2021年10月23日

ファッション発達障害という詐欺師

時代の流れで、何でもファッションになってしまうものだが、発達障害も、どうやらファッションになるようだ。思い当たるケースは、色々と思いつくのだが、正直、実際の発達障害が余計に苦労するのでやめてほしいものだ。
これは、ファッションLGBTやファッションフェミニズムにも言えることだが、当事者とは逸脱した、ただの人気取りの傾向が強いと感じる。そういう人間が脚光を浴びているようなので、その流れに乗っかる、或いは、そういう人間は天才が多いという誤認から、良い所取りしようという、実に浅ましい考えと言える。
とくに、僕の場合はASDなわけだが、これは、生きる困難から二次障害など、幾重に重ねた結果、度重なる検査によって発覚したものだ。もちろん自分の生きづらさに、何かカラクリがあるのでは?とも思っていたが、ASDであるとは思っていなかったのだ。

ファッション発達障害の特徴だが、まず医師の診断を受けていないケースが多く、ネット上の検査で、それだと思っているケース、あと、根性でそれを克服したというケースが多々見られる。あと、よくあるのが、医者に行くのは、薬を飲まされるのが嫌だとか、そういう意見だが、それこそ何も知らないと言えるだろう、薬は飲まないという選択肢もあるし、断ることも可能なのだ。ぼく自身も、多動性を抑える薬は断っているし、向精神薬も弱めのものにしてもらっている。しかし、その後来る可能性が高い、二次障害においては、薬無しで乗り切れるのかどうかすら疑問だと言える。そのぐらいに、二次障害というものは、猛烈に苦しいケースが多いのだ。例えばうつ病や双極性障害など、根性で克服したなどと言う連中は、とんでもない嘘つきだと言わざるをえない。もし、実際に根性で克服した経験があると思うならば、それは単なる誤診だと言っても良いぐらいにしんどいものだ。世の中には、うつ状態をうつ病と勘違いしている人も多いが、それは、全く次元の異なるステージだと知っておいたほうが良い。実のところ、うつ状態をうつ病と言っている人も多いのではないか?と思う。そうなれば、うつ病も甘えのように扱われてしまうことになる。
一つ言えることだが、発達障害そのものは生涯に渡り付き合うことになる特性であり、根性での克服などありえないのだ。あと、ファッション発達生涯の特徴としては、それを免罪符にして、何をしても許されるという感じで悪用している事につきるだろう。
ぼくは自分で言うのも何だかなぁと思うが、それなりに根性はあるが、残念なことに、それで出来ないことを克服したことは無い。どうやっても駄目だ。特に学習障害など、何をどうしてもどうしようもない。学習しないものは、PCでの補助でそこに補完しようとはしているが、その記録ですら、何だったのか分からないということは多々ある。

「私は、発達障害の抱える問題点を根性で克服した」などという言う人の言うことは、眉唾で考えたほうが良いだろう。特にだが、そういう連中は表現世界には多く、それをもって自らの価値を上げようとしているが、実際の発達障害とは異なることは実に多いと思う。そもそもだが、障害があり苦労しているはずの人が、何故マジョリティーと価値観を同じくし、遜色なく行動できるのか?ぼくは、そういうのを、名誉マジョリティーと言っているが、実のところただのマジョリテーに他ならない。苦労が足りないんじゃないか?と思うような発言も多いし、つまるところ、楽をするためにファッションとして利用しようとしているわけで、つまりその点において苦労などしていないと言える。
ファッション発達障害というものは、現代が生み出した詐欺師の部類なのではないか?天才であるという名声と、発達障害だから、〇〇しないのは許してくださいという免罪符を得ようという卑怯者に他ならない。障害があるとするならば、それは人格障害の類だろう。
事実、偽物の発達障害の連中が、努力で克服したというのあらば、それを克服できないぼく自身は、努力が足りないということになるのだが、それならば何故、この年齢でここまで疲弊しているのだろうか?これ以上の努力は、死を覚悟する必要すら感じるものでもあるのだ。

いちいちこんな事言いたくはないが、苦労するのはこちら側なわけで、被害を増やさないためにも言うべきだろうと思う。そもそも、こういう事を言うのも、現在の社会を考えれば損な事だ。そうなればファッション系の人間は、「私は皆さんと考えを同じくし、共感する事ができる、ネガティブな感情とも無縁な発達障害です!」と、人気取りに走る事が可能になる。そもそもが詐欺師なのだ。人間は、どこまでも浅ましくなることが出来るのだ