というか、中年、老人のネット耐性の無さは異様なものがあるし、ネットリテラシーがどうのとか言ってた連中が、ネットの中で歴史の大いなる無駄知識(嘘)を勉強して、ネトウヨになるとか、ムーがどうとかのレベルではない。いちいちカルトに陥るのは何故なのか?これでは、少年時代に、ささやかにムーを信じていたのが可愛らしいぐらいだ。なんと、責任のあるものが、何でも人のせいにすることが、まかりとおる時代になってしまった。
ワクチン陰謀論に関してだが、ぼくが知る限り(見える範囲)では、スピリチュアル、ネットワークビジネス、宗教、ネトウヨ、左翼などの一部にそういうのがいるぐらいは分かっている。
勿論、異物を入れるのが嫌なのは、ぼくもそうだ。リスクも高い。
確かに、満足な治験も出来てないような、中途半端なワクチンではあるし、コロナの性質を考えれば、永久的に効くようなものを作るのは不可能なのは分かる。
しかし、ワクチンで三年後に死ぬとか、北斗の拳じゃあるまいし、あまりにもカルトではないか?
というか、文化人風の人間に、こういうのが多いのには、ある種の失望がある。勿論、以前から何かを期待していたわけではないが、もう少しどうにか考えてほしい。そもそも、何故そこまで二元論なのか?多様性とか、やはり流行りで言っているだけなのか?
自称文化人には、コロナとか嘘とまで言う連中もいる。いや、そういうので、世界中で、ここまで死人は出ないでしょう?人の命を何だと思っているのか?
しかもこういう連中が、何故か無い知識をひけらかして、オラついているのは何なのか?(ネットで)学者より賢くなったと勘違いでもしているのではないか?(ネットで)すべてを知り尽くしたとでも言うような、全能感は何なのか?
コロナは、ただの風邪だといえばそれはそうだ、風邪の一種だ。ただ、その風邪が異様に強力なだけに厄介なのだ。それでいて、致死率は高すぎる事もなく、人々を油断させる力がある。その両側の性質も考える必要がある。一方に寄りすぎてはおかしくなる。
そもそも、特効薬にせよ、ワクチンにせよ、ただの風邪を今まで克服出来ていないわけだ。
ぼくも、慎重派かと言えばそうだが、極端な意見は聞くべきではないと思っている。今をしのぐだけなら、ワクチンは、ある程度有効だろうし、どちらにせよ時間稼ぎは必要なのではないか?
ともあれ、最終的には本人の判断次第なのだろうが。
(SONY α7U/SIGMA 24-35mm F2 Art)
少し倫理観について書いておくが、基本的に、このウイルスは人にうつすべきではないということだ。それを望まない人は大半なのだ。オラついている文化人がいるが、彼らはその事を理解しているのだろうか?
実際のところ、これからの時代に、危機は更に起きると思う。世界は繋がりすぎたのだ。ぼくは以前から、繋がりすぎるのは、良くない結果を招くと言ってきた。しかし、世界は繋がりすぎた。ぼくは、合言葉としての「繋がり」という言葉が、いつしか嫌になっていた。ある意味、スローガンについて疑いを持つことが無く、ほとんどの文化人は、それを合言葉にしていた。彼らが想像した結果出てきた言葉ではなく、ある所で出てきた合言葉に皆が従った。
実のところ、近年新種のウイルスの話はよく聞くが、これは、人間の行動が拡大して、自然界への侵食が深まった事、あと人の密集によるウイルスの伝達力が関係あると思う。陰謀論も良いが、それでは、今後来る危機を乗り越える事は困難だと思う。陰謀を疑わなくても、自然界の原理として、未知のウイルスは今後いくらでも出てくる。構造というものを想像できるだろうか?一つの言葉を鵜吞みにするのではなく、連動して動く世界を想像する力。安易な責任転嫁で救われるのか?実際に環境も激変しており、それに対する危機を乗り越えるすべを考える必要がある。正直なところ、コロナは序の口にすぎないのではないか?
少なくとも、多くの人たちは、危機を望んではいない。望まない人たちに対して、個々の倫理観が試される時代に突入していると思う。それを理解できない者は、いわゆる反知性に他ならない。