やはりなんだが、作品にとって重要な事は、使っているメディアでは無いだろうと思う。写真というのは手段でしかなく、「何を表すのか?」が重要だと思う。
個人的に恐れるのは、オタクイズムに走る事だろう。基本的に、どんなジャンルであれ、ダメにするのは、マニアの類というのは、これまでにも何度もあった事だ。なので、写真作品を作るという意識で作る事は、ぼく自身の創造性を大きくスポイルするものになるだろう。本来ならば、作品というものは広い視野で作られて良いし、狭くする必要性はどこにもない。
どんなジャンルであれ、オタクイズムに走った作品というものは、これまでに見てもないのに「あ〜またか」というマンネリ感が漂っている。新鮮さが無いから、すぐに見極められてしまうわけだ。
初めて見るジャンルなのに、マンネリ感を感じてしまうというのも、けっこう凄い事だが、人間のキャパそのものに限界があるのだから、そうなるのは致し方ないのかもしれない。
そういう時は、思い切って、別の事をやるのも、一つの手だろうと思う。個人的な経験だが、ある一つの事をやって、新たな発見をするというのは非常に困難な事だ。知識を得るならば、異ジャンルであるほど良い気がする。
初めて見るジャンルなのに、マンネリ感を感じてしまうというのも、けっこう凄い事だが、人間のキャパそのものに限界があるのだから、そうなるのは致し方ないのかもしれない。
そういう時は、思い切って、別の事をやるのも、一つの手だろうと思う。個人的な経験だが、ある一つの事をやって、新たな発見をするというのは非常に困難な事だ。知識を得るならば、異ジャンルであるほど良い気がする。
個人的に思う、最も重要な類のジャンルの一つは、哲学だろう。これがあれば、様々な媒体で作品を作る事が可能だ。それが無ければ、どんなジャンルであれ、前例を見なければ、作品は作れないのだ。そこに、二次創作ばかりが発生することになり、作品は、しまりのないものになりがちになる。
写真やアニメーションをやっていると、初見でオタクと思われる事は多々あるが、パートナー曰く、ぼくにはオタク要素はゼロらしい。特に何かにハマって、そればかりに熱中することは無いわけだ。ただ、多動なので動作量は多く、ひたすら色々な情報を取り入れて、飽きたら別のジャンルの情報を見ているという感じだ。飽きてまで、一つの事に固執する必要は無いと思う。なんと言っても、取り込みの効率が、非常に悪くなるわけで。
尚、上の写真は、作品とは何の関係もありません。