2021年10月29日

寝たきり中年

かれこれ1週間近く寝込んでいる。
このままではダメというか、来月から仕事なわけで動かないといけないわけですが、どうにも起き上がれないし、ヘルペスとか出まくりで、何に疲労してるのかよく分からない。
今日は頑張って歩こうかと思うものの、思うだけで立ち上がれません。
パートナー曰く、数年来の疲労との事ですが、そんなに何かやったのだろうか?
記憶がございません。

それとは関係なく、どこか遠くに行きたいものです。コロナで、どこにも行けませんでしたし、あるはずだったイベントも消滅。。結論としては、何もしてないのと同じなわけで、何らかのアクションは起こさないといけないのでしょうね。
そういえば、今年は何も行事が無かった。何十年ぶりだろうか?
まぁ、あと2ヶ月少々あるけどね。
posted by 超画伯 at 16:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2021年10月28日

外国人参政権?

ここ最近、外国人参政権の話が出てきているようだ。個人的には、以前は、外国人参政権いらんのじゃないの?と思ってたけど、ぼくが大人になってから数十年、日本人だけでは、なにも成果も出ないし、ふんぞり返って悦に入って落ちぶれ続けるわけだし、少なくとも日本を猛追してきてたり、追い抜いた外国の人のほうが結果を考えても優秀なわけだし、そういう連中に参加してもらったほうが少なくとも自滅を免れるという意味も含め、参政権与えても良いんじゃないの?と思えてきました。とりあえずアホの村イズムを破壊するという意味や、焦りから生じる民主主義の復活という意味も含めて、良いことばかりのように思える。というか、日本人の無能好きというか、軽い御輿の好きさ加減は異常でしょう。媚びる事こそが優秀さだと勘違いしてる人多すぎだし。
というか、日本人超優秀なんだから余裕でしょ?そういう自己評価だし、自分等の事、スゲースゲー言ってんだし、競争力がどうのこうの優秀だの言ってたんだし、何を焦っているのか分からん。それに、自己責任なんでしょ?まさか、日本人の優秀さに疑いを持つとか、もしかして反日か?
posted by 超画伯 at 03:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2021年10月27日

地球が温暖化すると米が美味くなるらしい

ニュース見てたら、某元首相が、温暖化でコメが美味くなると話してた。
まぁ、思いつきか、身近な偽装保守のネオリベの入れ知恵かどうかは分からんのですが、かなり頭が悪いというか、聞いていて不快なだけの発言ではありますが、いざ選挙になれば、開票の瞬間に通るんだろうなとも思ったりしました。
あと、農家の努力も関係無いらしく、ただただ喧嘩を売ってるか、煽っているようにしか見えないわけですが、やはり大した影響もなく通るあたり、日本人というのは生粋の奴隷なんだなと思ったりしました。まぁ衰退して当然といえば当然ですね。
一つだけ成長したことを挙げるとするならば、やはり地球は温暖化してたんですね。そんなのは無いという認識なのか?と思ってました。自ら白状しましたし、地球の敵ということで良いでしょうか。
あと、そういうのに従う奴隷根性からなのか、上見て暮らすな下見て暮らせなのか、自らをスゲースゲーと言いながら、身近な国を馬鹿にしてたら、いつの間にか抜かされてしまうというのもお家芸になってしまいました。何事も慢心はダメですよね。誰か風に言えば、「まったくみっともない話ですよ!」という感じでしょうか?

あと、与党内の誰かが、業者雇って野党やら党内のライバルの悪口書かせてるの見て、同調して暴れるネトウヨとか、ちょっとヤバいと思います。20年ほど前から、そういうのあからさまだったわけですが、それを疑うこともなく20年信じれるって、凄い信心だと思います。
でもね、それって民主主義の敵ですし、むしろ北朝鮮とかに近い考え方だと思うんですよね。批判してるのは、実は憧れかなにかなのかなと勘ぐってしまいます。昔、韓国の整形批判してたのも懐かしい。羨ましさ余って、今やポン国も立派な整形大国ですよ。そもそもネトウヨのカリスマが整形外科医とか、もうね。
そういうモラルの低さも含めて、匿名制とかやめて良いと思います。やましい事が無ければ、自分の名前で言えるんじゃないかなぁ。
匿名ばかりが目立つあたり、やはりやましいということで、自らが悪行を行っている自覚があるんだと受け取っておきます。

とりあえず、そんなので世の中良くなるわけがないので、当面日本の没落は続くんでしょうね。と諦めて、とりあえずは自分が出来ることをするしかないんでしょうね。
とりあえず、汚い事には何でも蓋をしてしまう美しい国ですよまったく。改善の余地なしですね。
ポジティブなことしか言ってはいけないってのも、ネガティブな現実を隠すための罠だよね。実に新自由主義らしい。格差も広がるよね。
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2021年10月24日

免許証を喪失 記憶も喪失

ここ最近、バタバタとしていたわけですが、今日手続きのために免許を出そうとしたら無くなっていました。
明日、仕事のための重要な手続きがあるわけですが、けっこう困ります。

近い記憶の喪失がどんどん激しくなってきていて、正直生きる自信が無くなります。
記憶の無い謎の書類も来るし、しかしそれが正当なものだったりで、自分がどうなっているのか不安です。

ある種の、認知症のような感じもするのですが、おそらくは、年齢とともに学習障害の度合いが酷くなっているのではないでしょうか?
ぼくに、学習障害が無ければ、普通にアスペルガー症候群とかなんでしょう。ぼくは、そちらの方が良かった。学習障害は、何の足しにもなりません。喪失しかないわけです。
記憶の断片を繋ぎあわせて、つじつまが合うように考えてきましたが、そろそろ限界です。ロストしている部分が多すぎます。

やはり、どんなに頑張ったところで、ぼくは障害者なわけです。
今日試しに、某ドキュメンタリー映画祭に、作品をエントリーしてみましたが、障害者欄にチェックをしておきました。不安に襲われたので、ここ一年怠けてきたエントリー作業をしようと思いました。そもそも出すと決めていたのは、今年の始めでしたが、気乗りがしないというか、落ちていたので放置でした。それに、写真と映像の両立とか、ぼくの書類作成能力では限界を超えています。そもそも書類など見たくもないわけです。ぼくが、もっとも苦手とする領域ですし、人の助けが無いと出来ません。何を要求されてるのか、分からないわけです。
情けないと思っても仕方ありませんね。
やはり障害2級は、どうあがいても2級なわけです。

2021年10月23日

ファッション発達障害という詐欺師

時代の流れで、何でもファッションになってしまうものだが、発達障害も、どうやらファッションになるようだ。思い当たるケースは、色々と思いつくのだが、正直、実際の発達障害が余計に苦労するのでやめてほしいものだ。
これは、ファッションLGBTやファッションフェミニズムにも言えることだが、当事者とは逸脱した、ただの人気取りの傾向が強いと感じる。そういう人間が脚光を浴びているようなので、その流れに乗っかる、或いは、そういう人間は天才が多いという誤認から、良い所取りしようという、実に浅ましい考えと言える。
とくに、僕の場合はASDなわけだが、これは、生きる困難から二次障害など、幾重に重ねた結果、度重なる検査によって発覚したものだ。もちろん自分の生きづらさに、何かカラクリがあるのでは?とも思っていたが、ASDであるとは思っていなかったのだ。

ファッション発達障害の特徴だが、まず医師の診断を受けていないケースが多く、ネット上の検査で、それだと思っているケース、あと、根性でそれを克服したというケースが多々見られる。あと、よくあるのが、医者に行くのは、薬を飲まされるのが嫌だとか、そういう意見だが、それこそ何も知らないと言えるだろう、薬は飲まないという選択肢もあるし、断ることも可能なのだ。ぼく自身も、多動性を抑える薬は断っているし、向精神薬も弱めのものにしてもらっている。しかし、その後来る可能性が高い、二次障害においては、薬無しで乗り切れるのかどうかすら疑問だと言える。そのぐらいに、二次障害というものは、猛烈に苦しいケースが多いのだ。例えばうつ病や双極性障害など、根性で克服したなどと言う連中は、とんでもない嘘つきだと言わざるをえない。もし、実際に根性で克服した経験があると思うならば、それは単なる誤診だと言っても良いぐらいにしんどいものだ。世の中には、うつ状態をうつ病と勘違いしている人も多いが、それは、全く次元の異なるステージだと知っておいたほうが良い。実のところ、うつ状態をうつ病と言っている人も多いのではないか?と思う。そうなれば、うつ病も甘えのように扱われてしまうことになる。
一つ言えることだが、発達障害そのものは生涯に渡り付き合うことになる特性であり、根性での克服などありえないのだ。あと、ファッション発達生涯の特徴としては、それを免罪符にして、何をしても許されるという感じで悪用している事につきるだろう。
ぼくは自分で言うのも何だかなぁと思うが、それなりに根性はあるが、残念なことに、それで出来ないことを克服したことは無い。どうやっても駄目だ。特に学習障害など、何をどうしてもどうしようもない。学習しないものは、PCでの補助でそこに補完しようとはしているが、その記録ですら、何だったのか分からないということは多々ある。

「私は、発達障害の抱える問題点を根性で克服した」などという言う人の言うことは、眉唾で考えたほうが良いだろう。特にだが、そういう連中は表現世界には多く、それをもって自らの価値を上げようとしているが、実際の発達障害とは異なることは実に多いと思う。そもそもだが、障害があり苦労しているはずの人が、何故マジョリティーと価値観を同じくし、遜色なく行動できるのか?ぼくは、そういうのを、名誉マジョリティーと言っているが、実のところただのマジョリテーに他ならない。苦労が足りないんじゃないか?と思うような発言も多いし、つまるところ、楽をするためにファッションとして利用しようとしているわけで、つまりその点において苦労などしていないと言える。
ファッション発達障害というものは、現代が生み出した詐欺師の部類なのではないか?天才であるという名声と、発達障害だから、〇〇しないのは許してくださいという免罪符を得ようという卑怯者に他ならない。障害があるとするならば、それは人格障害の類だろう。
事実、偽物の発達障害の連中が、努力で克服したというのあらば、それを克服できないぼく自身は、努力が足りないということになるのだが、それならば何故、この年齢でここまで疲弊しているのだろうか?これ以上の努力は、死を覚悟する必要すら感じるものでもあるのだ。

いちいちこんな事言いたくはないが、苦労するのはこちら側なわけで、被害を増やさないためにも言うべきだろうと思う。そもそも、こういう事を言うのも、現在の社会を考えれば損な事だ。そうなればファッション系の人間は、「私は皆さんと考えを同じくし、共感する事ができる、ネガティブな感情とも無縁な発達障害です!」と、人気取りに走る事が可能になる。そもそもが詐欺師なのだ。人間は、どこまでも浅ましくなることが出来るのだ