2021年11月24日

動けず

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夜間撮影を行う予定だったが、動けず。
横隔膜付近と全身が痛む。立ち上がれない。気力よりも疲弊が大きい。何をしたのだろうか?思い出せない。
明日、回復次第撮影を行う。
posted by 超画伯 at 20:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2021年11月19日

帝釈峡

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とりあえずなんですが、帝釈峡など行ってきました。
一応仕事で、これはボツ写真ですね。もう少しマシな設定で撮ってるのもあるから、電線消そうかな?ホント観光地はこういうのが駄目ですよね。秘境に行きたい。
使えなくもないのですが、なんというか、余計なものが写ってるなぁ・・と。
クリックすると画像拡大しますよ。

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これは、小さなセンサーだからなのか、画像がうるさい気がします。
現像でなんとかしてみようかと思います。

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これも帝釈峡で、橋の上からですかね?
紅葉というよりは、既に枯れ葉?
そうだとすれば、もう少し気温が下がったほうが面白いかもしれませんね。
しかし、今日は暑かったわけですが・・

久々に風景など撮ってみたわけですが、やはりズームレンズだとイマイチですね・・面倒くさがらず、単焦点でいくか・・
posted by 超画伯 at 22:38| Comment(2) | TrackBack(0) | 写真日記

頑張りすぎないという努力

たぶんなんだが、ある意味ぼくは頑張りすぎなのだろうと思う。というか動きだしたら止まれなくなるので、結果としてはそうなるのである。べつに、頑張るつもりなど最初から無いのだ。これは、完全に性質の問題であって、どうにかするにも、かなり気合いが必要というか、学習力が無いので、いつも頑張っていないと嘆いている。
しかし、疲弊した体と頭だけが、何かを証明しているわけで、そうなっている場合は注意しないと危険なわけだ。
どうすれば良いのかは、ぼく自身も分からない。
何もしないということも出来るが、この場合は本当に寝たきりになり、気力も何もかも無くなるわけで、要は双極性障害の鬱状態の前の状態でしかない。
極端すぎて困る。どうするべきか?

2021年11月18日

風景でも撮りに行ってみる

とりあえず、ごく普通の風景でも撮影してみようかと思います。
基本的には、海とか山のような自然は中判機やフォビオン機、街中スナップなどはフルサイズかAPS-C機という感じでしょうか?
明日は、試験的に帝釈峡にでも行ってみる予定です。
毒気も無く、個人的には作品性もそれほどでもないものを淡々と撮ってみます。
商品と作品は別物なので、例えば写真を撮るならば、前者のほうが、ほとんどの人にとって重要な事は間違いありません。
個人的に、日本、特に地方は、作品と言ってもおそらくは理解は出来ないでしょうし、特にですが、まちアート等で、作品とはそういうものだという意識が植え付けられています。ネオリベの成れの果てではあると思います。世の中が衰退に入っていることを理解しなければならないでしょう。
本当は、それは問題があるわけですが、おそらくは、ぼくの作品のほうが、間違いなく問題とされるわけで、そういうものはそういうところで見せないと理解はされないでしょう。
ただ、今の世の中の状況で、そういうものが維持されるのかどうかは微妙なのかもしれません。個人的に研究にとどめようと思っております。
作品としては、映像回帰も良いのかも?とも思っております。
posted by 超画伯 at 22:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 写真日記

2021年11月16日

焦燥感

とても文章など書けるような状態ではないが、忘れないように書いておく。
ここ最近、焦燥感が酷く、それは他者との関係だったり過去の出来事だったり、或いは、もはや自分を救うような事を思いつけなかったりで、散々「良いことがある」「楽しい」と嘘でも良いから呟いてみたが、まったく効果がない。ぼくの脳は、そんなのでは騙されない。
ぼくは、たぶん誰からも相手にされない領域を見ようとしているが、それをすることで、ぼくが信頼している人々から、ぼくが離れていく事の恐怖もあるのかもしれない。
ただ、この世に、ぼくの生きるような領域が無い以上は、その相手にもされない領域へ進むことが必要なのだ。たとえ理解されないとしてもこの世の既存のものに、ぼくが入る余地がない。
相手にされない事そのものを受け入れなければ、ぼくは進むことが出来ない。