2021年08月04日

疑問

最近の世の中は、恐ろしく幼稚な二元論というか分断煽りみたいなものに溢れている気がする。
簡単に言えば、人間には二種類しかないぐらいの論が蔓延している。
例えば、元総理が言うところの、オリンピックを反対するのは反日というような意見だ。まぁ、反日的な人がオリンピックを反対しているかどうかに関しては、確かに、そういう人もいるだろう。重要なのは、そういう人もいるという事だ。

現在の医療現場で働く人が、オリンピック反対と言っているとしたら、それは反日だろうか?あと、オリンピックには反対だが、以前から、ある選手の事は応援しているというのも、普通に成立する。そもそも、こういう立場の人ならば、平時であれば、オリンピックに対して、特に意見が無いという人もいるだろう。

ぼく個人はどうか?と言われると、オリンピックに大して関心が無いというのが実情だし、金で無理やり世界を繋ぐやり方は好きではないので、無くても良いという感じだ。平和の祭典か?と言われると、それは違和感があるし、嘘だと思う。ただ、世界が関心を失いつつあるのは、代理戦争としての位置づけは、弱まってきているのではないか?とも思う。

以前は、開催に至るまでの嘘が多すぎた点も、印象としては最悪だったし、少し前は、この状態でオリンピックをするべきではないだろうというのが意見だ。現在は、既に始まってしまっているので、諦めという感情が強い。オリンピックそのものは、まったく見ていないという状況だ。
誰かを応援するのも良いが、応援したからと言って、ぼく自身に何かが起こるわけでもないし、自らを重ねるような人もいない。同じ日本人だから、自分が凄いなんて飛躍はあり得ない。

最近、何が一番おかしいと思えるのか?というと、オリンピックを反対していた人は、選手を応援するべきではないというような、分断を煽る意見だ。普通ならば、そこは分けて考えるべきだろう。
現在というのは、ある種異常な状況なのだから、オリンピックをするべきではないというのは当たり前の意見だし、同じ日本人が勝つと嬉しい人が多いのも事実だろう。
選手が勝ったから、やっぱりオリンピックはやったほうが良かったのかな?という意見になっている人も、かなり多くいるだろうが、政治的判断として良くないと思っていたのならば、そこから意見を変える必要も無い。実際、このオリンピックで、ツケを払わされると思っている人は、変わらず多いと思う。それの多くは、政治的判断が間違っていたという考えから生じるものだ。

分断の内容は、スポーツと政治を深く絡ませた考え方だと思ったほうが良い。運営側と選手の活躍は異なるものだ。無理やりの結び付けは、はっきり言って悪意があるとしか言いようがない。選手を応援した私は、運営側も応援しなければならないということにはならない。そもそも、選手は、運営側の私物でもないわけだ。
選手が頑張ったからといって、間違った政治的判断まで許す必要はまったく無いということだ。

posted by 超画伯 at 03:08| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記