2021年12月29日

心はどこにあるのだろう

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子供のころから抱いていた疑問の一つに、心はどこにあるのだろう?というのがある。
そもそも、この世界のあり方は、ぼく自身の思い込みでしかないのではないかとよく思っていた。
多くの人が考えるのか、考えないのか?
自然主義的には、心という現象が脳で行われる化学反応だとして、その限られた物質による化学反応で、どれだけの複雑で微妙な心の変化というものを作り出せるのだろうか?或いは、電気などの周波数なのか?
これだけでは、やはり、この心という現象を説明する事はできないような気がする。
ぼくの体を通して、”世界を認識するもの”をぼくの体は認識することができない。つまるところ一方通行で、それ自体はあるようでいて無いようでいて、やはりあるという感じのものなのではないかと思うことがある。
その、認識するものそのものは、ぼく自身の自己ではあるが、実のところ、それは、ぼくだけとは限らないのではないか?ということ。自己というものは、実は多くの知覚をもった生物に、ひものように繋がっていて、色々な角度から、世界を認識しているのではないか?という疑問。
なぜ、そのような疑問を抱いたのか?といえば、人間以外の、例えば数億年前に枝分かれしているような生き物たちの心のあり方が、あまりにも人間に似ているから思った事だ。昆虫に至るまでだが、ぼくたちの苦しみ方や、行動のあり方、何らかの心らしきもののあり方は、あまりにも似ている。例えば、鳥類などは似すぎているぐらい似ている。
元は、同時にある、自己というものから現れた現象だからではないのか?
それが、脳などを通した、知覚的機能性の違いから、自我というか、性格の違いとして、この世に現れているのではないか?
宇宙には、ダークマターという、人間の知覚や測定手法、計算手法では確認できない物質が確実にあると言われているが、そこに心の元になる、自己という存在があるのではないか?と数十年前に思ったことを、今思い返している。
posted by 超画伯 at 01:14| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2021年12月25日

フリーRAW現像ソフトdarktable の記事を書いてみた

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たぶん、フリーのRAW現像ソフトでは、RawTherapee系ソフトと双璧だと思われる、優秀なソフト、darktableについて記事を書いてみました。

DxO Photolab + darktable でRAW画像編集

ものすごく細かい編集に向いていると思いますので、時間をかけてじっくりRAW画像を弄りたい人は是非。


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使用前


EOSL0245_DxO_00.jpg
使用後

しかし、本当に、色々なソフト使うよね・・好奇心と飽き性の問題でしょうか?

posted by 超画伯 at 20:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 写真日記

2021年12月22日

フリーのRAW現像ソフト ART についての記事

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ARTっていう、RawTherapee 後継っぽいソフトが出てたので、少々書いてみました。

フリー現像ソフト RawTherapee 後継? その名もART


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使用前


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フリー現像ソフト、ART 使用後

個人的には、フリーソフトどころか、RAW現像ソフトとして最強だと思いました。

posted by 超画伯 at 21:52| Comment(2) | TrackBack(0) | 写真日記

来年は、アートに進出しよう

ぼくは、ここまで、ぼくの行動に関して言えば、物事が決まるまで公言しない立場をとってきたが、今回に関しては言う必要があるのかもしれない。
はっきりと言うが、この国に関して言えば、アートのようなものの土台としては、既に終わっていると思う。べつに悲観的になっているかどうか?というよりは、現実を見極めた上でということになる。結論としては、世界を照準にしなければ、もはや満足な活動もあり得ない。
ぼくは、さまざまな映像メディア、絵画、アニメーション、ドキュメンタリー、写真と、色々とやってきたが、ここにきて限界を感じている。ぼくは、もっと視野を広く持ちたかったが、その中にあっては、それは不可能なのだと感じるに至った。
もちろん、これまでやってきたことに関しても、可能な限りは続けようとは思うが、コロナ禍においては、何らかのアクションを起こすことは非常に困難だ。
ぼくは、新自由主義的観点から、アートというものに関しては、批判的な立場をとってきたが、事「視野」という観点においては、他はそれ以下ということになると思う。これは嫌味で言っているわけではなく、追い詰められた状態において本音を言っている。
そのために必要なツールらしきものは、既に持っていると思う。
ぼくはテーマを決めた後は、粛々とそれを行う必要があると思う。
来年は、アートに進出するために、作品を制作する必要がある。そのためには協力者が必要だ。
posted by 超画伯 at 16:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2021年12月21日

卒業

色々な考えから卒業する必要がある。
幼少期から教わってきた事の多くは嘘だった。
できないことの努力は意味がなく、努力そのものの美徳というのも嘘であり、基本的には如何に媚び、如何にやってる感を出すことであり、如何に嘘をついて負のイメージを払拭するかが、この国においては重要な処世術なのだと思う。もはや、真面目かどうかなどに意味はなく、如何に上手くバレないよう、法にかからないように詐欺行為を行うのかが、その人の信用ということになっている。
考えてみれば、コミュニティーアート等は、まさしくクソであり、ぼく自身は、タダで長期間拘束されるだけではなく、ぼく自身を足で使ったという事実でマウントを取るようなクズの元で奴隷として使われた事がある。
簡単な事だ、ぼくの経歴を利用した上で、下働きさせ「こういう人間も俺の下なんだよ」とそいつの立ち位置を高く見せるというやり口だ。それを多くが集まる会食で行い、それの積み重ねで「スゲー!」となるわけだ。田舎は、そういうのが多い。
最近でも、タダで写真撮ってくれという話は多々ある。
ぼくは「お仕事ならやりますよ」と返すようになった。その場合、結局のところ仕事は来ない。交通費もなく、県外に滞在で、しかも無料とか、けっこうあり得ない話だが、そういう話は多い。さらには、断れば、ぼく自身の評判も落として回る始末である。
ぼくの経歴を泥棒する人間も多い。ほんの少しだけの参加で、ぼくの作品が世界を回る事を利用し、そういう国々で活躍したとし、更には作者であるぼくの名前を書かないのだ。
たぶん、そういう腐った面々の手前上、ぼくの名前を書けないのだろうが、それにしても酷い話というかまぁ悪党の所業と言ってよい。
それを指摘すれば、その周辺もまた、ぼくとは関わるまいという態度に変わる。
とりあえず、彼らが何かをなし得ることは無いだろうから、そういう群れとは距離を置いて良い。あまり意味はないというかマイナスと言って良い。
可能であれば、信頼しあえる関係で仕事をすることが出来ればと思う。

posted by 超画伯 at 21:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記