないでしょうか。私たちは蟻のようであり、蟻は私たちのようでもあります。

インタビュー無し、台詞無し(町内放送は有り)、ストーリー展開無し、ドキュメンタリー的編集無し。動画は、ほとんど色が変化するだけ。撮影はほとんどスチルカメラ。シノプシスは、ほとんどステートメント。アニメーションはあります。
だけど一応ドキュメンタリー映画。
そんな感じの作品です。

以下に、色々とまとめていってますので、興味のある方は是非ご確認ください。


posted by 超画伯 at 19:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画祭

2021年12月12日

やや不思議

世の中はやや不思議だ。
これまで、ずっと「新しい」とか「実験する」とか聞いてきたわけだけど、正直表現というのは60年代とか70年代とかの焼き直しのようなものばかり。
実験映像とかいう言葉も、そういうジャンルがあるだけで、何か昔にあったムーブメントに対するノスタルジーのようなものしか感じなかったりする。つまり、昔そういうものがあって、それと同じような姿をしたものを実験映像と呼んでいたりする。実際に実験があるのか無いのか?に関して言えば、それは既に行われた実験を模倣するだけのものだったりする。実験が重要なのではなく、実験映像のような姿をしている事が重要なのだ。
写真の発表をして、そこの守り人というか村人も見てみたが、形態としては、やはり同じようなものだ。
ぼくは、ぼくが生きる事ができる世界を探してきたが、「村」というのは生きにくい場所だ。基本保守的であり、表現の幅を広げないという戒律があるかのように動く。必ず聞くのは「べき」という言葉だろうか?「こうあるべき」という言葉だ。その言葉が出てきた時点で、彼らにとって何が重要なのかを察しなければならない。その言葉は、言わば「壁」なのだ。他の社会との壁とでも言おうか?リベラル的な発言があるようだとしても、事実はそうではない。人間という生き物が作り出す社会というのは、基本どこでも似ているのだ。ASDで、思考回路の異なるぼくが、今ある社会に馴染めないように、ぼくは村に馴染むことはできない。
恩のようなものは感じるが、ぼくはぼくなのだから、そこをふりかえるべきではないのかもしれない。
この事に関しては、書くべきなのか?と思っていたが、ぼくが孤独を受け入れるという意味では、書く必要を感じた。あと、表現世界における、一つの事実としても書いておく必要を感じた。
「ありがとう」と言いながら、ぼくは先に進む必要がある。先に進むのがしんどくなったら、「横に進む」でも「斜めに進む」でも良い。べつに、そこの評価というものが必要というわけでも、もはやないのだ。
友人でありながらも、彼、彼女らの評価というものを求めるべきではない。

2021年12月10日

映像作品”Ants”が、FIDBA- INTERNATIONAL DOCUMENTARY FILM FESTIVAL OF BUENOS AIRES 「新しい物語」部門にノミネートされました

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このたび、映像作品Antsが、イベロアメリカ最大のドキュメンタリー映画祭、FIDBA-ブエノス アイレス 国際ドキュメンタリー映画祭の「新しい物語」部門にノミネートされました
今後国際競争の中から受賞者が決定することになります。
ぼく、中村智道のドキュメンタリー映画祭への出品は、初となります。

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“Ants”は基本的に、キヤノン写真新世紀2020 のグランプリ個展で発表された、写真作品”Ants”とテーマを同じくし、多くのイメージを共有する映像作品であり、それを再編集、そして、音楽家,パスカルズの坂本弘道さんの協力の元に完成した実験的ドキュメンタリー映像作品となります。英語字幕は、友人の、津田塾大学准教授 川端浩平さんによるものです。

また、空撮、ポートレート撮影の件では、岡山フィルムコミッションの妹尾さま、赤磐市の小野寺さま、あとNHKの赤坂さま、そしてご協力いただいたみなさまには大変お世話になりました。ありがとうございます。

テーマなどは、写真作品と同じものなので、そちらに関しては、 写真作品”Ants” のほうをご参照ください。


プログラムは、以下

Ants  
Nuevas Narrativas(新しい物語)部門



以下、Ants 予告です。


FIDBA-ブエノス アイレス 国際ドキュメンタリー映画祭 のマニュフェストは以下となります。

FIDBA

FIDBA is biggest Documentary Film Festival of Iberoamerica, and the first International Documentary Film Festival in Argentina, space where cinema of the real, films with the same vocation, dialogue with one another and address the diversity of forms and particular tasks that take reality as material. From this premise, the FIDBA is planned as an annual event in which they will present a selection of new directors, revisit the films of prominent authors and will recover works and films unknown to mainstream audiences.

LINK is the industry area of FIDBA wich is one of the biggest documentary meetings of Latin America. With different areas of work: WORK IN PROGRESS, WIP MEETINGS, TERRITORIES, DOCLAB, ONE TO ONE MEETINGS, and conferences and masterclasses

FIDBA also aims to be a meeting place for authors to widen our perception of reality and ways of expressing it and thinking it out through film, but also the arts, new media formats and new narratives ranging from photography to installations, from documentary theater to transmedia storytelling, not to mention the intersections between reality and fiction. The Festival is open, in short, to all documentary works that are a reflection and an effort to understand reality.

Facing a market that prevails and makes all relations a part of a great show, the documentary film maintains and reaffirms its character, for making every moment and letting rule for things not easily controlled, must necessarily invent forms for always unresolved issues: the documentary is unable to reduce the world to a previous device. And though the procedures are provided, and by nature, insecure, unstable and fragile, that is exactly their strength and driving force: to be there to allow the construction of new maps and to explore over those that are not entirely known to us yet.

以下機械翻訳ですが・・

FIDBAは、イベロアメリカ最大のドキュメンタリー映画祭であり、アルゼンチン初の国際ドキュメンタリー映画祭でもあります。現実の映画、同じ目的を持った映画が互いに対話し、現実を素材とした多様な形式と特定の課題に取り組む場です。この前提のもと、FIDBAは、新人監督のセレクションを紹介し、著名な作家の作品を再訪し、主流の観客には知られていない作品や映画を回復する年次イベントとして計画されています。

中略 :上手く翻訳できませんでした。

また、FIDBAは、映画だけでなく、写真からインスタレーションまで、ドキュメンタリーシアターからトランスメディアストーリーテリングまで、芸術、新しいメディアフォーマット、新しい物語など、現実とフィクションの交わりは言うまでもなく、現実に対する認識や、それを表現したり考えたりする方法を広げるための、作家たちの出会いの場となることを目指しています。つまり、この映画祭は、現実を反映し、理解しようとするすべてのドキュメンタリー作品に開かれているのである。

すべての関係を大きなショーの一部にしてしまうような市場に直面しながらも、ドキュメンタリー映画は、その特徴を維持し、再確認している。すべての瞬間を作り、簡単にコントロールできないものをルール化するためには、常に未解決の問題のために、必然的にフォームを発明しなければならないのだ。ドキュメンタリーは、世界を以前の装置に還元することはできない。そして、その手順は提供されたものであり、本質的には不安定で不安定で壊れやすいものであるが、それこそが彼らの強さであり、原動力である。つまり、新しい地図の構築を可能にし、まだ完全には知られていないものの上を探索するためにそこにいるのである。

なかなか、素敵なマニュフェストだと思います。

コロナ禍のため、作品の上映はオンライン上になるとの事、もし興味がある場合は、日本からも視聴可能かと思いますので、以下のサイトから、是非ご鑑賞ください。

FIDBA- INTERNATIONAL DOCUMENTARY FILM FESTIVAL OF BUENOS AIRES

ありがとうございます。

中村智道

posted by 超画伯 at 00:18| Comment(2) | TrackBack(0) | 映画祭

2021年12月09日

なんだかんだで動いている

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とりあえずなんだけども、日々撮影やら編集やらやっている。
簡単に考えられている人もいるかもしれないが、これが形になるには半年以上とか、1年かかったりとか、色々とある。でもまぁ、結果としては形にはなる。
考えてみれば、三年前の入院は致命的だった。
それから完全に回復してないし、写真新世紀の時は、まだうつ病完治していなかった。冷静に考えたら無茶苦茶である。うつ病なんて、動けたもんじゃないが、波があるので、比較的楽な時だけ撮影した。酷いときには何もできない。
でもまぁ、本能なのか、植え付けられた危機感なのか、とにかく動いていた。
たまに動くだけでも、形にはなるのだ。
ぼくは、食中毒でも動いていた。もはや、生存本能とイコールになっているのかもしれないが、さすがに良くない。
ここ近年がしんどすぎたので、食中毒は大してしんどくないというか気がつかなかった。
今も何らかの関係でしんどいのだが、これは20代とかからだから、当たり前化してしまっている。
幼少期や10代は、20代よりも、むしろしんどかった。
たぶん、もっと楽な状態というのもあるはずなのだ。坂道登ったりとかしたら、吐いてしまうとか、やはりおかしいのかもしれない。
何か良い方法があるはずだ。
posted by 超画伯 at 07:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記