2021年11月02日

作品発表しないといけない病

作品なんて、べつに世の中からすれば、大した意味は無いし、それで何かが変わるわけでもないし、そんな大それた事を言う気も無い。
なんだけど、ぼくの体のほうは、どうやらその中毒になっている感がある。
今年もまたコロナ禍だし、それによって、色々と出来なかった。ぼくは、先に先にこういう事をやりますと公言しないものだから、外から見れば、何もしようとしていない感じに見えるかもしれない。
事実は、去年も、今年も、多くの予定が無くなってしまった。まぁ、ぼくが嘘をついた事にはならなかったわけで、それはそれで良いわけだが。。

最近は鬱気味で、正直入院したい気分に陥っている。とりあえず、この世の中の雑音から逃げ出したい。
何を甘い事を言っていると言われる方もいるかもしれないが、実際に双極性障害に陥ったならば、そんな事を言って余裕かましたりマウントとったりできない事は保証する。そもそも甘いとかなんとか言うのは、その言っている本人が抱えているバックにある社会の都合でしかないだろう。社会の都合上、うだうだ言わずに動けと鞭打っているだけなのだ。つまり、偉そうに社会の代弁者のつもりになってマウントとっているだけだと言える。
こうして、まだ文章を打ち込めるうちは、まだ華だと言える。
今年は、とにかく最悪だった。何故か、遊んだわけでもないのに、時間だけが経過してはいるが、何をやったのかも分からない。分かっていることは、入院したということ。あと僅かな記憶だが、長期の頭痛で、どうにも動けなかったこともあったかもしれない。

最近、写真作品を作る事に疑問を持ち始めている。なんというか、ぼくが求めてるものとは違う気がしてならないのだ。思うのは、何も人の生の意味への探求などは無いという事だ。安っぽい人間賛歌やら、写真のためのオタクイズムなどはただただ反吐が出る。人が生きる上での本題など無く、この世に生きる苦しみに対する言及とは程遠いもので悦に浸っているようにしか見えない。せっかく与えられた思考力も台無しであり、ただただ本題そらしをしているだけであって、完全に思考停止しており、芸術などとは程遠い。少しばかり考えれば分かるはずだ。例えば、その安っぽい人間賛歌の裏側に見える無数の数えきれない犠牲の事だ。うつ状態になれば、見えるのは、その裏側にある本質の部分だけだ。ある笑顔は、無数の犠牲の上で成り立っているという事実だ。他の手法の作品ならば良いのだろうか?いや、違うだろう。
結論として言える事は、作品など、作らなくても良い状態が一番良いのだ。そもそも意味が無いのだ。ぼくの存在など、世の中に示す必要などはなく、そもそもは、生まれてこない事が、一番の幸せだと言える。これは究極的で、思考のどこを探っても疑いの余地が無い。結論を言えば、この世の中こそが地獄なのだ。人間が地獄を考える上での必要な要素は、この世にすべてあるということだ。
生きる事の素晴らしさなどというまやかしは、今生きている事の言い訳でしかない。実際、生きる事の意味や素晴らしさなど、本当に見いだせた人が、果たしているのだろうか?

その意味というか、今生きている事の言い訳として作品というものがあっただけだ。その言い訳が出来なければどうなる?
言い訳というのは時間稼ぎなのだ。そして、言い訳というものは、いつかは覆されるのだ。そう、死をもって。

ともかく、ぼくは、今年、生きるための言い訳を今のところできていない。