2021年10月05日

ありのままの自分

たまに、この言葉を聞くわけだが、これを聞くと頭を抱えたくなる。
というのも、ありのままの自分など、分かる人間がいるわけがないからだ。しかも、”ありのまま”を語る人たちは、だいたいその時代のある主義の洗脳を深く受けているという印象がある。特にだが、その事に気が付いてもいない作品というものを見ると嫌悪感を感じるし、気がついてあえてやっているとか、プロパガンダの類にしか見えないのだ。
近年の”ありのまま”など、ネオリベの主張に他ならなかったりで、ただただ格差拡大と環境破壊のための運動に参加しているのに過ぎないのだと、冷ややかな目で見てきた。
時代というものを見ても分かるが、”ありのまま”など、ある時代は共産主義だったり、ある時代は武士道やら騎士道だったり、常にあり続けるのは信仰だったりで、その”ありのまま”はヒエラルキー上位の都合に過ぎなかったりするものだ。”ありのまま”の自分の正体は、皆と同じ自分ということに他ならない。だから「貴様は非国民か!」と多数が言う状況も、そういう類の”ありのまま”として成立する。
「思い出せ!ありのままのお前はこうだったんだろ!」という洗脳だ。圧力によって与えられたものが、”ありのまま”の自分だ。そして、それは、その時代においては良い事だとされていたものだ。それとは異なるものは「異端」であり排除するべきものにすぎないのだ。どれほど、下位の階級を虐げても良いのであり、奴隷がいて良いのであり、異民族を殺戮するのも、我々が幸せを成就するための善行であり”ありのまま”なのだ。しかし、冷静に考えるとどうだろうか?
未だに、日本における主な”ありのまま”などネオリベにすぎなかったりする。そもそも日本ほどにSNS等の奴隷になりきっている国が、それほど多くあるだろうか?と思う。それから引き剝がされれば生きていけないと思えるほどの村社会であり村人の集団で、それこそネオリベとの相性も最悪なのにだ。
そうすることで、果たして誰が幸せになったのだろうか?気が付いたころには、能天気な発言も無くなるだろうが、それでも、ヒエラルキーの上位が安泰ならば、自らにも希望があり、将来は自分もそうなるのだと夢でも見続けるのだろうか?
今の地方の夢の正体など、こればかりだろうに。
posted by 超画伯 at 14:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

ノートパソコン直る

長らく壊れていたノートPCが帰ってまいりました。
購入半年で、保証内なので無料なわけですが、半導体不足のため部品が無いとの事で2カ月近くかかった感じです。
とりあえずは、各所チェックも入ったでしょうし、当初よりは信頼のおける状態になったという意味では、個人的には補償範囲での故障はウェルカム派です。

今年は、新品のカメラも壊れましたが、これも修理が遅く1カ月以上かかりました。部品が無いようです。
ただ、新品の修理が入ったカメラは、点検が入る事でピントから何から精度が上がって帰ってくるので、そのほうがありがたいですね。
今まで、そういう事は何度かありましたが、工業製品というものは完ぺきではないので、荒らさがしされたほうが、良くなるというのは確実ですね。というのも、量産体制の工場でのチェックは、サービスでのチェックほどではないという点で。
その後のトラブルは、どれも、圧倒的に減っているという結果が、うちでは出ている感じです。
posted by 超画伯 at 00:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記